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泣けるコピペはっていけよ
1:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:15:33.15 ID:BFHuN3Ow0
84 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/11 16:16
初めてのあかちゃんに無我夢中だった。
ろくに眠らず、夜鳴きもひどかった娘。
へとへとに疲れはてて、抱っこでゆすりながら
「あんたはママを苦しめたいの?ほんとにひどい子だ」と
悪態をついた日々。
赤ん坊の気持ちなんて、全然わからない。
母親の自信なんて、みじんもない。ただ、もがくだけの日々。
あれから数年たって、娘は五歳になった。
「あのね、ママ」(もじもじ)
「なぁに」
「あたしね、ママのこと、生まれたときからすきだったの」
あの頃の私が一番聞きたかった言葉。
やっと聞けた。こっそり台所で泣いた。
2:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:16:00.11 ID:BFHuN3Ow0
105 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/12 02:10
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」 こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない
3:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:17:39.10 ID:BFHuN3Ow0
Evgeny Tabakovくんはモスクワ州のノギンスクで暮らしていた7歳の少年。12歳の姉・Yanaちゃんと自宅で留守番していたところ、
就職に失敗した33歳の男・Sergey Kiyashkoが強盗をするため部屋に侵入してきました。
Sergeyはナイフで2人を脅かし金目の物を出すように要求、YanaちゃんがSergeyに捕らえられたため、Evgenyくんはお金を探しに行くことになりました。
しかし、それからSergeyはYanaちゃんの服を脱がし始めてしまいました。それを目撃したEvgenyくんは台所に走っていってナイフをつかみ、
Sergeyの腰へと突き刺しました。それによりYanaちゃんは逃げ出すことができたのですが、
怒ったSergeyは自分の持っていたナイフでEvgenyくんに襲いかかり、背中を8回刺したそうです。その後、Sergeyは捕まり、
Evgenyくんは病院に運ばれましたが、Evgenyくんは命を落とすことになりました。
そして、Evgenyくんの行動に対して政府から「Order of Courage(勇気勲章)」が贈られることになったそうです。
検察官の調査委員長のAndrey Bastrykin氏は「毎日死と向かい合っている検察官の職員にも衝撃的な悲劇だった」と授賞式で話しています。
Evgenyくんの通っていた学校も、ロビーにEvgenyくんの話を記念に残すことを約束し、Evgenyくんの使っていた机は学校で一番の生徒にしか使わせないことを述べたそうです。
ロシアでレイプされかかった自分の姉をかばい、命を落としてしまった少年に対して勲章が贈られたとのこと。
検察官の調査委員長による少年の勇気に対して勲章を贈るべきとの推薦があったそうです。
詳細は以下から。
RT: Russian News : Boy who died saving sister from rapist awarded
4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:21:09.09 ID:V47iOQP90
そうか、あかんか、いっしょやで
のやつ
604 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 13:06:13 ID:NJRpOhWp
小学校6年くらいの時の事
親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、
名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。
その時まで実の両親だと思っていたので心底衝撃を受けた。
帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、公園のブランコに座って立てなくなった私に、
親友はずっと付き添っていてくれ、
「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」とか言って、カバンからメロンのアイスの容器
(メロンの形のやつ)を出して、水道の水をくんで飲んだ。
一体何のテレビを見たのか、「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」なんてメロンのカップ
片手に言う親友がおかしくて、思わず泣きながら笑いあった。
十数年たって私が結婚する事になり、結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、あの時もらったメロンのカップをカバンにこっそり
忍ばせて飲んでたら、突然親友がポロポロ泣き出して
「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」と。
『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと悔やんでいたと泣いた。
そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、
机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、あなたがいてくれたからやってこれたんだと
伝えたかったのに、
ダーダー涙流しながらダミ声でドラえもんのように「ごれ゛ぇ~」とメロンのカップを出すしか
できなかった。
親友もダーダー涙流しながら「あ゛~ぞれ゛ぇ!」と言って、お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。
もちろんメロンのカップで。
もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した
8:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:23:26.14 ID:BFHuN3Ow0
122 Mr.名無しさん sage 05/02/25 02:31:23
昔いた子猫を思い出した。
外で一匹だけにゃーにゃー泣いてる子猫がいたんだよ。
生まれたばかりの、尻をつついてやらないと自分でおしっこもできないくらいの白い子猫。
寒い冬だったから連れて帰って、動物の知識もないまま、温めたミルクとかあげて。
でも、最初連れて帰った日からその猫風邪気味でさ。
結局、数日後の朝に、冷たくなってた…。
あの時もっと猫の知識があればきっと助けられただろうにって、今でも無茶苦茶後悔してるよ。
その子猫が気に入ってたしろ猫のぬいぐるみに、首のところだけ茶色く、そいつの糞のなごりがあるんだが、10年以上たった今となってはそれだけがそいつの名残りだ……。
ところで、その後に猫を飼いだして、今年16才になる二匹の猫がいる。
そのうちの白い方。しろ猫。
なぜか、首のところだけ気が茶色く染まってるんだよな……。
生まれ変わりとかって、あるのかな。
9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:24:09.71 ID:Uc5awscr0
一応支援するけど、お前は何なの?
この時間にこんなコピペ見ると思わず泣きそうになるんだよ
ファミコン買うために新聞配達して、その金で母ちゃんにハンドクリーム買うやつ
93 大人になった名無しさん 2006/11/10(金) 00:22:56
死んだ親父はよく食いに連れてってくれたな
うまいんだけど、親父は食うのが早くて、
食い終わるとじっと怒ったよな顔でオレが食べるのを見てた。
「早く食え」って言ってるみたいでちょっとヤだった。
こないだ初めて子供とラーメン屋に言ったら、やけにおいしかったらしく
ガツガツ食うわ、あせって水飲むし、ちっこい手で丼つかんでスープ飲んでハァハァいってる
可愛かった
そしたら「ねぇなんでじっと見てるん?怒ってる?」
オヤジ・・・
16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:31:40.07 ID:Uc5awscr0
自分でも引くほど涙腺ゆるんでるわwww
恥ずかしながら、自殺を図って失敗
病院を退院する時
「悩みから解放されて眠っているあなたは、とても綺麗で
あのまま眠らせておいてあげたかったけれど。ボクは医者だからね」
とお爺ちゃん先生だったけど、綺麗なんて言われた事がないので嬉しかった
その後、私を真っ直ぐに見て
「生きなさい」と言ってくれた
もう何年も前の事だけど、辛くなったら思い出す
17:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:32:35.67 ID:BFHuN3Ow0
小学校の頃、クラスの友人が手から血を流していたのでティッシュを渡してあげた。
どうしたんだ?と聞いた所、ムカつく猫がいたので捕まえて水の入ったポリバケツに放り込んだ際に引っかかれた。との事。
彼は捕まえたその状況をさも誇らしげに武勇伝の如くクラスの仲間に話し、
仲間数人で猫がどうなったかを今から見に行こう。って事になった。
現場に着くと、前日迄の雨で半分ほど水の入った業務用のポリバケツの中で、
体の半分以上が水に浸かり、小刻みに震える弱々しい子猫が今にも死にそうにしてた。
友人がバケツを足で蹴り倒し取り出した猫に「こいつ爆竹の刑にしない?」
と笑いながら皆に言った瞬間、普段温厚な自分の中で何かがはじけ、
気がつくと俺は落ちているポリバケツを拾い、思いっきりそいつの頭に投げつけてました。
更に、そばの用水路にそいつを蹴り落とす暴挙までやってしまった。
あっけにとられる他の友人達と、腰まで用水路に浸かり半泣きのそいつに
「お前、そこから上がったら爆竹の刑だから」と言い放つと、
弱って震える子猫を体操服でくるみ、自宅に連れ帰りました。
翌日、そいつが用水路に落ちた際に足を怪我してた事が判り、担任や親からしこたま絞り上げられ、
そいつの3歳上の兄貴からも帰り道で待ち伏せに合い殴られた。
クラスでは浮いてしまうし、猫一匹の為にさんざんな目にあってしまった。
あれから12年。
トムという名前を付けたその家族(猫)は、俺の布団の上でまるくなって息を引き取った。
猫で12年生きれば大往生だったと思う。
俺は固く冷たくなったトムに「おつかれさま」とタオルをかけてやると、
トムがいつも登っていた庭の桜の樹のそばに、丁重に埋めてあげました。
最初は人間不信で警戒しまくりだったトム。
最後は人間が大好きになってたトム。
そしてトムが大好きだった俺。
毎年春が近づくと近所の桜よりも一足早く、トムの桜が花を咲かせます。
そのたび幼き自分が勇気を出して行った行動を誇りに思う
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:35:04.87 ID:Uc5awscr0
512 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/24(水) 01:41:47
嫁は妊娠中。もうすぐ八か月。
西日の部屋で、ソファに座ってお腹を撫でてる嫁を見てたら、なんとなく言いたくなって
後ろから抱き締めて「愛してる」って言った。
ただ、俺の嫁、ろう者なのね。なんも聞こえないの。わかんないの。
わかんないはずなの。
でも、嫁、振り返って
手話で
《わたしも》
って言ってくれた。
俺、明日もがんばれるわ。
19:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:35:59.85 ID:BFHuN3Ow0
320 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2009/12/07(月) 21:08:04 ID:JKnm4DJt
月並み?だが、自分が養子だった事。
高校の修学旅行でパスポートが必要になり、戸籍謄本を取った時に愕然とした。
その日は何も手に付かず、夕飯で両親が揃った時、思い切って問いただした。
最初は鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてた父が、みるみる目と口を開いていき。
「忘れてた!!」
今度は私が豆鉄砲を食らいました。
結婚当時、子宝に恵まれず、まだ赤ん坊だった私を施設から引き取った事。
年頃になったら説明しなきゃいけないなあ…と思いつつ、3人で生活している内に
養子という意識も薄れ、私が中学生になった頃にはすっかり頭から抜け落ちていた事。
「いや、小学校卒業した時に説明するかどうか悩んだ記憶があるから、それまでは覚えてたんだよ」
などとしどろもどろで言い訳する両親を見てると、ああ、二人は間違いなく私の両親なんだなあと
思えて、なんだか泣き笑いになってしまった。
あれから10年近く経つけど、私たちの関係に変わりはない。
今日が両親の結婚記念日だったので、ふと思い出した。
22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:37:32.38 ID:R0S6mcco0
二次元に恋し、喪のまま結婚する事無く八十数才になった俺
近所からは危ない老人、キチガイ老人と若い頃と同じく迫害され続ける俺
訪れる人といえば市の職員が死んでねーか?と来るくらい
ある日風邪をこじらせた俺の家の玄関をダンダン!と叩く馬鹿がいる
ブチ切れた俺は「誰だ!フォルァァ!」と扉を激しく開ける
そこには50年以上前に心の底から愛し恋い焦がれたあのキャラの姿があった
彼女は何ら変わらぬ優しい笑顔で俺に手を差し伸べ
「お待たせ!さぁ一緒に行こっ」
震えた、涙が止まらなかった
それから数日後、俺の家を訪ねた市の職員は玄関先で倒れた俺を発見する
すでにこと切れていた
警察や役所は風邪をこじらせた独居老人の孤独死と結論を出す
しかし色んな孤独死を見てきた市の職員は不思議に思っていた
これ程の満面の笑みで亡くなった老人を彼は知らない
最後の最後でこの孤独な老人にいったいどんな奇跡が起きたのだろうか
24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:40:16.79 ID:Uc5awscr0
336 名前: 大人の名無しさん 投稿日: 02/03/04 23:42 ID:IadrbyOh
癌が見つかりました。子宮癌。
でも、絶対に死にません。
子ども達と子どもにネクタイだけ付けたようなダンナを置いて死ねません。
私と私の家族の幸せを自分達の幸せと思っている両親と義両親を置いて死ねません。
算数の文章問題が苦手でプリント前にして涙ぐんじゃう長男を置いて死ねません。
おじゃ魔女ドレミごっこで、おんぷちゃん役になれないと暴れる長女を置いて死ねません。
明後日入院します。内臓全部くり抜いても良いから生かして下さいを先生に言ったら
苦笑いされましたけど。
本当は、不安で不安で転げ回りたいくらいですが、ともかく私は死にません。
と高らかに宣言させてください・・・・・。
25:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:40:39.41 ID:BFHuN3Ow0
これは実際にあった話です。
12月26日。クリスマスの次の日
タイのプーケットはいつもと変わらない朝だった。
クリスマス休暇でバケーションを地上の楽園で楽しんでいる人たちで
あふれかえっていた。そしてその日も晴れ渡った空の下、いつもと変わらない
楽園の一日が過ぎていくはずだった。そうあの津波さえ襲ってこなければ
津波はすべてのものを飲み込むように襲ってきた。
海岸で遊んでいた人たちが次々と飲み込まれ、気をなぎ倒し
車を押し流し、濁流になって町を飲み込んでいった。
人々は押し寄せてくる波から逃げ惑い町全体がパニックになっていた。
そしてすべてが押し流されていこうとしていた。
そのなかで少女2人は奇跡的に生き残った。
その2人は小象の背中に乗って遊んでいるところだった。
そしてそこに津波が押し寄せてきた。
人々が腰以上まで来る津波に押し流されていった。
しかしその強力な波の中で小象はじっとたって動かなかった。
懸命に2人の少女を背中に乗せて、打ち寄せる波にじっと耐えた
そうあの車でさえ押し流してしまうような波に。
そして今日も小象は今日も誰かを背中に乗せてゆっくりとプーケットのどこかを
歩いている。
27:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:42:12.42 ID:BFHuN3Ow0
493 :おさかなくわえた名無しさん :04/12/12 18:30:29 ID:SAtrbW1A
もう10年も前の話
妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。
実際私も、妻の面影を追う毎日であった。寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。
出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。
そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、
園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・
「まぁ、行くよ♪」 娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。
28:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:42:33.39 ID:BFHuN3Ow0
>>27続き
あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとってもさみしいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」
そう言っていたのよ。
何ということだ。娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。
10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。
来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?
君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。
30:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:45:07.06 ID:BFHuN3Ow0
773 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/20(火) 10:20:20
長文だが投下させて下さい。
昨年、突発性難聴と診断された妻。病院に通って服薬治療を続けてきた妻だったが、とうとう先週「このままの聴力で安定して行くでしょう。」と言われて帰って来た。
きっとショック受けてんだろうなーと家に帰ったが、いつも通りのあっけらかんとした妻だった。
「私、手話覚えるしかないかなー。」なんて笑いながら話してた。(静かな場所であれば、響く様な感じだが聞き取れるし話せる程度)
夜子供が寝た後に、これから必要になるかも…?と、二人でゴロゴロしながら筆談をしてみた。
最初は他愛もない話だったんだが、いきなり妻が「ごめんね。辛くなったらいつでも言ってね?私こんなんになっちゃって、いつでも離婚しても良いと思ってるよ。」って書いた。
774 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/20(火) 10:23:57
続き
つい大きな声で「お前離婚したいのか?!耳が聞こえない位で離婚するわけないだろ!バカか!」って言ってしまった。
妻はかぼそい声で「出来る事、一生懸命やるから、頑張るから捨てないでね…」って泣いた。
妻がこの件で初めて泣いたのを見て、俺も泣いた。ずっと我慢してたんだって。不安だったろうな、辛かったろうな…。
抱き合って泣いてる俺達にびっくりして起きてしまった2歳の娘が、「おか」~しゃん おと~しゃん 泣かないの ヨチヨチ」ってしてくれた。
この温かい家族をこれからも俺が守って行こうと思ったよ。
32:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:50:16.93 ID:BFHuN3Ow0
餓死した2人の幼児 ~大阪市の刑事に聞く
無力。
この事件以来、深酒が続く。
知り合いの刑事が近くの管轄だったので、本事件を担当する刑事に尋ねてもらった。
記事にもしたくないくらい凄惨な現場だった…。
2人の幼児は部屋(ワンルーム)いっぱいに積まれたゴミで身動きが取れなかったそうだ。ゴミための残飯(母親が残したカップ麺など)を綺麗になめていて、それで3歳の長女は食中毒を起こし先に死んだらしい。
死亡推定時刻は10時間以上、1歳の男の子より早かった…。
120ℓほどの冷蔵庫は何も残って無かった。長女は辛子やマヨネーズ、そうめんのダシ、果ては製氷の結晶もなめていたそうだ。1歳の弟にも分け与えていた。彼女が4歳だったら死なずに済んだのだろうか。
二人は排泄物にまみれていた。
最低でも4日分の糞や尿が体に付着していた。1歳の子は糞を食った形跡があった。
殺人容疑に切り替わるらしいが、いずれにしても軽い刑罰を母親は受ける。
重刑にして欲しいとか、そんなことは願って無い。そんなことしたって2人は帰って来ない。
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:50:38.17 ID:Uc5awscr0
458 名前:ななしのいるせいかつ[] 投稿日:2007/03/17(土) 14:36:24
老人ホームで実習した時の話。
そこは認知症のおじいちゃんおばあちゃんばかりの所で、
5分前に話した話は覚えてない、1ヶ月居ても私の顔は覚えてくれない。
かなしいな、とは思いつつも精一杯介護させていただいた。
1ヶ月の実習が終わっていよいよ最後の日。
一人一人に挨拶をして回る私。
すると、かなり重い認知症を患ったおばあちゃんが目いっぱいに涙溜めて
「あの時はありがとう。怪我した小指に絆創膏貼ってくれたね」
ってそう言って抱きしめてくれた。
その後、聴いたことも無いメロディーに乗せて涙ポロポロ流しながら
「別れは辛いけどあなたに会えてよかった。」と歌ってくれた。
あんなに泣いたのはいつ振りだろうってくらいに声を上げて泣いたよ。
34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:50:40.32 ID:sYQO9mcBO
怖い話のコピペだけど「育美ちゃん」の話を初めて見た時は悲しすぎて涙出た。感動しない泣けるコピペが一番痛い。
86 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2008/01/31(木) 00:12:09.85 ID:3xNmDc9j0
俺は何でもしてやるつもりだった。
中学に入って生意気になってきたら本気で叱り付けてやるつもりだった。
学校でいじめられたりしたら、いじめた奴をコテンパンにのしてやるつもりだった。
援交とか始めたりしたら、真剣に道徳に付いて教えるつもりだった。
「おにいちゃん」から「兄貴」に変わる年頃になったら、からかってやるつもりだった。
そして彼氏が出来たら、兄貴風吹かして彼氏に「お前には妹は相応しくない」といってやるつもりだった。
妹の部屋にのこのこ現れて、バカやって二人の間に入りふざける。
「おにいちゃん!邪魔しないでよ!」なんて言われたら彼氏そっちのけで喧嘩をして、
オヤジが止めに入って、二人してどやされる。
そんな光景を夢に見てた。
葬式では、母親よりも俺の方が激しく泣いた。
友人達が心配する位狼狽して、一人で立っていられない程に泣いた。
ほんの二週間前の自分にあって、殴ってでも警告してやりたかった。
もっと優しくしてやればよかった。
どんな想いで俺宛に手紙を書いて、どんな気持ちで手紙を渡したんだろう。
見た事もない男を「お兄ちゃん」と呼ぶ時、きっと物凄く緊張しただろうに。
俺は妹の代わりに母親を大事にしている。
この人こそが俺の母親だと思ってる。
「わたしのお母さんを大事にしてね?お兄ちゃん!」
「そんな事言うまでもないだろ?」
妹とのそんなやりとりを、今でも空想しながら母親に接してる。
生きていたら、俺の妹は今年の春、高校を卒業した筈だ。
たった一回しか会わなかったが俺には妹がいた。
40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:54:06.64 ID:rOCmPXN60
俺18歳なんだが今年で18年目になる飼い猫がいる つまり俺と同い年なわけだ
どんなに記憶を遡ってもそいつがいる
本当に兄弟のように一緒に育った
布団の中に入ってくるし、寝るときに部屋に連れて行かないと廊下で入れろと鳴く
餌は好き嫌いが多いし、甘えてきても腹がいっぱいになれば呼んでもうるさそうに振り向くだけ
でもそんなとこも妙に可愛い
でもそいつもこの数ヶ月で急に衰え始めた
餌が食えない 階段が登れない 一度横になるとなかなか立ち上がれない
病院に連れて行ったら老衰だった
覚悟をしていて下さいと言われた
胸が苦しい 言葉がでない
半年前なら外に連れ出せばすぐに走ってどこかに行こうとしたのに今は腕の中で丸くなってるだけ
こんなに軽かったっけ?こんなに細かったっけ?
事故で死んだりするのとは違ってゆっくりと確実に終わりに近づいていく
こんなに悲しいなら飼わなければよかった
だけどこいつがいなきゃ嫌だ
死んでほしくない
あと20年ぐらい生きてほしい
神様お願いだよ
家族を連れて行かないで…
44:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:57:51.47 ID:BFHuN3Ow0
オーストラリアの乾いた大地を疾走するトラックの車内。
「ところで相棒、バックミラーにかかってるこの銀色のメダルは何なんだ?」
「いや、ちょっとしたお守りみたいなもんさ」
「おい、ちょっと待てよ。これ、本物の銀メダルじゃねえか!」
「そんな目で見るなよ。あるスポーツの大会でもらったのさ。そう、俺は
この前のオリンピックに出たんだ」
「オリンピック? 冗談よしてくれ。あれは選びぬかれたスポーツエリートだ
けが出られる大会だろうが。お前みたいに一日中トラックを運転してる奴がどう
やってオリンピックに出るんだ?」
「それもそうだよな、ハハハ。」
「わははは」
しかし、遠い地平線を見る運転手の青い瞳には、あの一日の光景が焼きつい
ていた。ありあまる資金で高級ホテルに泊り、薄ら笑いを浮かべながら会場に
現れる東洋人の集団。彼らのほとんどが一年で百万ドル以上を稼ぐプロの野球
選手だという。
若いオージー達は燃えた。そして、全力で立ち向かい、ぎりぎりの勝利を掴
みとったのだ。たいていの人間が野球というものを知らないこの国では、誰も
彼らを賞賛しなかった。しかし、胸の奥で今も燃え続ける小さな誇りとともに
今日も彼はハンドルを握り続ける。
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:59:02.19 ID:Uc5awscr0
450 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/10/15(水) 11:34:01
「このぽっけすごいねんで!!(`・ω・´)三3ムフー!!」
そう言って幼稚園の制服のポケットをパンパン叩いてた友達Aの息子
ポケットにはハンカチ、ティッシュ、お菓子、小指の先サイズのドラえもん、母親とのプリクラ、
それにムシキングカードなどなど…
その子にとっての宝物が詰まってた
「ぽっけ叩いたら欲しいもん何でも出てくんねん(`・ω・´)三3フンフン!!」
ソレ聞いて少しイジワル言ってみた
「じゃあミニカー出してみて」
前から欲しがっていて 持っていない事は知っていた
その子はムキになって
「あるもん!!フン!フン!」とポケットをパンパン叩いて宝物を散らかしていった私はその子の隙を見て
あらかじめ買っておいたミニカーを そっとポケットに忍ばせた
「フン!…あっ!! …フフ~ン♪」
得意気に出てきたミニカーを私に見せびらかしてたが、物陰で
(´・ω・`)??
みたいな顔してた
かなり萌えた
47:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:59:17.45 ID:Uc5awscr0
ある日Aが死んだ脳溢血だった 職場で突然倒れそのまま逝ってしまった
友達はいわゆるシングルマザーで家族は60を過ぎた御両親だけ
私達も悲しみにくれる間も殆ど無く、葬儀の準備の手伝い、関係者への連絡などで忙殺されていた
その間、彼はずっとジュウレンジャーの絵本を何度も何度も読んでいた
通夜が始まりしばらく経った頃、彼が居ない事に気付いた
私と手の空いた者が付近を探した
しばらく探していると友達Bから着信
小さな公園で見つけたとの事
急いで駆けつけるとBは公園の入口で、どういうワケかうずくまって泣いていた
フッ…と公園の中を見ると彼が居た暗い街灯の下、
「…お母さん、お母さん…お母さん…」
と泣きながら必死にポケットを叩いてた
周りには宝物が散らばっていた
恥ずかしながら20代女、その子慰める前に しばらくの間 泣き崩れてしまいました
声を殺して抱きしめる事しか出来なかった
いつの間にか集まってたみんなも泣いていた
あの日は全てが悲しくて仕方がなかった
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:59:25.54 ID:Uc5awscr0
あれから二年
もうポケットは叩く事は無くなった
代わりに
「ぐらふぃっくあーてぃすとになんねん(`・ω・´)三3ムフー!!」
が口癖になった
最近、ずっと絵を描いてるのはソレだったのか
どうやらBが 「お母さんの夢やったんよ」 と教えたらしいその話を聞いた瞬間、また泣いてしまった
子供の言葉で、何だかこっちの方が救われた気がしたんです
少し画家と混同しているみたいだけど、頑張れ
君には5人のお母さんがついてるぞ
その日までちゃんとAの分まで全力で見守ってるからね
46:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:59:07.25 ID:BFHuN3Ow0
92 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2008/01/31(木) 00:16:17.72 ID:3xNmDc9j0
5歳の長男が自閉症です。満足に言葉もしゃべれない・・・。
俺はこの子は諦めていた。
口で言っても解らないんだよ。
躾以前の問題だ。療育センター、TEACHいろいろやったけどあまり変化がなくて・・・。
なんか育てるのが辛くなってきて。
叩いて躾けるしかないって。愛情もあるのかないのか・・。
反動か、2歳になる愛想のいい次男を可愛がってばかりいた。
話し掛けるとニコニコ可愛い。
いっつも俺の後についてきて・・・。散歩もこの子とばかり・・・。
ちょっと前のこと・・・。長男を風呂にいれた日のこと。
いつもの様に長男は石鹸で遊んでた。
体を洗おうとしてもまるで反応なし。
口笛(?)を吹きながらシャカシャカ石鹸を泡立ててる。
俺は内心うんざりしながら子供の体を洗ってやった。
洗いおわって、子供を湯船にいれた。
一息ついて自分の髪を洗っていると・・・。
子供が背中をさすっているんだよ!
手を石鹸で泡立たせて。手だけで。
初めてだよ。
なんで?自分の体も洗えないのになんで?
驚いたけど・・・。なんでか涙がでたよ。
この子にしか見られてなかったけど、シャワーで涙をかくしたよ・・・。
その日、次男のほうは妻に風呂・ノいれてもらった。
なんで俺の背中を流してくれたんだろう?ほんの気まぐれなのか?解らないけど・・・。
ほんのちょっぴり、この子の親になって良かった。
49:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:59:56.58 ID:BFHuN3Ow0
定番
大学のとき、高校の同級生の女の子がALSを発症した。
そう親しくもない子だったし、ALSってどんな病気かも知らなくて
軽い気持ちで大学の近くにあったその病院に、ひまつぶしで見舞いに行っていた。
ある日彼女が、病室で言った。
「あたし処女のまま死ぬのってイヤだなあ、ねえ今度夜這いにこない?」
その晩実際に夜這いに行った俺を迎えた彼女は、病院の寝巻姿ではあったが
髪はちゃんと整えてあり、うっすら化粧をして、下着も当時流行り始めたTバックだった。
行為そのものは少々やっかいで、彼女は自分で脚を開くこともできなかった。
彼女はわざとらしい喘ぎ声をあげて、なんとか無事終ることができた。
そのあと俺に寝巻きを着せてもらいながら、彼女は嗚咽していた。
翌日俺の実家に彼女の母親から、「息子さんの優しいお見舞いに感謝します。」と
電話があったという。俺はまさかと思ったが、しばらくして戦慄した。
彼女はもう、起き上がることすらできない。トイレだって行けないから
たぶんおむつの世話になっているはずだ。
では誰が?
彼女の髪をとかし整えてやったのか
彼女に薄化粧を施してやったのか
彼女のおむつを脱がし、流行りの下着をはかせてやったのか
それがわかったとき、嗚咽とはいかないが不覚にも涙が出てきた。
あれから8年、彼女はもはや目も動かせない状態で今も闘病を続けているという。
51:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:01:53.27 ID:BFHuN3Ow0
51:おさかなくわえた名無しさん :2006/05/26(金) 20:58:52 ID:KQFLOVR2
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
52:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:02:17.44 ID:BFHuN3Ow0
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした
53:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:06:56.67 ID:BFHuN3Ow0
506 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2011/04/01(金) 15:47:00.67
寒がりで、この時期はあまり外出したがらないうちの嫁。
珍しく「散歩したーい!」と言ってきたので近所の河原を散策することに。
しばらく歩くと「ターゲットはけーーーーーん!」としゃがみこむ。
足元にはツクシ。お前は幼稚園児かwww
ちゃっかり小さいレジ袋まで持ってきてやがるww
ずっと住んでる土地だが、俺はツクシがこんな所に生えてるなんて知らなかったし
実際に生えてる姿を見たこともなかった。食べれるってことも知らなかった。
今は台所で必死にハカマってやつを剥いてる。
手伝おうとしたら一本だけ渡された。
嫁「どう?愉しい?」
俺「……(´・ω・`)」
嫁「でしょ?だから二階でゲームでもしててww」
ほんのささやかなことでも、俺にとっては未知の世界の扉を開けてくれる。
映像でしか見たことがなかったホタルを観に連れてってくれたのも、嫁。
将来子供ができたら、子供にもいろんなものを見せてくれると思う。
この人と結婚してよかった。
54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:10:14.26 ID:fTyyCSno0
111 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:2006/08/12(土) 08:45:23 ID:+fn9uvqJ0
ばあちゃん……
俺がうまいって言ったら、ずーっとそればっか作ってくれたな……
子供の俺には嬉しかったよ、ばあちゃん
死に目に会えなくてゴメンネ、子供だった俺は深夜1時過ぎまで起きてられなかったんだ
それに「倒れた」って聞いても、すぐに起きるもんだと思ってんだよ
最後に俺の名前呼んでくれたそうだね、その時のばあちゃんの気持ち考えると切なくなる
ばあちゃんが亡くなってから10数年、二十歳を過ぎた頃になって
父さんからばあちゃんの話を聞いた時ショックだった
ばあちゃんはじいちゃんの後妻で、父さんとは血が繋がってない
つまり俺とばあちゃんは、言ってしまえば赤の他人
それを聞いたとき「最後に俺の名前を呼んでくれたこと」を思い出し
ばあちゃんが死んだ時より泣いた
血の繋がりとか戸籍上とか関係無く、ばあちゃんは俺のばあちゃんだった
55:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:11:15.39 ID:BFHuN3Ow0
1
あのワールドカップという宴が終わり、はや数日
皆さんも一度は見たと思う、いや必ず見たと思う
その中で、皆さんが印象に残ったことは何ですか?
ブラジルの優勝ですか?
お隣・韓国のベスト4という躍進ぶりですか?
『青の戦士』たちの16強の活躍ぶりですか?
「誤審のひどさばかりが印象に残った」という人もいるでしょうが、
この件に関しては後日語りましょう・・・
かく言う私が印象に残ったこととは、あの国のことである
デンマーク、皆さんはこの国をご存知ですか?
まずは簡単にデンマークという国の紹介をしましょう
デンマーク・・・
正式国名「デンマーク王国」
北欧の端に位置し、面積は43000平方キロメートル、北海道の半分ぐらい
首都はコペンハーゲン、人口は531万人
いたって小さな国である
言語は通常語はデンマーク語、英語でもほぼ通用する
56:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:11:33.22 ID:BFHuN3Ow0
2
これはボクの経験なんですが・・・デンマークをはじめとした北欧の国々は異様なほどに税金が高いんですよ。まずは日本でいう消費税が最低20%はかかる『サービス税』なんてものも含めるとたいてい30%~40%近くの税金が課税される
ですからね・・・北欧に旅行に行ってショッピングしようと思うならアメリカとかの感覚で行くと『えらい目』に合いますから^^;
ま~~税金高い分いい面も、もちろんあります
これらの国は福祉の充実度が世界トップレベルなんですよ
税金高いのは福祉のためなんでしょう
老後に住むにはこれ以上ない環境の国ばかり^^;
余談を入れちゃいました・・・・話をデンマークに戻そう・・・(・。・)
かのデンマーク、サッカーについては他の欧州国に遅れをとった
デンマークサッカー自体の歴史は古いのだが・・・
世界に躍進しだしのは、つい最近のことである
欧州選手権に84年初出場、ワールドカップ初出場は86年
この80年代から、世界がデンマークのサッカーを認めだした
このころから、彼らの躍進ぶりとスタイルから世界のサッカーファンは彼らのことをダニッシュ・ダイナマイトと呼びはじめたのである
そんな彼らが今大会、2002年日韓ワールドカップに出場することとなった
2大会連続、3回目の出場を決めたデンマーク
(↑ボクのデータですから・・・間違えてたらゴメンです^^;)
57:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:11:57.04 ID:BFHuN3Ow0
3
そして、このデンマークが今大会のキャンプ地を和歌山県に決めた
キャンプ地の説明は今ここではしませんよ^-^;
テレビでキャンプ地のことは何度か流れていたと思うし・・・
例を上げれば・・・そうですね
遅れてばかりで有名になったカメルーンと中津江村
ベッカムフィーバーでわいたイングランドと淡路島
これらが有名でしょう・・・
そして、和歌山県であるが・・・他の立候補地と同様に和歌山県側も誘致に必死であった
デンマークへ何度も訪れた。この苦労が実りキャンプ地決定の知らせを受けた
この一報に和歌山県の関係者は涙したという
和歌山に決めた理由は「日本のほぼ中心地であり、関空に近いから」という
それだけの理由だった・・・(・。・)
お茶らけはこれぐらにして、ここからは少しまじめに語ります
デンマークと和歌山県民の交流をまじめに語りましょう
それらを見てきた皐月パパの感想なり、想いを入れて書きたいと思う
ですから・・・今日は『落ち無し!』で参ります♪^-^;
では!真剣に書いていきましょう
58:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:12:11.82 ID:BFHuN3Ow0
4
読者の方々でもデンマークってどんな国?と普通は思いますよね?
「どこにあるの?」「デンマークのサッカー選手で有名な人は?」と思うでしょう・・・これが普通ですよ^^;
アメリカ、イングランド、イタリア、スペインほど日本に名前通ってないし
デンマークという国の存在自体は知っていてもどんな国民性なのか?どのような人種なのか?って普通は誰も知らないものです
もちろん、これは和歌山県民のほとんどが同じであった
和歌山の街中ではこんな会話が交わされたという
「今度のワールドカップでデンマークって国が来るらしいけど知ってた?」
「それは知ってるけど・・・誰か有名な人いるの?
イングランドのベッカムとかイタリアの男前集団みたいに有名な人いるの?」
「う~~ん・・・知らない。
だけど世界で有名なんやったら、一度は練習見に行こうか?」
デンマークの練習を訪れた人は『この手の会話』がきっかけとなった人たちばかりであった
最初、いわゆる『野次馬』的な人が多かったのは事実である
最初の見学者は数百人程度であった、しかしこの数字が日々増えていった
この数字が増えた理由には以下のことが一番大きかったと思う
59:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:12:37.29 ID:BFHuN3Ow0
5
ワールドカップ出場国のキャンプ地での練習というものは 非公式、非公開が通例であるが、デンマークは違った
(イングランド、イタリア、スペイン、ブラジルといった強豪国はほとんど非公開でしたね^^;)
練習初日からデンマークチームの意向で全ての練習を公開した
さらに練習後には見学に来ていた地元サッカー少年たちを招きいれ 一緒にミニサッカーを行ったりもした
この評判を聞きつけ、デンマークというチームが
「むちゃくちゃフレンドリーで気さくな人たちばかりやで!」という口コミも相当あったという
そして、この翌日から見学に訪れる人が徐々に増えていった
初日はわずか数百人だった見学者が翌日には2000人
その翌日には2500人、そのまた翌日には3000人が訪れた
練習後には気軽にサインに答える選手たち
監督も練習後にはサッカー少年たちを招きいれ練習を指導したりもした
この監督にある記者が聞いた
「他国は練習を公開しないで、試合に備えていますけど デンマークはこれでいいのですか?」と聞いた
すると、このデンマーク・オルセン監督はこの記者にこう答えた
「我々の強さは練習を秘密にしたところで変わらない
絶対的な自信をもって試合にのぞむだけだ
何より、キャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが喜んでくれることは
どんどんするべきなんだ・・・
試合も大事だが、この交流も大事にしたいと選手全員も言っている」
60:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:12:58.41 ID:BFHuN3Ow0
6
このオルセン監督、この発言だけでも『いい人』をかもしだしているのだが
彼のエピソードをもう一つ語ろう
ホテル入り初日のことである
デンマークチームが来日し、ホテルでの歓迎セレモニーを受けた後
再度、宿泊先のホテルの支配人と料理担当のコック長が監督の部屋へ挨拶に訪れた
「これからの数日よろしくお願いします」という言葉とともに
彼ら、支配人とコック長にはもう一つ言っておきたい・・聞いておきたいことがあった
彼らにはもう一つ『心配のタネ』があった・・・
それは食事の問題であった
ホテル側も選手たちには万全の状態で試合に臨んでほしかった
食事が口に合わない・・・それが原因ということだけは避けたかった
他国の宿泊先ホテルに連絡をすると、食事でかなりもめたという事を聞いていた
「口に合わない」「母国の材料で調理してくれ!」といった文句を言われたという事を彼らは聞いていた・・・
デンマークが宿泊したホテルの支配人はこう言った
こういったトラブルだけは「どうしても避けたかったんですよ」と
それゆえ「最初に監督さんに聞いて、チームの意向を聞こうと思って挨拶にいったんですよね」と言っていた
61:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:13:13.87 ID:BFHuN3Ow0
7
その想いから、支配人とコック長は監督の部屋を訪れた
そして通訳を介し、監督に聞いた
「食事で何かご要望とかはございますか?」と支配人は聞いた
するとオルセン監督はこう答えた
「一切お任せします そちらが用意される料理を我々はご馳走になります」と・・・
この言葉に驚いた支配人とコック長
「いや・・やはり母国デンマークの食事の方がいいんじゃないでしょうか?」
「こちら和歌山をキャンプ地に決めたときから、食事もそちらにお任せしようと
私と選手たちは言っていた。
選手も理解している。全てをあなたたちにお任せします」
「あの~~他の国とかのホテルにお聞きすると・・・
食事はやはり母国のほうが好まれると聞いたものでして・・・」
この言葉にオルセン監督はこう言った
「他国は他国、我々は我々です」
この言葉に支配人は
「あの言葉で本当にホッとしましたよ・・・滞在中は無事に過ごせていただけると
あれで思いましたね」と言っていた
62:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:13:51.30 ID:BFHuN3Ow0
8
さらに、オルセン監督はコック長に向きなおし、言い出したという
「我々は料理をあなたに全てお任せします。よろしくお願いします」
緊張しながらも「はい!こちらこそよろしくお願いします」と答えるコック長
そして、コック長に聞くオルセン監督
「和歌山で有名な食材は何ですか?」と彼は聞いた
この質問の真意がわからずもコック長は監督に答えた
「和歌山では魚が有名です、カツオという魚が特に有名です」と・・・
するとオルセン監督は微笑みながらコック長に言った
「それでは、そのおいしいカツオを我々に食べさせてください
あなたが腕をふるって、おいしいカツオを選手たちに食べさせて
やってください」と言った
この言葉にコック長は大変感激した
「世界の代表監督が、あんないい人だったからね~~
いっぺんでデンマークのファンになりましたよ!」と言っていた
この食事に対する『良き姿勢』は監督だけではなった
選手たちも同様だった
78:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:34:04.85 ID:BFHuN3Ow0
9
この最初に手を合わせた選手の名を・・・
トマソンといった
このトマソン選手・・・今大会では4得点をあげ デンマークを決勝トーナメントに進出させた立役者である
あの日本代表・小野選手と同じオランダ・フェイエノールトに所属することでも有名な彼
彼は少し神経質の面を持ちあわせているのだが、非常に心優しい青年だ
トマソン、彼の優しき一面をもう一つ語りたい
それはある握手会でのことである
デンマークというチームは前述したように練習を公開し、和歌山県民との交流を積極的に行った
練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い
握手会、サイン会もたびたび行った
そのひとコマの話である
79:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:35:24.94 ID:BFHuN3Ow0
10
あの日も、いつものごとくサイン会が行われた
気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった
あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた
気軽にサインをするデンマーク選手たち
もちろんトマソンもその中にいた
その最中のことである
トマソンの前にある少年が立った
彼はトマソンの前に立ちつつも・・・少しモジモジしていた
後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す
「ほら!早くしなさい!」と彼に言っていた
トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう
通訳を通じ「どうしたの?」と彼に聞いた
意を決した少年はポケットから一枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した
それは学校の英語の先生に書いてもらったものだという
英語で書いた、その紙切れにはこう書いてあった
81:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:35:43.34 ID:BFHuN3Ow0
「ボクは小さいころに、病気にかかって
口と耳が不自由です・・・耳は聞こえません、話せません・・・
だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです
デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです
頑張ってください」と・・・
その手紙に通訳も・・・その場にいた我々記者も驚いた
言葉が出なかった・・・
だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に・・・
「それなら君は手話はできますか?」と・・・
手話で語りかけた
その『言葉』に驚く少年と母親
再度聞くトマソン・・・
「手話はわかりませんか?」と・・・
82:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:36:14.04 ID:BFHuN3Ow0
12
それを見ていた皐月パパはトマソンに英語で言った
「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と彼に言った
手話を万国共通と思う人が多いのだが国によって違う、
ましてや日本国内でも地方によって違う
「そうだったのか・・・」という顔をしたトマソン
そして彼は通訳にこう言った
「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」と言った
微笑んで「わかりました」と答える通訳
トマソンは「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてください」とも言った
後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった・・・一言も文句を言わなかった・・・
彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人たちも思ったのでしょう
そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった
84:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:38:28.33 ID:BFHuN3Ow0
13
「君はサッカーが好きですか?」
「はい。大好きです」
「そうですか。デンマークを応援してくださいね」
「はい。あの聞いていいですか」
「いいですよ。何でも聞いてください」
「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?正直、ビックリしました」
この少年の質問に彼は答える
「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます
その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」と・・・
その彼の言葉をじっくりと読む少年
そしてトマソンは少年に言った
「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが
君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています
君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」
この言葉に黙ってうなずく少年
85:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:39:10.97 ID:BFHuN3Ow0
14
「わかっているなら、オーケー!
誰にも辛いことはあります。君にもボクにも
そして君のお母さんにも辛いことはあるのです
それを乗り越える勇気を持ってください」とトマソンは言った
このやり取りに涙が止まらない母親
この光景を見ていた我々記者も涙した
その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した
そして、トマソンは最後に少年にこう言った
「ボクは今大会で1点は必ず獲ります
その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるように
ボクは祈っておきます」
この言葉に・・・この少年は初めて笑顔を浮かべた
「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った
そして、サインをもらい、その場をあとにする少年と母親
ボクの取材に母親は目に涙を浮かべて言った
「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ
日本と試合することになっても、私らはデンマークを応援しますよ」と
涙を流し、笑いながら言った・・・・
87:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:39:59.37 ID:BFHuN3Ow0
15
そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、得点を決めた
1点どころか、彼は4得点という大活躍だった
こんなトマソン、デンマークを見た皐月パパもいっぺんにファンになってしまった^^;
1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク
彼らをボクは応援した・・・
もちろん和歌山県民も応援に訪れた
試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた
オルセン監督は言った
「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった
あれが我々の力になった」と・・・
和歌山県民の応援も実ったのであろう
フランスと同組のA組みながらデンマークは2勝1分け
見事1位通過を決めたのである
そして、向かえた決勝トーナメント1回戦
場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった
スタンドからは「ベッカム!!!!」という声が至るところから響いていた
88:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:40:45.69 ID:BFHuN3Ow0
その声に皐月パパは叫ぶ
「ダニッシュ・ダイナマイトで・・・にわかイングランドファンを黙らせろ!」
「ベッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」と叫んでいた^^;
だが・・・この応援も届かなかった
和歌山県民の想いも通じなかった
デンマークはイングランドに0-3という予想外のスコアで敗れてしまった
その日の和歌山県には雨が降ったという
県民の涙雨だったのかもしれない・・・・
負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた
「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」という言葉が彼らの合言葉になった・・・
だから、彼らは行なった
デンマークお疲れさま!会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた
そこに駆けつける多数の県民
会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた
その催しに「ありがたいことだ」と言ったオルセン監督
もちろん選手たちも全員出席した。あのトマソンもその場にいた
92:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:44:14.93 ID:BFHuN3Ow0
17
そこでトマソンは見つけた・・・『あの少年』を見つけた
少年と母親もその会に出席していた
少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン
トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる
少年はトマソンへ笑顔を向ける
そして、トマソンは少年にこう語りかけた
「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね」と『紙』で語りかけた
これに少年は答える
「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです
それに約束どおり点獲ってくれたからボクは嬉しかったです」と・・・・
「ありがとう」と言うトマソン
そして、この少年にトマソンは言った
「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください」
93:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:44:35.81 ID:BFHuN3Ow0
18
「はい」
「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている
それは神様が決めたことであり、今からは変えられない
ボクが言いたいことわかりますか?」
「はい」
「神様は君に試練を与えたけど、君にも必ずゴールを決めるチャンスを
神様はくれるはずです・・・
そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」とトマソンは言った
この言葉に少年は笑顔満面の顔でトマソンに「はい」と言った
そして2人は・・・
「さようなら」
「頑張って」
という言葉を残し彼らは別れを告げた
68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:21:21.36 ID:LX0TsV0cO
小さい頃、うちには慣れてたインコがいたんだけど、父が新しいインコ貰ってきた。
そいつは人間で言う障害者、まともに歩けないし、餌もうまく食えなかった。泣き方もおかしかった。
もともといるインコにいじめられないか心配で、かごも別にしてたんだけど、
ある日弱いほうのインコをかごから出して遊んでたら、もう一匹も出てきた。
まっすぐに弱いインコのとこに飛んでって、毛づくろいしてやってた・・・
それからかごも一緒にしたら、本当の(人間のような)親子状態。
くちからくちに餌をあげてたり、多分転ばないようになんだろうけど弱いほうの尻尾をくわえて歩かせてたり・・・
結局半年くらいで弱いほうが死んじゃったんだけど、その時もう一匹はずーと死んだやつの毛づくろいしてた。
死後硬直で硬くなってんのに、それでもずーっとやってた。
長文ゴメン。でも、いまだにたまにそれを思い出す。
70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:25:08.69 ID:LX0TsV0cO
678 :名無しって呼んでいいか?:2009/09/15(火) 01:21:36 ID:???
母親は最大被災地の一つ、四川省綿陽市北川(ほくせん)県で、地震発生翌日の13日、
四つんばいになった格好で遺体で発見された。遺体は倒壊した建物に圧迫されており、救援隊は立ち去りかけたが、
何となく気になり、ふと遺体の下のすき間に手を差し入れたところ、温かいものに手がふれた。
「赤ちゃんが生きている!」
救援隊員が叫び、救出作業が再開。生後3~4カ月とみられる無傷の男の赤ちゃんが毛布にくるまれて発見された。
救援隊員が母親の体を調べると手に握られた携帯電話の画面に、1行のショートメールが残っていた。
「赤ちゃん、もし生き伸びてくれているのなら、私があなたを愛していたことを絶対忘れないで…」
子を思う母親の愛の深さに、救援隊員も思わず涙を落としたという。
71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:25:09.22 ID:1ADQhLHkO
俺の涙腺を元に戻しやがれw
罰として
『結婚式でのヤマトの話』
『阪神大震災の時の、グラサン割れてボロボロだけどカッコイイヤクザの話』
を、うpしろ。下さいm(__)m
74:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:28:39.18 ID:Uc5awscr0
違うヤクザの話しなら……
84 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/11/01(土) 01:26:02.33 ID:4nNA76GU0
3年前の話。
当時、金融屋をやっていたんだけど<裏金>その年の夏。
いつものように追い込みかけに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど
子供が2人置いてかれてた。
5歳と3歳。<上は男の子、下は女の子
俺はまだペーペーで、周りの兄さんらと違って顔も怖くなかったらしく
家に行ったときすぐに下の子になつかれた。
ボロボロの服で風呂にも入ってなくて、「いつから親はいないんだ?」って
聞いても答えない。
「何食ってたんだ?」って聞いたら、上の子は下をむいて泣いた。
下の子が「こっち」って手を引いて裏庭に俺をつれていった。
破れた金網を通ってでたところは、小学校の裏庭だった。
「あのね、みーちゃんこれ食べたの」って池を指す。
嫌な予感がした。
だってさ、その池って金魚がウヨウヨ泳いでるんだよ・・・。
2人を抱きかかえて家に戻ると、テーブルに小さいボウルと茶碗。
「お前ら・・・金魚食ってたのか・・・」って聞いたら「・・・うん」
すっげーやるせなくて涙がでて、俺もその場にいた兄さんらも泣いた。
すぐに兄さんがたくさん食べ物と洋服を買ってきた。
近くの銭湯で体を洗ってやった。
その後、俺らじゃどうしようもないから施設に連絡をいれた。
連れていかれる時に「お兄ちゃんありがとう」っていってた。
・・・全然ありがとうじゃねーよ・・・俺たちがお前らの親を追いつめたのに。
俺を含めて何人かは、この後仕事を抜けた。
ただ、救われたのは、こいつらの親がきちんと出てきた事だった。
さすがに頭に来たオレが「申し訳ないですが、出て行ってもらえますか?」
と啖呵をきった瞬間、オレの肩をポンと叩いて前に割って入る男性がいた
男性は腕まくりをして見事な刺青を見せ付け、傍若無人な若者たちの前に立つと
「オイ、にいちゃんら はよおうちに帰って、テレビでも見とかんかい!」と一喝
彼等は黙ってスゴスゴと、埃一つ付いてない国産高級車で帰っていった
その後、ヤのつくヒトであろう男性は帰り際、 「店員さんはケンカしちゃいかんよ、そういうのはワシらの仕事やからw」
「食事ありがとう、おいしかったよ」と言って店を後にした
その時の男性の埃まみれのパンチパーマにヒビの入ったサングラス、
少し足を引きずって歩いて帰っていく姿が印象的だった
72:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:26:58.90 ID:h4SsIvV4O
あまのじゃくのコピペくださいな
僕が泣いてるから君は笑ってるって感じでしめるやつ
やあマーティー (´・ω・`)
私の計算通りなら 君はデロリアンが落雷を受けた直後にこれを受け取るはずだ
心配してると思うがこのテキーラはサービスだからまず飲んで落ち着いて欲しい
落雷の放電により デロリアンのタイムサーキットに過度の負担がかかり
乱れたコンデンサーの働きで 私は1885年に飛ばされたのだ この過度の負担により
タイムサーキットと飛行サーキットも破壊され 二度とこのマシンで飛ぶことは出来ないだろう
私は今 バーボンハウスを開業している 言葉では言い表せない「ときめき」みたいな
そういう気持ちを忘れないで欲しい そう思って始めた仕事だが残念ながら顰蹙をかったようだ
仏の顔もって言うしね 謝って許してもらおうとも思っていない
デロリアンはブートヒルの古い墓地に隣接するデルラルト鉱山の廃坑に埋めた(同封の地図参照の事)
君が1955年に掘り起こすまで 人目に触れず現状のまま保存されることを期待している
車の中に修理方法の指示書を入れておいた
1955年の私の分身ならば修理は簡単……うん「また」なんだ 済まない
最後に重ねて言うが決して私を迎えに来ないでくれ 澄んだ空気と広々とした土地が小生大いに気にいっている
思うに不必要なタイムトラベルは宇宙時間の繋がりが断絶する危険を招くだけだ
ただ気になるのはアインシュタインの事 どうか良く面倒を見てやってくれ
散歩は週2回 缶詰のドッグフードが好物だ
私の遺言と思ってすべてこの手紙の通りにして欲しい
ではマーティー とうとう君に別れを言う時が来たようだ
君は常に誠実でやさしい友達で私の人生を大きく変えた 君との友情は小生の宝だ
数々の楽しい思い出をいつまでも大切にこの胸にしまっておこう
そう思ってこのスレを立てたんだ
真実の友 ドクター・エメット・ブラウン 1855年9月1日
98:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:49:22.05 ID:LX0TsV0cO
523 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/23(木) 17:10:18.35 ID:ieOckhLB0
俺のカーチャンは中1のとき死んだ
俺が小学生のときからカーチャンは
「中学生になったら電車も大人料金になるんだよ、 社会では大人として見なされるんだよ」
とよく言っていた
「中学生になったら大人なんだからなんでも自分でやらなきゃいけないんだよ」という
言葉通り俺が中学に入った瞬間カーチャンはその役目を終えるように死んだ
その代わり俺が小学生のうちから教育という教育は何でもしてくれた
教養にしろ礼儀にしろ人が生きていくうえで必要なものはすべて教えてくれたと思う
大学生になった俺だがお陰で今も
「礼儀がいいねえ」とか「綺麗な敬語を使うね」とか褒められる
お世辞なのかもしれんが俺はそういわれるたびにカーチャンを思い出す。
99:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:51:37.04 ID:BFHuN3Ow0
360 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/03/12(水) 10:30:53
土曜日、一人娘の結婚式だったんさ。
当時俺25歳、嫁33歳、娘13歳。
まぁ、要するに嫁の連れ子だったんだけど。
娘も大きかったから、多少ギクシャクしながらも数年過ぎた。
子供はあえてつくらなかった。
収入の問題もあったけど、娘の気持ちを考えたら、
子供は娘1人いればいいって事になった。
突然嫁が交通事故で逝った。
娘17の時。
突然2人きりになった&現実味がなくて二人して呆然。
これからどうしようと思った。
生活の面では収入も安定してたし、娘も家事の一通りは出来た。
何の問題もないはずだったけど、嫁側親戚が騒ぎ立てた。
そらそーか。
血の繋がらない29の男と17の女。
ある意味カップルでもおかしくない歳の差だもんな。
「あなたはまだ若いんだから」とか、
「再婚するにも子供がいちゃ・・・しかも自分の子供じゃないのに・・・」
とか、散々言われた。
でも、俺は間違いなく娘は俺の娘だと思ってた。
何よりも、嫁のたった一人の忘れ形見だ。
俺が育てて行く以外の選択肢は全く頭になかった。
そんな親戚の騒ぎは右から左に流した。
娘も「今更こんな足の臭いオッサンとどーにかなるかw」と笑ってた。
当たり前の様に言う娘の気持ちが嬉しかった。
100:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:51:58.00 ID:BFHuN3Ow0
やっぱり影であらぬ噂を立てられた事もあった。
三者懇談や進路面談で学校に行くと、必ず教師に変な顔をされた。
部活で遅くなった娘を迎えに行って「お宅の生徒が円光をしている」と
近隣住民から学校に通報された事もある。
それでも2人で暮らして来た。
再婚なんか考えた事もなかった。
それくらい娘には穏やかな、幸せな時間を与えてもらってた。
361 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/03/12(水) 10:31:46
娘に話があると言われた。
「結婚したい人がいる。」と。
娘は25になってた。
俺が嫁と結婚したのと同じ歳。
正直複雑な心境だった。
次の日曜に相手の男に会った。
娘を見る目が優しかった。
こいつなら大丈夫だと思った。
安心した。
諦めもついた。(笑)
101:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:52:07.48 ID:BFHuN3Ow0
あっという間に披露宴だ。
「お母さんが亡くなった時、本当にどうしようかと思った。
お父さんはまだ若かったから、私がいたら絶対に足枷になると思ってた。
だから、これからも一緒に暮らすのが当たり前みたいな態度でいてくれたのが
本当に本当に嬉しかった。
私のお父さんは、お父さんだけです。
今まで本当にありがとう。
お母さんが亡くなってからも、今までずっと幸せな子のままでいられたのは
お父さんがお父さんだったからです。」
娘がしゃくりあげながら読む花嫁からの手紙を聞いてたら
バージンロード一緒に歩いてた時点で必死で堪えてた涙がどっと溢れた。
娘が出て行く前に、箪笥の引き出し一つ一つに
「ぱんつ」「しゃつ」「とれーなー」「くつした」とか書いた紙をはっつけていった。
そこまで俺自分で何も出来ない父親かよwww
しかも平仮名www
近いうち娘に良く似た孫とか出来ちゃうんだろうな。
そんで「俺まだじーちゃんとかいう歳じゃねーし」とか言っちゃうんだろうな。
俺、間違ってなかった。
大変だったけど、父親って立場、選んでよかった。
嫁と結婚して良かった。
娘の父親になって良かった。
1人になって部屋は何か広くなっちゃったけど。
微妙な抜け殻感は否めないけど。
今度はいつか生まれて来る孫の為に頑張ってみようかな。
102:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:52:38.32 ID:LX0TsV0cO
今日、息子が俺を「とおしゃん」と呼んだ。
成長が遅れ気味かもしれないと言われていて、言葉も遅かったから、不覚にも息が出来なくなるくらい泣いた。
嫁か息子か選べと言われた時、最後まで諦めずに運に賭けてみようと言った時、実は内心楽観的だった。
医学は発達してるし。嫁の病気での致死率は何千人に一人だし。育たないかもと言われた息子は臨月まで何の問題もなく育った。
それでも息子の誕生日は嫁の命日になった。
嫁を選んでいればと考えない日はなかった。正直に言うと今でも時々考える。
でも、こう言う日は息子を選んだこともまた幸せなんだと、心の底から思う。
さあ、今度は、「母さん」って言葉を教えてやろう。
携帯から長文でごめんな。
酒入ってるし、浮かれすぎか。
104:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:56:14.65 ID:LX0TsV0cO
遠足の日、お昼ご飯の時間になり、子供たちの様子を見回って歩いていた時、
向こうの方でとても鮮やかなものが目に入ってきました。
何だろうと思って近づいて行くと小学校三年生の女の子のお弁当でした。
中を覗いて見ると、お花でびっしりのお弁当箱でした。
実は、その女の子の家庭は、お母さんとお父さんとその女の子の三人の生活でした。
しかし、遠足の数週間前に、お母さんは交通事故で亡くなってしまったのです。
それ以来、お父さんと女の子の生活が始まりました。
お父さんの仕事はタクシーの運転手さん。
一日交代の勤務で遠足の当日は勤務の日でした。
でも、お父さんは炊飯器でご飯だけは炊いてくれていました。
女の子は一人で起きてご飯を弁当箱につめます。
おかずは自分で作らなければなりません。
家にあるのは梅干とたくわん。そこで、おかずを作り始めます。
小学三年生の女の子にできたのは、ぐじゃぐじゃの卵焼きだけでした。
そのぐじゃぐじゃの卵焼きを白いご飯に入れたとき
女の子はお母さんが生きていた頃のことを思い出します。
お母さんが生きていた頃は、とても素敵なお弁当を作ってくれました。
同時に今日もって来るお友達のお弁当箱が気になり始めます。
お母さんが作ってくれる可愛らしい綺麗なお弁当。
そう思って自分のお弁当箱をのぞいた時
真っ白いご飯に黄色のぐじゃぐじゃの卵焼きだけ。
女の子は思わずお母さんの仏壇の前に行き
仏壇にさしてあったお花をちぎって持ってきて
自分のお弁当箱に入れ
びっしりとお花で埋め尽くしたお弁当箱を持って来ていたのです。
この女の子の担任は、遠足から帰ると大声で泣きました。
この子の生活を十分知っていた自分であったはずなのに
実はしっていたつもりでしかなかった悔しさで、泣き続けたのです。
105:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:57:59.40 ID:BFHuN3Ow0
バスの中で、10歳ちょっとくらい?の子供と30代くらいの美人なお姉さん
(最初お母さんかと思ったけど違った)
子供が椅子の背凭れ睨みながらボタボタ泣いてる
その背中をお姉さんがトントンってたたきながら
姉「大丈夫。大丈夫。お母さんは大丈夫。大丈夫」
って言い続けてる
あんまり低い声で真剣な顔で言ってて、事情がありそうだったんで
バスの中がシーンとしてた
子「お、」
姉「大丈夫」
子「俺どうなんの」
姉「お母さんは大丈夫」
子「ダメかも、もうダメかも、だって皆、ダメって言ってたし、」
姉「大丈夫」
子「お母さん死ぬ?俺一人になる?」
姉「どうしようもなくなったらおばちゃんがお前一人くらい育て上げてやる。
だからお母さんは大丈夫ってだけ考えときなさい」
子「俺居たら余計嫁に行けなくなるよ」
姉「うっさい。居なくても行けてないんだから居たって一緒です。お母さんは?」
子「……」
姉「お母さんは?」
子「大丈夫」
姉「うん」
二人がバス降りるとき総合病院前だった、
運転手さんが「お母さんは大丈夫」って言ってあげたのを期に バスの皆が「大丈夫!」「絶対大丈夫!」って言ってた
私も言ったし、お母さんがどうしたのかわかんないけど 大丈夫であってほしいと思った
107:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:59:32.23 ID:ODdalaWfO
あの…どなたか
夫→入院→妻→妊娠発覚?→ゴルァの顔文字いっぱいのやつ貼ってくれませんか?
179 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 02:24:33.85 ID:BtjbHgN90
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていたので、父が帰宅する前に帰ってしまいたいということもあり日帰りにし、
ひいては家から通えない距離の学校を選んだのも理由の一つだった。
父が、「なんだお前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、
「そうか・・・」と言いながら手に持っていた ドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
電車の中ではさすがに食べられないと思いながらも受け取った。
駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。 でも、私が9個貰っても食べきれないよ・・・
箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも
切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯直後の干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、もう一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた・・・。
109:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:02:13.03 ID:BFHuN3Ow0
去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。
「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」
萌えないかもしれないけれど、このページに集まってくれている人に
読んでほしかった。
父さん、おつかれさま。そして、ありがとう。
110:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:03:13.81 ID:LX0TsV0cO
ちょっと前に、おばあちゃんが死にました。
クモ膜下出血でした。
小学生の頃は両親が共働きで、家にはおばあちゃんしか居ませんでした。
私はおばあちゃんが大好きで大好きで、いつもおばあちゃんの部屋にいました。
学校の家庭科の授業で「小物作り」をしたときも、私は葡萄の剪定をする鋏を入れる袋を作っておばあちゃんにあげました。肩たたきは毎日していました。
それくらいおばあちゃんが大好きでした。
高校に上がって暫くすると、おばあちゃんに認知症の症状が出てきました。
デイサービスに行くようになって、楽しそうにしているのは良かったのですが。
迎えのバスを、7時くらいからずっと外に出て待っていたりするのです、。来るのは9時なのに。「まだバスは来ないよ」と声をかけても、「草取りをするから…」と言って聞きません。
他にもいろいろなこと。何度言っても聞かないので、段々おばあちゃんがムカついてきました。
あまりおばあちゃんと話す事もなくなりました。
トイレを失敗するような事はありませんが、それえでも介護する母のストレスは物凄かったようです。
111:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:04:15.89 ID:LX0TsV0cO
大学2年のとき、おばあちゃんはグループホームに入りました。それから暫くして、おばあちゃんはグループホームで亡くなりました。
私は大学の実習があったので、死に目には会えませんでした。
お葬式も終わって、グループホームの荷物を家族で引き取りに行きました。
服、下着、布団、テレビ。
引き出しを開けると、大きめの茶封筒が入っていました。
中には、私の写真が沢山入っていました。
病院でおばあちゃんにだっこされている写真。七五三の写真。入園式の写真。入学式の写真、卒業式の写真。
おばあちゃんに送った、鋏入れも入っていました。それから、私が小学生の頃に描いた、おばあちゃんの絵。「おばあちゃんだいすき」と書かれた、私の拙い字。
家に帰ってから、母が言いました。
「おばあちゃんにだっこされた孫は、アンタだけだったんよ」
「他にも孫は4人おるけどな、みんなだっこなんかされてなかったよ」
「グループホームの職員さんにもな、アンタの話しかしてなかったみたい」
「『頭の良い自慢の孫』って言っとったらしいよ」
おばあちゃん、ごめんね。
あんなに大好きだったのに、私はそれを忘れていました。
大好きです、おばあちゃん。
大好きです。大好きです。大好きです。
112:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:04:34.62 ID:BFHuN3Ow0
入社4年目で初めての結婚記念日の日。社内でトラブルが発生した。
下手したら全員会社に泊まりになるかも知れないという修羅場なのに、結婚記念日なので帰らしてくださいとは絶対に言えなかった。
5時を回った頃、T課長が俺を呼びつけ、封筒を渡して、
「これをK物産に届けろ」
と言う。K物産は、隣の県にある得意先で、今から車で出ても8時までに着けるかどうかすら分からない。
「届けたら直帰していいから」と言うが、直帰も何も、K物産に届けて家まで帰ったら、きっと11時は過ぎるだろう。
文句を言いたかったが、
「わかりました」
と言って封筒を預かった。中身を見ようとすると
「中身は車の中で見ろ。さっさと行け!」
とつれないT課長。不満たらたらの声で
「行ってきます」
というと、課内の同情の目に送られて駐車場へ向かった。車に乗り込み、封筒を開けると、一枚の紙切れが。
「結婚記念日おめでとう。今日はこのまま帰りなさい」
と書かれていた。会社に入って初めて泣いた。
その翌年、T課長は実家の家業を継ぐために退社した。送別会の席でお礼を言ったら
「そんなことあったか?」
と空とぼけていた。T課長、お元気でおられるだろうか。
117:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:08:48.03 ID:LX0TsV0cO
ペットネタだけど、あいつは、俺にとってペットではなく、妹だった。
昔、一匹の猫を拾った。
雨の中で、小さな段ボールの中に、牛乳とパンが置いてあった。
寒さで凍えそうになっていた、あいつを抱きかかえて、あの日から21年。
8月の最期の日、出会いの日と同じ雨の日に、愛猫は旅立っていった。
その後の事は、自分でもよく覚えていない。
何も感じない時間と、胸が押しつぶされるような悲しみと寂しさが交互にやってきた。
そして、迎えた月曜日。
どうしても、立ち上がる事が出来ず、俺は会社を休んでベッドで横になっていた。
どうしても、家にいなければいけないと感じた。
いつの間にか眠ってしまっていたんだと思う。
俺は、夢の中で、繁華街の裏路地のような所に立っていた。
月明かりが綺麗で、音は何も聞こえない。
その路地に、旅立ったはずの愛猫の姿があった。
歩み寄って、逃げてしまわないか心配しながら、あいつの名前を呼ぶと、あいつは、俺の足をよじのぼり、抱きしめるようにお腹をペタリとくっつけて来た。
そこから流れ込んでくる「ありがとう」と「幸せだったよ」の言葉。
しばらく、そうしていた愛猫は、やがて細い路地へ歩いて行った。
俺が、彼女の名前を叫ぶように呼ぶと、まるで名残惜しそうに、こっちを一回だけ振り向いて、その細い路地の奥へ消えていった。
心霊じゃないかもしれない。
だけど、きっと、愛猫がお別れを言いに来てくれたんだと思う。
118:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:09:50.49 ID:LX0TsV0cO
俺はこれからを、どうしたらいいのか分からないけど、天国へ行けるように、とにかく何かを頑張って、いつか虹の橋で、彼女を抱きしめてあげたい。
あの夢を見てから、今まで信じていなかった魂とか、そういうものを何となく信じるようになった。
今までやった事もない、仏壇へのお祈りは、毎日欠かしません。
ありがとう。俺の妹。
君は、命を終えてからも沢山の事を教えてくれる。
俺は今、とても幸せです。
120:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:13:33.85 ID:BFHuN3Ow0
「プロ野球の存在意義は、その街の人々の暮らしが少し彩られたり、
単調な生活がちょっとだけ豊かになることに他ならない。」
新庄剛志
124:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:17:13.64 ID:BFHuN3Ow0
6 :名無し募集中。。。:2009/12/06(日) 01:29:26.98 0
まだ北海道に冬の寒さが残る3月、新庄はこっそりと、重病に伏した少女を見舞った。
大の新庄ファンだったその子に「君さ、すごくかわいいよ。きっと大人になったらモデル
になれる。絶対に治るから」と、新庄らしい言葉で励ました。
パソコンのカバーにサインをして「今日は君のためにホームランを打つよ」と予告して、
本当にその日の試合でホームランを打ってしまった。
その少女は、あこがれのスターから勇気をもらったと言ってはしゃいだ。ただ、いたずら
な病魔が進むのは早かった。シーズンが開幕してから、その少女は天国に逝った。
最後に「1%でも生きることのできる可能性があるなら」と米国の病院に移ることを決意
したが、異国でその命を絶たれた。
ショックを受けた新庄はひどく落ち込んだ。「応援してくれてるファンを裏切りたくないか
ら」。笑顔のすてきだった少女へ、そしてプロ野球ファンへ??。パ・リーグを盛り上げ
たいと人一倍思う男が、野球の素晴らしさを自らのパフォーマンスで体言した。
121:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:13:56.53 ID:LX0TsV0cO
俺の近所に住んでた爺さんの話。
一人暮らしだった爺さんは子供好きで、
ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。
卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって
入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」は
たくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。
122:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:15:17.37 ID:LX0TsV0cO
・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。
「若、ご立派になられましたな。」
もう意識が戻ることはないと聞かされていた俺、
そしてソレを言った当の本人である看護士。
二人して悲鳴をあげるほどビックリした。
付き添いで来ていたオカンなどは腰を抜かしたほどである。
直ちに医師が呼ばれ「じい」の意識回復の検査が行われたが、
その頃には再び「じい」の目は閉じられていた。
そして結局、それっきり目覚めることのないまま半月後、
「じい」は永遠の眠りについてしまったのだった。
後に医師から聞かされた話なのだが、「じい」が脳に負った障害は重く、
そこから意識が回復した例は聞いたことがない、
というかまずあり得ないということであった。
だがあの場にいた俺は、オカンは、看護士は、
確かにその《あり得ない事態》を見た。そして聞いたのだ。
「アンタに会うために目を覚ましたんだろうね。」
とは腰を抜かしてたオカンの談である。
そして「じい」の残してくれた言葉に恥じぬようになろうと
心に誓ったものの 結局こんな時間から2chに入り浸ってるような、
天国の「じい」に申し訳ない俺なのであった。
125:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:22:26.74 ID:LX0TsV0cO
脳梗塞で入退院を繰り返していた祖父
私たち家族は以前からの本人の希望通り、医師から余命があとわずかであることを知らされていたが、祖父には告知しないでいた。
「元気になって、またみんなで楽しく暮らそうね」
祖父を見舞った際の合い言葉のようでもあった。
祖父の1周忌が過ぎた頃、父が祖母に1通の手紙を手渡した。
祖母の心の落ち着きを待ってのことだった。
衰弱し、震える手で書かれた文字は書道で師範格であった祖父が書いたとは思えない程弱々しかったが、文面から感じられる優しさ、慈しみが祖父のそれであった。
「おばあちゃん元気
ともに過ごした時間は永いようで短い50年でしたね
また機会があればいっしょに暮らしたいものです」
祖父が書いた最初で最後のラブレターである。
126:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:22:35.92 ID:BFHuN3Ow0
腹違いの兄貴が居る。
俺小学5年、兄貴大学生の時に子連れ同士の再婚。
一回り近く年が離れていたせいか、何だか打ち解けられないまま。
大学入試の時、入学金の事親に言えないでいたら、兄貴が知らない内に払っていた。
俺「気を遣わないでよ。いざとなれば働けば…」
兄貴「馬鹿野郎。俺はお前の兄ちゃんだ。」後でちょっと泣いた。
姪っ子が大怪我した時、限界まで輸血した。
兄貴「もういい止めろ。死んでしまう」
俺「うるさい。俺は○子の叔父さんだ」義姉共々泣かした。お返しだ。ザマミロ。
姪っ子の結婚式の時、「私にはお父さんとお母さんと、叔父さんの血が流れています」
って言われて図らずも号泣。兄貴夫婦以上に号泣。大恥かいた。
○子綺麗だったなあ…。
129:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:27:36.25 ID:LX0TsV0cO
俺にはベルと言う10年以上も一緒に暮らしてきた犬がいました。
いつも元気だったベルがある日夜遅く突然床に倒れこんで動かなくなってしまいました。
すぐ病院に連れていって診てもらい検査をしてもらったら癌だと言われました。
手術をし癌をとり除いたのですが悪性の癌だったらしく、もう永くは無いかもしれないよと先生に言われました。
何とか無事に退院したもののやはり昔ほど元気では無くなっていました。
調度その頃家の近くにミニチュアダックスフントが捨ててあり家に届けられしょうがないので家で飼うことになりました。
ベルはそこまで新しくきた犬を好きではなかったみたいではあったのですがそれなりには可愛がっていました。
それから2カ月ほどたったらベルは突然目が見えなくなってしまい歩くのも困難になってしまいた。
毎日看病していましたが容態は悪くなる一方でした。
ある日ついにベルは動けなくなり寝たきりの状態になってしまいた。
するとミニチュアダックスフントは一日中側にいて時折見えなくなってしまった目を舐めてあげていました。
ベルは嫌がらずとても安心した顔をしていました。
131:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:30:06.75 ID:LX0TsV0cO
次の日ベルの呼吸は突然荒くなり息をするのも辛そうでした。
先生にきくと今はまだそこまで辛くは無いけどこれからどんどん辛くなりますよと言われた。
家族で相談して遂にベルを安楽死させることにした。
俺はとても辛かったがこれ以上苦しむベルはみたくは無かった。
そしてその日家族に見守らながら11月3日ベルは眠るように息を引き取った。
母親はその日一日中泣いていたが何故か俺は泣けなかった。
悲しいけれど涙がでてこなかったのだ。
次の日にベルを火葬場に持って行って火葬してもらった。
そして骨になったベルを見たら涙が出てしまった。
ベルが死んだことをその時まで受け入れる事が出来なかったのだと思う。
その後いなくなったベルを必死に家中捜すミニチュアダックスフントを見るのがとても悲しかった。
133:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:32:34.12 ID:LX0TsV0cO
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて
窓際に置いておいたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの
便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と
「ガンがなおるおくすり」
と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで
「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って
「ねえ!サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの!早く飲んでみて!」
っていって、夫に薬を飲ませた。
135:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:33:45.24 ID:LX0TsV0cO
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」
……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように
鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。
137:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:39:39.16 ID:BFHuN3Ow0
俺が小学校に上がる前に離婚し、母は女手1つで俺を育ててくれた。
父と結婚する前仕事らしい仕事もしたことがなかった母は
お弁当屋の調理やコンビニエンスストアのレジなどのパート勤務で生計を立てていた。
当然家は貧しく、俺は高校を卒業したものの、バブルがはじけ最悪の不景気で、就職もできず家でぶらぶらしてばかりいた。
そんな俺に母親は「そのうちいい仕事が見つかるよ^^」と独り言のように呟いては無理に明るく笑いかけていた。
ある日、母は「パソコンぐらい使えないと就職も難しいのかね?パソコン買おうか?」と言い、俺を電器屋に連れていった。
パソコンのことは何も知らない母と俺は店員に勧められたパソコンを買い
インターネット接続の作業も頼んで店を後にした。
帰るとき母親は「25万円かー、こんな大金を使うのは父さんが死んで初めてだねw」と笑った。
新たに増えた月々15000円のローン返済のために母は、パートを増やし夜遅くまで働くようになった。
俺の方は無料で遊べるネットゲームを見つけ、その面白さに魅せられ、来る日も来る日もひたすらネトゲばかりしていた。
いつもパソコンに向かっている俺を、パソコンの学習と思い込んだ母親は「パソコン上手になった?いい仕事が見つかるといいね」と
言っては笑ってた。毎日働きづめの母親の笑い顔はどこか疲れていて
俺はその笑顔を見るとゲームばかりやっている自分が情けなくなった。
そんなある日、母の仕事先から電話があった。
母が倒れて救急車で病院に運ばれたとのことだった。俺は急いで病院に向かった。
ボロボロの自転車を1時間あまりこぎ続けて、ようやく病院に着いた。
心配している俺に向かって母親はベッドから起き上がり、「ただの過労だよ。」と笑った。
「自転車で来たの?ここまで来るの大変だったでしょ?パソコン上手になって
いい仕事が見つかったら新しい自動車も買えるからね。」と言いながら、細い腕を伸ばして汗だくの俺の額をタオルで拭いてくれた。
138:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:39:50.85 ID:BFHuN3Ow0
病院まで遠いこともあって、俺はそれ以降は病院に行かずに、
母親の世話は近所のおばさんに任せっぱなしにして、母のことを気がかりになっていたもの
相変わらずゲームにのめりこんでいた。
母が入院して5日後、病院から精密検査の結果をお伝えしますからという電話があり、俺はボロボロの自転車で向かった。
5日ぶりに会った母親はいよいよ元気がなく、俺は妙な不安を覚えた。母親との面会の後、診療時間を過ぎた診察室に通らされた
俺は、担当の医師から母親が急性白血病であと3ヶ月あまりの余命だということを聞かされた。
頭の中が真っ白になった。母親に負担をかけっぱなしで、最近は母親の期待を裏切って
ゲームばかりしている自分が情けなくて、馬鹿すぎて、涙がこみあげてきた。
医師は「患者さんに動揺を察しられるといけませんから今日はこのまま帰った方がいいでしょう」と言われ
母になにもつげずに家路に着いた
俺はずっと泣きながら自転車をこいだ。
家に着くと俺はすぐにRMTで自分のアカウントやアイテムを全部売りに出した。
かなりの安値なのですぐに買い手は見つかった。
翌日、自分のちっぽけな郵便預金口座から振り込まれた8万円を引き出し、
母が大好きなチーズケーキと生クリームがのったプリンをケーキ屋で買い綺麗に包装をしてもらい
病室を訪れた。
日に日に日やつれていく母はチーズケーキを見ると驚いて「お金はどうしたの?」とたずねた。
「ネットのパソコンのバイトで8万円ほど手に入ったから」と俺は嘘をついた。
母は心から嬉しそうににっこり笑って「パソコン上手になったからいい仕事が見つかったんだね、がんばってね^^」と言った。
「自転車もいいの買えるね、あとは自動車の免許をとって車を買うのに無駄遣いはしないでね」と続けて言い、おいしそうにプリンを食べた。
自分の体が日に日にやつれていくのに「体は大丈夫?ちゃんとご飯食べてる?風邪ひいてない?」
と俺の心配ばかりしてくれた。
139:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:40:01.48 ID:BFHuN3Ow0
入院してから2ヶ月ほどが過ぎた日の朝、いよいよ母はきびしくなった。
朝すぐに病院から呼び出され俺がかけつけると、苦しそうにハアハアと息をする母がいた。
かけつけてからずっと母の手を握り締めた。
たまに薄く目を開け俺に何か言いたそうにするのだが、聞けることはなかった。
ただずっと泣いてばかりの俺の手を母は、優しくさすってくれた
死ぬ間際だというのに、すっげー苦しいそうなのに、泣いてる俺を励まそうとしてくれた・・・
その日の午後、母は俺の手を握りながら息を引き取った
母の遺体が安置室に運ばれ、がらんとした病室で小物類を片付けていると、看護婦さんが俺を慰めようと優しく声をかけた。
「パソコン得意なんですってね、お母さんは毎日のように自慢してたわ」
俺はその言葉を聞くやいなや涙がこみ上げてきた。そして体を震わせて大声を上げて看護婦さんの前で泣き続けた・・・・・・・
140:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:41:23.40 ID:BFHuN3Ow0
197 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 03:09:46.29 ID:woaFLZ+Y0
阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。
阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口~夙川間の高架部分の再開によって、
ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。
夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。
「あ り が と う は ん き ゅ う で ん し ゃ」
運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。
ときよ、上越新幹線よ、もまいを待っている人々がいる。
復興のために、そして人と人をつなぐために、よみがえれ、不死鳥のごとく。
141:1/2:2011/04/19(火) 05:44:33.58 ID:qD9gUH9L0
東北の豪雪地帯生まれ、小学効2年の時3つ上の兄と裏山でそり遊びをしていて
俺が雪の中の石につまずき兄をそりごとがけから落とし死なす。
家督を継ぐ兄貴を愛していた父親は発狂し俺を納屋に3週間ほど閉じ込める
食べ物は母親が持って来てたが寒さのあまり凍傷で足と手の指が何本か動かなくなる
納屋から出された時には兄の葬式などは終わっていて俺は父親に殴られて暮らす。
春に小学校がはじまり親に指が動かない事は大人に言うなといわれていたので
先生にどうしたの?と聞かれても何も答えなかったが友人にちくられ学校問題に
おせっかいなおばさん先生が警察に通報したため親は逮捕、俺は施設に引き取られる。
警察が来た時父親にお前を一生許さないといわれる
小学校は養育院から行き中学に上がると施設が変わる。
142:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:44:37.96 ID:dksOpD8JP
朝方にこんなスレ見たらバカみたいに泣けるな
阪神淡路大震災のは少女が自衛隊に敬礼されるのがもうね
中学の記憶は一切無し、気がつくと15歳で病院で天井見てた
体中に熱したものを押し付けた跡があり左乳首が削り取られてた
それと先端恐怖症になっていて尖ったもの見ると何かを思い出しそうになり吐く。
多分施設と中学で酷くいじめられてたんだろうなと思う事にしてる
退院したら初見の中学の担任の先生が来て新聞配達屋を紹介してくれたので 埼玉の新聞配達屋へ、そこで10年働くが毎日何も考えずに過ごしたためあっという間だった。
配達先のおっちゃんに気に入られ今度できる工場で働かないかといわれ働く事に。
そこで出会った人たちにぼそりと生い立ちの話をしたら飲み会で全員泣かせてしまう
次の日同僚のおっちゃん達が「若いからこういうの興味あるだろ」と酷く古いパソコンくれたり炊飯器くれたりしたのではじめて人の温かさに触れた
しょく場の知的上司にパソコンの使い方などを教えてもらいはじめて女の裸を見て衝撃を受ける
そこで俺は勘違いし不幸話をすれば構ってもらえると常に自分の不幸自慢をしうざがられる
残りの指がうごかなくなり工場でお荷物扱いになる、
優しくしてた人達からも白い目で見られるようになり今年の春に自主退社、優しくしてくれた人たちから悪口言われるのは どんな時よりも辛かった
だけどまだ工場に誘ってくれたおっちゃんが借りてくれてるアパートに住んでる
ネット代もそちら持ち、仕事を探すも指無し学歴無しで見つからず2ちゃんで大学行きたくないという
書き込みを見てぼろぼろ泣いている自分にびっくりした、別に人それぞれだけどそんな事が酷く羨ましい
ファミリーレストランやマクドナルドに28になるまで行った事が無い、遊園地やゲームセンターやカラオケも。
最近2週間寝ないで1週間寝たりと生活が不規則になり父親が俺たち兄弟に雪でカマクラ作ってくれたり
昔楽しかった事ばかり思い出すも中学の時のこと?かなにか知らないがそこも思い出しそうになり吐き転がる
父母を捜すも行方はわからない、許してもくれないだろう。そんな感じ。
以前にちゃんでこのこと書いたら嘘つけといわれたので嘘だと思うなら嘘だと思って。
146:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:48:29.10 ID:qD9gUH9L0
昔、当時中学生の弟が学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた。
失恋でもしたのかと聞いたら、小学校からの女の子の友達が今日から登校するようになったからだ、と。
彼女は今まで病気で入院しており、薬の副作用で髪の毛が全部抜けてしまったらしい。
「女が丸坊主じゃ恥ずかしいって言ってたし、だったら他にも丸坊主がいりゃいいかなと思って。
野球部の奴等は元々丸坊主だけど、野球部じゃない丸坊主がいた方がいい」
と弟は言っていた。
翌日、丸坊主で登校した弟は帰宅するなり「同じ事考えた奴が一杯いた……」と。
なんでも優等生から茶髪問題児を含め、クラスの男子全員が丸坊主かそれに近い頭になっており、
病気の子と仲が良い女の子達までベリーショート、一人は完全な丸坊主になってたらしい。
更に担任の先生(男性)まで丸坊主。
丸坊主だらけの教室で、病気の子は爆笑しながら「ありがとうありがとう」と泣いたという。
示し合わせたわけでもないのに、全員同じ事考える当時の弟のクラスに和んだ。
ちなみに病気の子は今も健在、弟は意外に丸坊主が気に入ったらしく、それからずっと丸坊主。
149:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:53:15.96 ID:qD9gUH9L0
我家は母子家庭。
もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば
生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。
ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が珍しく
超々安物の指輪を気に入って購入した夜。
私「ねえ、これかわいいでしょ~?」(本当に気に入ってたから)
小4の息子「買ったの?」
私「うん、どう?」
息子「高かった?」
私「まっさかーー、500円だったかな」
その後、何故か息子は下を向いて黙ってしまい
どうしたのかと思ってたら
「俺が大きくなったら、すっごい高い指輪買ってあげるから」
って涙ふきふき言われてしまいました。
買えないから買わないのももちろんあるけど、我慢するほど
そういうのが欲しい私ではなかったのに
息子は、きっと勘違いしちゃったんだろうなって。
でもそんな気持ちが嬉しくて、私も泣き笑いしちゃった。
これから先、何があってもこの子がいてくれたら
乗り越えていける、って改めて思わせてくれた夜でした
153:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:59:24.31 ID:BFHuN3Ow0
455 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2008/01/20(日) 03:28:14.74 ID:cBz0R3e/0
俺の職業は精神科医なんだが、この前ゾッとするようなケースに遭遇した。
俺の家の隣に、60代の夫婦と30歳ぐらいのその息子の三人家族が引越して来た。
息子はいわゆる引きこもりらしく、その姿を見かけることはあまりなかった。
まー、その家族の口からは聞けないが、そういう世間体とか気にして越して来たんだろう。
その息子は日が経つにつれ、外に出る回数も減り、いつしか全く部屋から出て来ない完全な引きこもりになってしまった。
毎晩のように、息子の部屋から母親の怒鳴り声が聞こえる。
玄関先で母親に顔合わせたりすると、笑顔で挨拶してくれるが、明らかにやつれて来ていた。
隣の息子を見なくなってから、半年くらい経ったある日、隣の父親の方が「明日家の方に来て欲しい」とお願いしてきた。
個人宅に訪問して診察したことはなかったが、近所付き合いもあったし、了承した。
そして次の日、その家を訪れると夫婦揃って出迎えてくれた。
「こちらです」と母親に案内され、息子の部屋の前まで来た。
母親が「開けるわよ!」とドアを開けるなり、「いつまで寝てるのよ!」と大声をあげながらベッドの布団を剥いだ。
その姿を見たとき、俺は驚愕した。
ベッドには、顔のない裸のマネキンが1体横たわっているだけだった。
そして、父親にこう言われた。
「診て欲しいのは、現実を受け止められない私の妻です」
154:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:59:56.16 ID:qD9gUH9L0
おれが小学生の時、事故で両親が死んだ。
その後親戚中をタライ回しにされた。
おれが「高校入学を機に1人暮らしを始めたいです」と言うと、親戚のヤツは「好きにしろ。」
と二つ返事で文字通りおれを放り出した。
金も貰った。300万。おれの家を売ったし貯金とかもっとあるはずだが、おれはなにも言わずにそこを飛び出した。
なによりその場所が耐えられなかった。
そして1人で暮らし始めた。そして高校2年の時に知り合った友達の家に初めて遊びに行った時。
時間が遅くなって晩ご飯をごちそうになることになった。
友達の家は、親父さん、お母さん、友達、弟の4人家族だった。
おれを入れて5人の食卓には、ごはん、味噌汁、にくじゃが、あとよく判らない煮魚みたいなものが並んだ。
おれは「うまい!うまい!」と連発して食べた。
友達「そうか~?こんなん普通だよ?」
おれ「なに言っとるんだ、こんなん毎日食べれるなんて羨ましいて!」
おれ「炊きたてゴハンなんてすっげーゼイタクだて!」
それを聞いていたお母さんが「○○くん、いつもどんなもの食べてるの?」と聞いてきた。
おれは「いつもバイト先でまかない食ってます。あと家だとおにぎりとかパンとか、ラーメンとかです」と答えた。
お母さん「・・・お母さんはいらっしゃらないの?」
おれ「あ、おれ両親いないんすよ。昔事故で・・・。ハハッ。(笑)」
なるべく気を使わせないようにサラッと言ったつもりだった。
ところがお母さんはいきなりおれの手を両手で握ってきた。
おれがビックリしてると、涙目で「○○くん、困ったことがあったらうちに来るのよ」って言った。
なんだか分からないけど、おれも泣けてきた。家族なんて欲しいと思ってなかったけど、その友達が本当に羨ましかった。
この時のめしの味が今でも忘れられない。
それからもそいつの家にはバイトの休みの日にゴハンを食べさしてもらいに行った。
いつもタダメシじゃ悪いから、一度お金を持っていったら、逆に怒られた。
「子供が余計な気を使わなくてもいい」って。
でもうれしかった。
155:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:02:22.80 ID:LX0TsV0cO
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とつい、きつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
156:1/2:2011/04/19(火) 06:02:38.42 ID:qD9gUH9L0
もうすぐカプ板卒業するので記念に書いてみる。
※長文注意
三年付き合った彼氏を親に紹介したら交際に大反対された。
そんな時、私の大好きな母方のじいちゃんが倒れて入院してしまった。
彼氏はそれを知って毎週じいちゃんのお見舞いに行ってくれた。
頼んだわけでもないのに、じいちゃんが入院してからお見舞い以外のデートはしなかった。
入院しているじいちゃんが退屈しないようにと一緒に料理を作って持って行ったり、綺麗な風景の写真を集めたりしてくれた。
何で他人のじいちゃんにそんなに良くしてくれるの?と聞くと、
『お前にとって大事な人は俺にとっても大事な人だよ。それに俺のじいちゃんはもう亡くなってるから、本当のじいちゃんみたいに思ってるw』
って言ってくれた。惚れ直した。
しばらく通ううちに看護師さんたちとも仲良くなったんだけど、ある時次のようなことを言われた。
『〇〇さん(祖父)はいいお孫さんに恵まれて幸せですねぇ、その恋人さんも素敵な方で羨ましいです、って言ったら、〇〇さん、
××くん(彼氏)がうちの孫娘を貰ってくれたら自分は思い残すことはない、あんないい青年はなかなかいない。
本当にいつも有り難いと思っている。
できることなら二人の結婚式に出席するまでは生きていたい、って言ってたわよ~』と…。
それを聞いた彼氏、嬉しいなーとか言いながら頭かいてた。(結婚の話はちらほら出ていました)
157:2/2:2011/04/19(火) 06:03:20.48 ID:qD9gUH9L0
翌週、いつものようにお見舞いの前に花屋さんに寄った。なぜかお見舞いの花だけでなくバラの花を買う彼氏。
どうしたんだろ?と思っていたら、病院の中庭に連れて行かれた。
いきなり『〇〇さん、世界で一番愛してます。僕と結婚してください。必ず幸せにします。』って言われて指輪とバラの花束渡された。
私号泣。そのままじいちゃんの病室へw
私の薬指で光る指輪を見て何かを悟ったじいちゃん…彼氏にありがとうありがとう言いながら泣き出したw
彼氏は照れながら『おじいちゃん、〇〇さんをありがとうございます。必ず幸せにします。
俺もじいちゃんって呼んでいいですか?ウヒヒ』とか言ってる。同じ部屋の患者さんたちにも拍手されて嬉しかった。
その足で私の実家に行って結婚の挨拶をしてくれたんだけど、両親は渋い顔。結局その日は許して貰えなかった。
しかし数日後両親の態度ががらりと変わって結婚を認めてくれた。
聞くところによると、喜び勇んだじいちゃんが私両親に電話→両親は反対する→じいちゃん両親を呼び出して説教
、という流れだったらしい。
じいちゃんはうちの両親に、
『〇〇(私)だけでなくそのまわりの人間も肉親のように大事にできる××くんは素晴らしい男だ、頭を下げてでも嫁に貰ってほしいくらいの青年だ。
80年生きてきた自分が言うのだから間違いない!』
と一喝したそうです。
先日それを聞いた彼氏、男泣きしてました。
ちょっと寒いし、身内と親しい知り合いだけの小さな式だけど、今週末は結婚式です。じいちゃんはもちろん出席です。
今度はひ孫を抱くまでは死ねんなぁ、とか言ってます。
私も彼氏のように、私や彼氏の周りの人たちを大事にしながら一生彼氏と生きていきます。幸せです。
長文失礼しました。
改めて私の周りの全ての方への感謝と、今後へのけじめをつけるためにも投下させていただきました。
皆様の幸せを心からお祈りします。
お読みいただきありがとうございました。
158:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:04:39.47 ID:LX0TsV0cO
ある病院でずっと入院している小学校一年の女の子がいた。
彼女の入院生活は長いので看護士さんか先生が彼女の勉強を見ていた。
先生「はい、じゃあ500円玉と10円玉、どちらが(価値が)大きいかな?」
女の子「10円玉」
先生「え?どうして?500円の方がいっぱいお菓子買えるよ?」
お女の子「だって10円玉があればお家のお母さんに電話が出来るもん」
159:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:05:10.56 ID:qD9gUH9L0
ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?
俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、計年間6日位なんだけどさ。
俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。
単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。
冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?
おまえらも数えてみ?
あと何日カーチャンに会える日がある?
161:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:07:00.54 ID:LX0TsV0cO
私が幼稚園のときに亡くなったお母さん。
当時ひらがなを覚えたての私が読めるように、
ひらがなオンリーの手紙を遺してくれた。
みいちゃんが
おかあさんのおなかにやってきてくれたあのひからずっと
おかあさんは せかいでいちばんのしあわせを
みいちゃんからもらっています。
おかあさんのだいすきなだいすきな だいじなだいじな みいちゃん。
こんどはみいちゃんが せかいでいちばんしあわせになってね。
お母さん、私、この秋に結婚するよ。
世界で一番幸せになるよ。
163:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:10:15.86 ID:BFHuN3Ow0
148 :恋人は名無しさん :2005/10/15(土) 16:31:08
待ち合わせた彼女を待ってて見かけたのは、大学生風のカップルだった
男が女の子の正面に立って、何かしきりに手を動かしてた。手話だ
彼はやっと手話を覚えたこと、覚えるのは結構大変だったこと
女の子を驚かせようとして、その日まで秘密にしてたことを伝え、
女の子の方は彼が勉強してることを知らなかったこと、本当に驚いたこと、嬉しいと思っていることを伝えて、そのうちもどかしくなったのか彼の手を握って2度3度、嬉しそうにその場でほんの少し飛び跳ねてみたりしてた
悪趣味な盗み聞きだとは解ってたけど、その時ようやく手話を使いこなせる様になったばかりの俺には、それは例えば外国の街で突然耳に入ってきた日本語が気になる様に、申し訳ないけどどうしても気になる光景だった
たぶん、俺はにやけてたと思う。怪しい奴に見えたかもしれない。
でも、それは微笑ましくて、こっちまで心があったかくなる光景だった
服の裾が引っ張られる感覚に振り返ると、そこに俺の彼女が来ていた
何を見てたのかとか、顔が嬉しそうだとか、もっとはやく私に気づけとか、微妙に頬を膨らませて、もの凄い勢いで手話を繰り出す彼女に、俺は手話でごめんなさいと伝え、ちょっと昔を思い出してたことを伝えた
それでも彼女は少し首を傾げ、その”昔”を知りたそうな表情だったけど、俺は笑ってごまかした
今目の前にいる女の子を驚かそうと、秘密で手話を勉強してた頃の事だ
……とは、恥ずかしくて言えなかった
165:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:10:57.17 ID:LX0TsV0cO
私の家族の話じゃないけど、
中学3年の時、幼稚園からの幼なじみの子のお母さんが
突然亡くなった。
お通夜はうちの母が手伝いに行き、私は告別式だけ出席した。
その子にはまだ幼稚園生の年の離れた弟がいるんだけど、
出棺の時にその子が棺にしがみついて
「おかあさぁ~ん!行かないで~僕を置いていかないで~
おかあさんなんでしんじゃったんだよ~またおみそ汁作って
よ~いい子にするから!」
って泣き叫んで、それを涙をこらえて必死に
「ほら、おかあさんこれから天国いくの、見送ろうね」と
弟を止める同級生の子がかわいそうで、私も大泣きした(泣
166:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:12:05.50 ID:LX0TsV0cO
病院での親子3人の会話は
「来年桜が咲く頃、和は小学生になるんだよ」
妻は来年の桜が見れそうも無い。
セミの鳴く帰り道、家の近くの公園で
俺と息子は夏に咲く桜の木を見た。満開だ。
わかってる。
あの時は疲れていたし、暑さで幻をみたのだろう。
それでも翌日、息子と一緒に病室の妻へ「夏にも桜が咲くんだね」
って興奮気味に話しをした。
妻は「夏に桜が咲くぐらいだもの、来年の桜だって簡単に見れちゃう」
笑って答えてくれた。
夏に桜が咲くのが奇跡なら
低血圧な妻に代わって、息子の弁当を作る俺の今の生活も奇跡
ってゆーか誰だよ!あの公園の木に悪戯した奴!
それともホントに奇跡か?やっぱり幻か?
今となってはどちらでもよい。ただ感謝感謝。
167:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:13:56.11 ID:BFHuN3Ow0
52 :恋人は名無しさん:2008/01/28(月) 22:02:36 ID:KVoEdhMa0
いつか彼女ができたら、映画みたいな
女の子が思いっきり背伸びしちゃう身長差なキスシーン、
やってみたいって密かに憧れてた
まあ実際は背低かったから無理なんだけど
実はこれがけっこうコンプレックスだった
で、高2の今頃の話
当時付き合い始めたばかりの、
並ぶとピタッと背が揃う同じ身長の彼女と街歩いてて、
モデルみたいなカッコいい身長差カップルを見かけた
後から考えたらその時きっと何か顔に出ちゃってたんだろな、
彼女いきなり小声で
「私はあんまり背が高い人は苦手だなぁ」
とか言い出して、それから
「だってさぁ、きっと疲れるよ?背伸びとかね」
その時の俺には話の脈絡が全然解らなくて
えーっと、何の話?とか聞こうと思って横向いたら
急に彼女の顔が近づいてきて、そのまま軽くさっとキスされた
びっくりしてドキドキして、ちょっと硬直してたら、
彼女恥ずかしそうに笑いながら、「ほらね?」だって。
もう何か唐突に、この子にもっともっと惚れられたいって
思ってしまった
168:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:15:49.38 ID:LX0TsV0cO
俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。
でも遠足などで弁当がいる時は、母さんががんばって作ってくれていた。
でも、小学校6年の時の遠足で、見た目が悪い母さんの弁当を友達に見られるのが嫌で、とうとう
「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない!!」 と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくてごめんねとしか言わなかった・・・・。
時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。
遠足の時に作ってくれたものとは味も見た目もよくなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。
と、思ったのもつかの間。
肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから3ヶ月しかたたぬうちに・・・。
母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺のために、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。
そして後日、その定食屋に行ってみた。
定食屋のおばちゃんと俺は直接のかかわりはないけど、やさしそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、 ハンバーグ。それの定食を頼んだ。
そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。
腕がまともに動かせないのに、がんばって作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とてもおいしかった
あのハンバーグの味。
169:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:17:01.89 ID:qD9gUH9L0
そうだね、面倒見切れないなら残念だけど施設に行ったほうが幸せかもしれない。
数年前、私の夫が99さんと同じくいきなり前妻の子供を引き取りたいって言ってきた。
前妻さんが、再婚する時も言われたそうだけど、もう私と結婚していて
「それは出来ない、お前が養育費出せ、子供を寄越せと言って来たんだから無理」
と私が知らない間に断ってた。
でも今回は再婚した前妻さんと前妻さんの現夫が子供を虐待してると聞いて
私に相談してきた。
私も、前妻さんの子供と仲良くやっていける自身はなかったけど、
初顔合わせの時、子供の顔を見て前妻さんに「私が引き取ります!」と言った。
面倒そうに連れられた前妻さんの子、長女は夏なのに長袖で、
腕と足には古いのと新しいのと混ざった、やけど、タバコの跡、赤と青の打撲痕。
暗い表情、汚れた服、虐待のオンパレードだった。
最初はご飯でさえ、びくびくしながら食べてた。
中にガラスや絵の具、ゴキブリが入ってたり、腐ったのを食べさせられてたから。
でも今は私の産んだ子(引き取った時に中にいた)を面倒見てくれてる。
はっきり言って夫より仲がいい。
「あなたは私の大切な子よ、生まれるところを間違えただけだからね。お帰り。」
と言ってます。
171:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:20:35.64 ID:BFHuN3Ow0
この前飼い猫が病気になったんですよ、末期のね。
で、生まれて初めてペットロスを経験したわけですわ。正直最初はペットロスって軽いもんだと思ってたのよ。
動物飼いならみんな普通に経験してるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは人が経験するもんじゃない。冷血人間だね、冷血人間だけが耐えられるものだよ。
最初に「安楽死承諾書」出された時さ、めちゃめちゃびびってペンそろ~って持ってそろ~っと名前書いたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって消すどころか承諾書破り捨てちゃったのさ。
そしたら飼い猫がさ「苦しいよ」とか目で訴えてくるの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから名前書いたのさ。えぇ、そりゃもう書きましたとも。全てを忘れて書いたよ。
家に迷い込んできた時のヤツの心もとないほどガリガリだった体とか、
初めて膝で寝てくれたときにホントに嬉しかった事とか、エサをねだる時の愛らしい顔とか
色々思い浮かんでくるのを頭から振り払ってね。
だってヤツが苦しいって訴えてたからね。
そしてらエライ事になった。
もうすごい即死。そして俺のすごい涙。幅3cmくらい。昔の漫画だけど星飛雄馬やはだしのゲンにも負けない。
それで横見たら飼い猫がすごい安らかな顔を俺の方に向けてんの。ホントごめんなさい。
正直「飼い主なら苦しみから救ってやるのが義務だぜ!」なんて見栄張らないで素直に最後まで
悪あがきしてやればよかった、
せめて自然に任せて死なせてやればよかったと思ったよ。
心の底から承諾書にサインした事を後悔したね。
でも埋葬が終わって友達に「猫はさっさと死んじまうな!これだから猫は。今度は長生きするカメでも飼うか」
とか言っちゃてんの。
ホント俺ってダメ人間。
誰か助けて下さい。・゚・(ノД`)・゚・。
172:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:20:55.29 ID:BFHuN3Ow0
この前病気になったんですよ、末期のね。
で、生まれて初めて飼い主との別れを経験したわけですわ。正直最初は別れって簡単なもんだと思ってたのよ。
野良猫時代は普通のことだったからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは猫が経験するもんじゃない。冷血動物だね、は虫類だけが耐えられるものだよ。
最初に動物病院に入った時さ、めちゃめちゃ痛くて脚そろ~って動かしてそろ~っと尻尾ひきずったのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか体が動かなくなって診療台の上でへたりこんじゃったのさ。
そしたら飼い主がさ「苦しいのか」とか目で訴えてくるの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だからニャーンて鳴いたのさ。えぇ、そりゃもう鳴きましたとも。全てを忘れて鳴いたよ。
家に迷い込んだ時のヤツの暖かいまなざしとか、
初めて膝で寝たときにホントに気持ちよかった事とか、エサをくれる時の呼び声とか
色々思い浮かんでくるのを頭から振り払ってね。
だって長引くと飼い主がつらいだろうって思ったからね。
そしてらエライ事になった。
もうすごい即死。そして飼い主のすごい涙。幅3cmくらい。昔の漫画だけど星飛雄馬やはだしのゲンにも負けない。
それで横見たら飼い主がすごい悲しそうな顔を俺の方に向けてんの。ホントごめんなさい。
正直「飼い主を苦しみから救ってやるのが義務だぜ!」なんて見栄張らないで素直に最後まで
悪あがきしてやればよかった、せめて自然に任せて死ねばよかったと思ったよ。
心の底から承諾書にサインさせた事を後悔したね。
でも埋葬が終わって天国で「飼い主って寿命ありすぎるよな!これだから人間は。
今度は長生きするカメにでも生まれるか」とか言っちゃてんの。
ホント俺ってダメ猫。
…もう泣かないで下さい。
174:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:21:47.87 ID:LX0TsV0cO
中学生になっても同じクラスになれるといいね、
と話してた親友は中学校入学式2日前に亡くなった。
その子の母親による無理心中。
その子には弟が2人いて、1人が障害を持っていた為母親が悩んでの心中。
焼けた子供部屋から、弟2人を守るような姿勢で親友は発見された。
優しい子で、転校してきたばかりで友達のできない内気な私に話しかけてきてくれた。
葬儀で見た、包帯で全身を巻かれ小さくなった彼女の体がいまだ目に焼き付いている。
あれからもう16年たったけど、彼女ほど大好きになれる友達は現れない。
中学では同じクラスになってた。
できるならもう一度逢いたい。
逢っていろんな話がしたい。
175:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:21:53.28 ID:BFHuN3Ow0
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。
俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」
正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。
176:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:24:26.55 ID:BFHuN3Ow0
65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(アラバマ) 投稿日:2008/09/10(水) 23:41:42.19 ID:nmphrjz8O
ジョニーが街でペンギンを拾った。困った男は友人のケインに電話して相談した。
「なあケイン、ペンギンを拾ったんだけど、どうしたらいいだろう?」
「そんなの動物園にでも連れて行けばいいだろ」
翌日、ケインはジョニーがペンギンを連れて歩いているのを見かけた。
「おいジョニー、昨日は動物園に連れて行かなかったのかい?」
するとジョニーが答えた。
「ああ行ったよ。だから今日は遊園地にでも連れて行ってやろうかと思ってさ」
177:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:25:06.64 ID:BFHuN3Ow0
小学生のとき、少し知恵遅れのA君がいた。
足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅い。でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。N先生がぶるぶる震えながら、
嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。
昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。
N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
蛇足かもしれませんが補足。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような過疎地へ
自ら望んで赴任されました。
N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。
「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。みんなはもしかしたら、見たこと無いかもしれない。ユトリロっていう、
フランスの人でね、街や風景をたくさん描いた人なんだけど。空が、綺麗なんだよ。
A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
だけど、決して取り戻せない物ではないのです。そして、A君はそれを一生懸命自分のものにしようしています。
これは、簡単なことじゃありません!」
A君は、空を描いた絵を送るそうです。その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。
179:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:26:28.53 ID:LX0TsV0cO
初七日の晩、パパが夢に出てきて、私の部屋の戸の前に正座して、
にこにこしながら、(お世話になりました)というように、お辞儀をした。
それから部屋に入ってきて、風呂敷包みのようなものを私に渡し、促すように
「食え」とひとこと言った。
包みの中身は目には見えなかったけど、手にとって口にほおばった。
それは氷砂糖のような感触で、口の中でしゃりしゃりと音をたてた。
その隙にパパは部屋を通り抜けてベランダに出て、手すりを乗り越えようとした。
私はあわてて、「行かないで」と言って思いっきりパパの足にしがみついた。
ここで目が醒めました。世の中で一番好きな人でした。
もう5年になろうとしていますが、今でもよく夢を見ます。
家でいつもの定位置にパパが座っていて、私は、「でも本当にうそみたいだよね、
一時はもうだめかと思ったのに・・・奇跡的だよね」と言ったあとで、
「・・・え?」と不安に思って振り返るともうそこに父がいない、という
夢が多いです。
叫んで目覚めたりします。やはり目覚めたときは嗚咽、です。
180:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:26:54.56 ID:qD9gUH9L0
俺と妻は約1年セックスレスだった。
別に喧嘩していたわけでも無く、何となく時間が経過してしまった。
半年くらい過ぎると、セックスするきっかけすら無くなり、したくても言い出せなくなる。
そして1年経った。
そんなある日、俺と妻の共通の友達と飲み会があった。
昔話で盛り上がり、終電を逃してしまった。
そして俺達夫婦は何年か振りにラブホテルへ泊まる事になった。
ラブホの独特な雰囲気にやられて、二人でイイ感じになった。
そして1年ぶりのセックスが始まった。
1年ぶりのセックスは凄かった。
とろける様なディープキス。
吸い付く様なバキュームフェラ。
鳥肌物のアナル舐め。
俺の上にまたがり、胸を揉みながら腰を振る妻。
男性経験が俺しかないはずの妻・・・。
1年前はマグロだった妻・・・。
綺麗だった乳首の色も形も変わった妻・・・。
アナルの形状を見た瞬間、萎えてしまった俺・・・。
翌朝、女性だらけの探偵事務所に電話した・・・。
182:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:29:42.43 ID:LX0TsV0cO
実家で飼っていたムク・・白くてふわふわで、本当に可愛かった。
絶対に人や他の犬にキバを剥くなんてことはしませんでした。
3歳くらいで肝臓が悪くなり、医者に「あと一年の寿命」と言われたけど
12歳まで生きていてくれました。本当に一生懸命生きました。
ムクが家族をひとつにしてくれたようなものでした。
ムクはだんだん体が悪くなり、最後の一年は歩けず寝たきりでした。
でも、すでに結婚して別に暮らす姉や私が実家に帰ると、歩こうと無理して
這いずって玄関まで迎えにきてくれました。耳を下げて、しっぽを振って・・
そのムクがおかしくなったのはある日の朝でした。
母親から「ムクが・・・ムクがもうダメかも・・・」と電話をもらって、
すぐに実家にかけつけると、ムクは大好きな場所だった玄関に寝ていました。
その傍らにはお線香が・・・たくさん・・たくさん泣きました。
母は泣きはらした顔で最後の時を教えてくれました。
「お父さんが仕事に行く時にね、ムクが頭をあげてクーンと鳴いたんだよ。
その後、ゆっくり顔が下がっていって・・最後にお別れを言ったんだね、ムクは」
それからもう6年経ちました。
でも今書いていても涙が出てきます。
184:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:30:49.27 ID:qD9gUH9L0
ホンダの創業者、本田宗一郎氏はある日、あっさりと代表の座を降りた。
その後、彼は全国行脚の旅に出る。
全国のホンダの営業所、工場を訪れ社員一人一人に挨拶し、握手を交わしたいと言い出したのだ。
それが社長を辞める際の彼の唯一の願いだった。
飛行機、車、新幹線を乗り継いで彼は全国どころか外国も含め、1年半ですべてを回りきった。
ある工場で宗一郎氏と握手する前に急いで走り去ろうとするものがいた。
「どうした?」
そう呼び止めると
「手が汚れているから」
と油で真っ黒になった手を隠しながらもぞもぞしている。
だが宗一郎は、
「いいんだよ、それでいいんだ」
と彼の真っ黒な手を握り締めた。
「働いている手じゃないか、立派な手だ。俺はこういう手が一番好きだ」
そういいながら涙ぐむ宗一郎氏と一緒に社員も涙を流した。
185:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:31:03.69 ID:BFHuN3Ow0
149 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 23:43:10
嫁、死んじゃったよ(・∀・)。49日終わったよ(・∀・)。結婚して
3年目(・∀・)。
…この顔(・∀・)付けないと、もう自分が崩壊しそうなんだ。今も
崩壊中。嫁が職場で倒れた。電話を受けて俺が病院直行。そしたら医者が
「力及ばず、申し訳ありません…ご臨終です」。死因はくも膜下出血。
最近は死なないのが多いらしいんだけど、嫁は運が悪かったらしい。
冷静に書いてる。自分のことじゃないみたいだ。でも、遺影の嫁の笑顔が
目に入るたび泣いている。あとな、嫁の部屋を片付けてたんだ。普段、うちは
自分の部屋は自分でするんだけど(家事は交代制)、そしたら、「夫君へ」
と書かれた封筒があった。
中身、「これ読んでるってことは、私はこの世にいないということだよね。
元気ですか? ちゃんと食べて、きちんと眠ってますか? それとも可愛い
彼女見つけたかな?」
…彼女なんか見つけられねぇに決まってるじゃん。お前が世界一なんだよ、
俺にとって。
で、手紙の最後に「パソコンの***って名前のフォルダ、開いてね」
って書いてあったから開いてみた。
多少下手でも(俺、料理下手orz)栄養バランスがよくて簡単に作れる
おいしい料理、弁当のおかずにいい料理、俺の好物…作り方、全部書いて
あった。
ごめんな、嫁。俺、多分一生独身で行く。お前は天国でいい男捕まえて
くれ。 だけど、俺見かけた時には、ちょっとだけでも笑顔見せてくれたら
嬉しい。
今夜も嫁が残してくれた料理レシピで作った飯で晩飯。ありがとう、嫁。
186:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:34:04.10 ID:LX0TsV0cO
泣けるかどうかは微妙だけど好きなコピペ
56 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2007/07/05(木) 08:10:24.60 ID:Jg+AcEeL0
生きててもさ、無駄なんだよ、俺。
きっと何しても上手くいかないんだよ。
ただダラダラと生きててさ。
いっそ本気で死んじまおうかな。
58 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りしま:2007/07/05(木) 08:12:48.05 ID:peSyhKq70
死んでもいいけど。とりあえず、自分のレスを縦読みだな。
自分の心の声に気付いてやれよ。
60 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2007/07/05(木) 08:14:34.40 ID:Jg+AcEeL0
…もっかいバイト探して見る。
ありがと。
187:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:34:24.78 ID:BFHuN3Ow0
150 :癒されたい名無しさん:2009/02/28(土) 16:44:18 ID:DwE7hn3Y
私は、2歳のとき父を亡くし、以来、私をひとりで育ててくれた母も私が中学二年生の時、突然の心臓病でなくなりました。
その日のことです。
近所のスーパーに勤めていた母ですが、学校から帰ると勤めを早退した母は床に臥していました。
「お母さん、どうしたの?」と聞くと
「心配しないでもいいよ、ちょっと風邪をこじらせただけだから」とか細い声で答えました。
昨日からなにも食べてない様子だったので
「なにか買ってこようか」と聞くと
「おまえも今、期末試験中で大変なのに、いいの?・・・もしよかったらリンゴが食べたい」
「じゃあ、すぐ買ってくる」
リンゴを買って家に着いたとき、母はもう死んでいました。
枕元に、ほんのわずかな時間に、苦しみながら書いた母の言葉の走り書きがありました。
「哲、ひとりになってもお母さんお父さんはいつもおまえを守っているよ ありがとう」
とありました。
私は、それ以来リンゴを見ることもむろん食べることもできなくなりました。
あれから九度目の桜を見る季節がもうすぐやってきます。
私にとっての桜の季節は、ただリンゴをにぎりしめながら泣きつづけた日々の思い出なのです。
188:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:35:47.13 ID:qD9gUH9L0
小さな食堂(夫婦と息子さんで経営。バイトは私だけの合計4人)でバイトをしています。
基本的に調理は旦那さんと息子さんがやっているのですが、付け合せの人参のグラッセなど簡単なものは私が作っています。
昨日最後に来たお客さん(親子3人)が「この人参のグラッセを作ってる人はどなた?」と聞いてきました。
私は不味いと苦情を言われるんだと思い、震えながら「私です」とお客さんがいるテーブルに行きました。
お客さんは私をじろじろと見て「そう、あなたが作ってるの…」と呟きました。
私はもう怖くて怖くて、手をぎゅっと握ってその視線に耐えていました。
そうしたら奥さんの方が「うちの子、人参が大嫌いでどんな料理にしても絶対に食べないの」と言いました。
「それなのに、このお店のグラッセだけは美味しいっていつも嬉しそうに食べるのよ。
良かったらレシピを教えてくれないでしょうか」とメモ帳とペンを私に差し出してきました。
そういうことは店長に確認を取らないといけないので、冷静を装ってと厨房に行きましたが、実際は嬉しくてぼろぼろ泣いてた。
厨房に行くと店長は「話は聞いてた。レシピは教えてやっていいぞ」とレシピのコピーをしてくれていました。
そして「これも持っていけ」とグラッセとうちの一番の自慢のコロッケを渡してくれました。
お客さんにレシピと「これは気持ちです」と料理をテーブルに載せると、子供は満面の笑みで「ありがとう!」と、
夫婦も「このコロッケ凄く美味しくて大好きなんです」って美味しそうに食べてくれました。
このことが本当に嬉しくて嬉しくて、お客さんが帰った後、思わずおお泣きしてしまった。
店長が「料理屋は客に美味いと言われるのが最高の幸せだ。だから今のお前は最高に幸せなんだぞ」と
言って、私が泣き止むまでずっとお店にいてくれました。
お店もここにくるお客さんもみんな大好きだ。
189:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:36:52.53 ID:BFHuN3Ow0
96 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/07/28(水) 17:49:59
高校生の頃、入院したときに同室になった老夫婦。
じいさん(旦那さん)のほうが他県から出張中に脳卒中で倒れ、俺の地元の大学病院に運び込まれた。
(定年後に農業指導とかをしてたらしい)
意識を回復するまで1ヶ月以上、奥さんは病院近くのビジネスホテルに泊まって毎日付き添いをしてたらしい。
俺が入院したときにはもう旦那さんの意識は回復していたが、後遺症で軽度のまひと言語障害と記憶障害(記憶喪失)になってた。
じいさんはいつもふがふが喋っているのだが、先生も看護婦も良く聞き取れないので奥さんが通訳していた。
が、旦那さんは奥さんのことが誰だかわからないらしく、決して名前を呼ぶことはなかった。
そのくせこのじいさん、若い女の子は大好きだった。
看護婦の研修機関になっているからか、2~3週間ごとに変わる若い看護婦さんのことはすぐ覚えて、
「今日は違う人だね。新しい人?かわいいね」とか言ってた(これも奥さんの通訳経由)。
じいさんは性格的には気さくな人で、ふがふが言いながら隣のベッドの俺にも必死で話しかけようとして、
奥さんが通訳し、俺が返答すると、奥さんが耳元でゆっくり言いなおす、ということで会話したりしていた。
そうこうしてるうちに、俺が2週間ぐらい入院している間にも、じいさんの言葉は目に見えて回復していった。
ある日の午後、看護婦さんが誰も部屋にいない時間帯にふとじいさんが奥さんに向かって
「あんたは、新しい人(看護婦さん)かね?ずっと俺のそばにいてくれるようだが…」
と言った。
俺はそれを聞いて「じいさん、2ヶ月近くも付き添いしてもらっててそれは酷いだろw」と思ったが、
奥さんは
「何を言ってるんですかwやーねぇww
もう40年もお側にいるじゃないですかw」
と言ってニコニコ笑ってた。
奥さんは俺にも「ねえ?ww」と言ってきたが、俺はなぜか涙がこみ上げてきてうまく答えられなかった。
なんかこんな夫婦になりたいと思った。
190:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:36:54.19 ID:LX0TsV0cO
今年の1月に父を亡くしました。
12年間の闘病生活に私達家族、親族は慣れてしまい
父の苦しみもいつものことって感じで接していました。
最後の週は食事もできなくなり
亡くなる3日前に会いにいったときには
もうクダがいっぱいでした。酸素すら吸えなかったのです。
何回も脳梗塞になり言葉もはなせなくなり
でもプライドの高いひとだったので自分でもどかしいのか
やつあたりばかりしていました。
本当に今思うと辛かったんだろうなぁって思います。
でもその亡くなる3日前の時
「○○ちゃん<私の名前>ありがとうな」ってはっきりいったんです。
初めて父の前で泣いてしまいました。
絶対に父が不安がるから泣いてはいけないって思ってたのに・・・。
土曜日の昼間「すぐにいてほしい」と電話があり徹夜で見守り明け方旅立ちました。
親族が「もう逝かせてやり」って言う中
息を少しずつひきとっていく父に
「吸って!!ゆっくりでいいから息吸って!!」と叫んでいました。
お父さんの子供で幸せでした。
全然優しくしてあげなくってごめんね。
痛みに慣れるってことないのにね・・・。ごめんね。
今でも泣けてきて毎日目が腫れてるよ。
夢でも出てきてくれたらイイのにって思うよ。
「お父さんの人生よかった?」って聞きたいよ。
191:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:38:53.25 ID:qD9gUH9L0
俺ん家は俺と母親、それとおはあちゃんの三人で暮らしてる。
親父は離婚していない。パチンコとかやって借金をつくる駄目な親父だった。
母子家庭ってやっぱ経済的に苦しくて、母さんは毎日働いてる。
おばあちゃんは汚い服ばっかり着てる。
俺は行きたい大学があるけど、金がかかるからそこだけ受けて駄目だったら就職しようと思ってた。
それで、俺大学落ちちゃったんだ。
「すぐに就職先を見つけなきゃいけないな」
って考えてたら、俺の部屋におばあちゃんがやってきた。
「〇〇、大学落ちちゃったんだってね」
と、おばあちゃん。
「うん、でもいいよ。俺、就職するからさ」
ってちょっぴり強がって俺は笑ってみせた。
そしたらおばあちゃん、いつから使ってるか分かんないような汚い手提げ袋から、札束を出してきたんだ。
「え…何このお金…」って俺が絶句してたら、
「〇〇、行きたい大学があるんじゃろ?だったら行きんさい。
お金のことなら心配せんでええ。まずこれで予備校行きんさい。
年寄りは金持ちやで。それに、ちょうどばあちゃんな、何かに使おうて思ってたんじゃ」
と、そう言ってシワシワの手で札束を俺に握らせた、最後、俺の部屋から出るとき「頑張りんさい」って言って出てった。
それから俺、母さんにおばあちゃんのこと聞いたら、
「おばあちゃんね、あんたが産まれてからずっと年金コツコツ貯めてたみたいだよ。私も知らんかった」って。
マジ泣いたよ。
なんで金あんのに汚い服ばっか着てる意味とか、さっき俺の部屋で喋ったこととか思い出して、本当に泣いた。
もう、本当に頑張るから。今は肩を揉むことぐらいしかできんけど、絶対に大学に合格するから。
それと、俺は今日で2ちゃんねる卒業だわ。長い間、本当にお世話になりました。勉強がんばります ノシ
192:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:39:15.95 ID:BFHuN3Ow0
独身時代に人を殺してしまったこと。
仕事帰りの深夜に恐喝というか、強盗というかに因縁を付けられて殴られた。
やっとの事で組み付いてヘッドロックして動きを封じたら、ナイフで尻を刺された。
刺し殺されるという恐怖のあまり全力で首を絞めたら、すぐに相手が動かなくなった。
でも、恐ろしくて通報で駆けつけた警察官に引き離されるまで絞め続けていた。
傷害などの前科がある相手で、ナイフで刺されていたこともあり、
正当防衛にはなったが、嫁にも子どもにも一生言わない。言えない。
なんだか、沢山優しい書き込みを頂いていて、もっとめった打ちにされていると
思っていたので、驚いた。
いい年したオヤジなのに目から汁が出てしまった。
774さんが良い方に誤解してほめてくれているが、怖くて言えなかっただけだよ。
刺された尻の治療で入院していたら、当時付き合っていた彼女のご両親が見舞いに来て、
「人を絞め殺すような恐ろしい男に娘はやれない。わかってくれるよな」と、言われた。
とっても良くしてくれた優しいご両親だったので、わかりました、としか言えなかった。
だから、退院後もこのことは誰にも言えず、知っているのは親兄弟のみ、だった。
193:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:39:25.64 ID:BFHuN3Ow0
一昨日の夜に756の書き込みをして、その勢いで昨夜実家の母に当時の周囲の様子を尋ねた。
職場の上司や兄嫁の実家には最低限の情報は伝わっていたようだが、
皆知らぬふりをしてくれていた。優しい人たちだった。
驚いたのが、実は嫁さんがこのことを全て知った上で結婚してくれていたという事。
結婚前に実家に嫁さんを連れて行ったとき、母が全部話していた。
息子は捨てられるかもしれないが嫁さんのために言わなければ、と母は考えたらしい。
嫁さんは多少驚いた様子だったが、全てを聞き終わった後に、
「私が聞いたという事は秘密にして下さい。彼が知られたくないのなら知らない事にします。
でも、いつか安心して私に話してくれる日が来ると信じています」と言っていたらしい。
昨夜は子ども達を寝かしつけてから、あらためて事件のことを嫁さんに話し、
今まで黙っていたことを謝り、嫁さんに抱きしめられながら一緒に泣いた。
私はこの人と結婚して本当に幸せだと思う。
長文すいません。みんなありがとう。
194:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:40:08.05 ID:LX0TsV0cO
私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。
ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。
葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。
私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。
今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。
195:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:41:16.56 ID:LX0TsV0cO
俺ニートだからいつも昼過ぎまで寝てるんだけど、たまに朝早く目が覚めることがあってさ
ぼーっとしてたら母さんが部屋に入ってきて「おはよう」って言ってたのね
「おはよう」って返事したら、俺が起きてる事に気付いてなかったみたいで母さん驚いてた
そんな事が何回かあって、母さんは俺が寝てるのを知ってて、毎朝返事のない「おはよう」を言ってくれてる事に気付いた
たいした事じゃないんだけど、なんか凄い嬉しかった
真面目に生きようと思った
197:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:41:52.89 ID:qD9gUH9L0
493 名前:ノーブランドさん メェル:sage 投稿日:03/11/21 06:56
俺の家は貧乏だった。運動会の日も、授業参観の日さえも
オカンは働きに行っていた、そんな家だった。
そんな俺の15歳の誕生日、オカンが嬉しそうに俺にプレゼント
を渡してくれた。ミチコロンドンのトレーナーだった。
俺はありがとうと言いつつも、恥ずかしくて着られないな、と内心
思っていた。その夜考えていた。差し歯を入れるお金もないオカン、
美容院に行くのは最高の贅沢、手はかさかさで、化粧なんて当然
していない。こんなトレーナー買うくらいなら他の事に使えよ・・・。
そんな事を考えながら、もう何年も見ていない昔のアルバムを
見てみたくなった。若い時のオカンが写っている。
えっ!俺は目を疑った。それはまるで別人だった。綺麗に化粧をし、
健康的な肌に白い歯を覗かせながら笑っている美人のオカンがいた。
俺は涙が止まらなくなった。俺を育てる為に女を捨てたオカン。
ミチコロンドンのトレーナーを腕に抱き、その夜は眠った記憶がある。
それから少しばかり時は流れ、俺は高校卒業後の進路を考えなければ
いけない時期になっていた。大学進学はとっくに諦めていた。
学校で三者面談が行われた時、オカンが先生に向かって言った。
大学に行かせるにはいくらお金が掛かるのですか?
俺は耳を疑った。びっくりしている俺を横目に、オカンは通帳を
先生に見せて、これで行けますか?と真っ直ぐな眼で先生を見つめた。
それから俺は死に物狂いで勉強し、大学に合格することができた。
郷里を離れる際、オカンが俺に真っ赤なマフラーを渡してくれた。
学費を稼ぎながらの大学の生活は苦しくもあったが、マフラーを
見ると元気が出た。それから時は流れ、会計士になった俺は来年の
春、結婚する。そして生活を共にする、俺と最愛の妻と最愛の母とで。
なんとしても二人を守ってみせる。色褪せたトレーナーと
ほつれたマフラーを目を前にして俺はそう誓った。
サンキュー、オカン。これからもよろしくな。
199:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:43:44.65 ID:LX0TsV0cO
娘が6歳で死んだ。
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。
直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので
病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。
別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、
もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく
機械的に葬式をすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた
ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。
とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。
ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、
服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし
成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、
必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。
201:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:45:01.14 ID:BFHuN3Ow0
1
出会いって不思議だなあと思ったこと。フェイク入り。
長男大学生、二男三男高校生、四男息子と同い年の小二の家庭が
うちの向かいに引っ越してきた。
長男二男三男は金髪ピアスで、引っ越してすぐコンビニ前でたむろ、
四男は真夜中までその辺をうろうろしていて、これはやばいなと思った。
四男は人に近寄る子じゃなく、むしろ逃げる子だったんだけど、
不潔な身なりで物陰から様子をうかがい、見つかると逃げて、また物陰から…で、
真夜中でもやってるんでオバケと呼ばれていた。
大人にも子供にもやるんで、気味悪がって誰も公園で遊ばない。
午後八時くらいに、老夫婦の庭の物陰に四男が座り込んでいて、
老婦人がものすごい悲鳴を上げて警察が来たこともある。
町内会で親に注意しに行ったら、
「じゃあそっちで面倒見て。近所の助け合いでしょ」と話にならない。
警察と児相に連絡しても動かないから、遠巻きにしていた。
202:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:45:11.14 ID:BFHuN3Ow0
2
放置家庭が来て二か月ちょっとくらい、息子の遠足の前日の夕方に、
うちに長男が突撃してきて、
「ガキのリュックと、レジャーシートと、弁当箱って、どこ売ってるんすか?」
と聞いてきた。
インターホンで対応してたんだけど、片手に息子と同じ遠足のしおり、
片手に携帯で長男は一生懸命メモとってた。
大体の予算も教えたら、「あざっす」と帰って行った。
遠足が終わった翌日に、お菓子が入ったコンビニ袋を持って
「チビを遠足に行かせてやれたっす。まじ助かりました」
とあいさつに来た。
それからもときどき上の三人が、学校用品はどこに売ってるのか、
子供服はどこに売ってるのか、雑巾持たせるってどうするのかと聞きにきて、
教えると三人ともコンビニ菓子を持ってお礼に来た。
夏休み前には四男の徘徊もなくなっていた。
203:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:45:23.69 ID:BFHuN3Ow0
3
上三人と二言三言話すようになって、上三人は母の連れ子、四男は父の連れ子の再婚家庭で、
母は四男が継子だから一切無視で家にも入れず、
父は実の息子はかわいいけど、義理でも女親が何とかするだろうで何もやらず、
上三人が見かねて世話してると聞いた。
実際に遠足の時は、長男が四男連れて車でリュックを買いに行き、
二男と三男が早朝にコンビニで弁当やサラダ、お菓子を買ってきて
買ってきた弁当箱に詰めなおして送り出したそうだ。
二男が遠足のしおりを見つけて、四男に聞いてみたら、
四男が用意してたのが、茶色いしみがついた父のいらない手提げ鞄に、
柿ピーと水道水入りペットボトル、シート代わりのビニール袋だったそうだ。
上三人は母子家庭でわりとネグレクトで育ったらしくて、
普段から子供だけでお菓子やファストフードを食べて育ち、
母に恋人ができれば家を追い出されて、
遠足はボロボロのリュック、二、三本のウインナーに白飯の弁当、
お菓子なし、水筒なし、シートもなしで先生に分けてもらった思い出から
いてもたってもいられなかったそうだ。
その後は、夏休みは上三人が、夏休みの宿題の絵のために
四男を動物園や水族館に連れて行ったり、
冬には行きにつんつるてんのコートを着て三男と出かけた四男が、
ちょうどいいサイズのコートを着て、服の入った袋を持って
二人で肉まん食べながら帰ってきたりしてた。
数年たった今では、上三人は落ち着いた髪の色で、ピアスもなくなって、
すっかり普通の兄ちゃんになり、四男も優等生寄りの普通の子。
この前、引っ越してきた当時は眉がなかった二男が、
四男がいなかったら自分は極道になってたとしみじみしていた。
204:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:45:47.15 ID:qD9gUH9L0
【勝ち】自分の内定先VS親の勤務先【負け】
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/recruit/1082718206/
200 名前:就職戦線異状名無しさん 投稿日:04/05/05 16:04
【オレ】 パイロット訓練生
【母親】 パチンコ屋両替所パート
【判定】 ここまで一人で育ててくれた母の圧勝。
楽させてあげたい。
205:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:46:56.25 ID:LX0TsV0cO
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。
俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。
206:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:48:26.69 ID:LX0TsV0cO
20年前ぐらいの前の話
当時俺の家はいわゆる片親ってやつで、すげぇー貧乏だった。
子供3人養うために、かぁちゃんは夜も寝ないで働いてた。
それでもどん底だった・・・
俺は中学卒業してすぐ働きに出た。
死ぬほど働いた。遊んでる暇なんてなかった。
1年ぐらいして同級生に久しぶりに会った。
飯食いに行こうって話になった。
メニューの漢字・・・読めなかった。
読めたのは、一つだけカタカナで書いてあった「オムライス」だけ。
同級生は「焼きそばとごはん」って注文した。
無知な俺は「じゃあ俺はオムライスとごはん」って店員に言った。
店員、固まってた。
クスクスって笑い声も聞こえてきた。
そしたら同級生
「さっきのキャンセルね!!俺もオムライスとごはん!!」
・・・
店出た後、同級生が一言
「うまかったな」って言った。
「仕事がんばれよ」って言ってくれた。
泣けてきた
心の底から人に「ありがとう」って思った。
そいつは今でも親友です。
207:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:49:34.36 ID:qD9gUH9L0
295 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2004/02/28(土) 20:56
うちのは40代前半
オイラの原因で子供ができなかった
夢みるらしいんだよな
妊娠した、とか赤ちゃんに授乳してるとか、そういう夢
寝ぼけて「双子だって先生が言ったよ」とか言うんだよ
生殖医療を受ける時間も金もなかった
母親にしてやりたかったな
209:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:52:09.77 ID:qD9gUH9L0
834 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:04/07/05(月) 17:27 ID:6d6yjM53
いろんな苦しみもあるだろう、いろんな悩みもあるだろう。
だからといって暴走族に入ってシンナー吸ってそれで良かったかい。
悩みや苦しみ消えたかい、むなしさは残らないかい。
目を閉じてごらん君がまだ幼かった頃の父さん、母さん、姉さん、そして友達の笑顔、見えてこないかい、
耳をすましてごらん、ほら懐かしい人達の声が聞こえるだろう、素直になろう心洗おう、どうだ体が熱くなってこないか、
まだまだ世の中、捨てたもんじゃないよ、逃げてはだめだ、ぶっつかるんだ若人らしくスポーツをしないか、
空手でもして汗を流さないか。
自分の個性を生かすんだ、自信を持とう君の未来の為に、さあ心機一転だ、ゴールはまだ見えないけれど君の頑張りしだい、
次世代を君にまかすのよ栄光のゴールは確実に近ずいている。
悩みや、苦しみ気軽に相談に来いよ共に前向きに打破しようよ。
枚方市空手道連盟 賢友流空手道
氷室泰心館
210:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:52:09.41 ID:BFHuN3Ow0
218 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2005/11/23(水) 16:59:06 ID:g6qFqKRF0女の子「・・・こんないい天気だと外に散歩行きたいですね」
父「伏せ目がちで独り言のように言っていたが、それを聞いた途端
お父さんすごく落ち着いていられなくて、
女の子を無理やりおんぶして外に飛び出しちゃったんだよ」
父「今思えば既に彼女に心底惚れていたんだろうな・・・俺は」
息子「えと・・・もしかしてその女の子がお母さん・・なの?」
父「ああ、自分で怪我させといて身勝手すぎるよな、
それ以降も病院行くたんびに勝手に連れ出してた(赤面」
息子「でも父さんの背中で寝てるお母さんの顔、すごく幸せそうだよ」
父「ははは、あー、でななんかそれ以来父さんのおんぶが大好きみたいでな、
もうとっくに足直ってるのにすぐせが まれる・・・
重いしいい年だし周りの目が恥ずかしいったりゃありゃしない」
息子「ふふっ(・・・・でもお父さんもおんぶする時満更でもなさそうなんだよなあw)、
さてと、先に家帰っとくねー?」 家が近くなり走り出す息子
父「ふう・・・今日はあの日の夕焼け空に似てるせいかついつい昔話しちゃったな」
母「・・・そうですねぇ、ここから見る夕日・・・とっても綺麗でした」
父「!?・・・・・ちょっ、起き・・・」
母「あー、そういえば多分私の方が先に惚れてたと思いますよ?」
父「・・・!?」
母「・・・ふふふっ^^」
211:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:53:20.36 ID:LX0TsV0cO
R君が小5の頃、R君のお母さんが病気で亡くなった。
何でかは忘れてしまったけど。
R君はいつも活発な子で、学校ではムードメーカーみたいなタイプだった。
だから友達みんなもR君にいつも励まされたりしてるから
R君の事、励ましていこう、と思ってた。
だけどR君は葬式のとき全くもって泣いてなかった。
むしろ、笑ってた。
大爆笑してた。 お母さん死んだし~、うけんねって。
みんなR君が頭おかしくなっちゃったんだ、と思った。
違った。
みんなが、心配するから。
みんなの前で泣いたらみんな気まずくなっちゃうから、迷惑かかるから
笑った。
あとから友達の話。
葬式のあとR君はお父さんと二人ずっとずっと
泣いていた。
今でも、彼は彼のお母さんが居ない事を知らない人にお母さんの話を
されてもワラってる。
実際、転校してきた子に言われていた。
凄い豪華だね。 そのお弁当、全部お母さんの手作り?
母さんじゃない、自分だよ。
お母さんは作ってくれないの?
うん。
何で?
作れないからかな。
何で作れないの?
ちょっと遠くに住んでるんだ。
R君より強い人を見たことがない。
212:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:54:15.48 ID:uOFrQbG6O
寝起きはダメだ…すぐ泣く
でもすっきりした。色々と貯まってたんだなぁ
コピペ張ってくれてる人ありがとう
今日も頑張ってくる
私、ウエディングプランナーをしてて沢山の幸せのお手伝いをさせてもらったけど
忘れられない結婚式があります。
新婦は私より大分年下の10代で可愛らしい子、新郎は彼女より20歳ほど年上の優しい方でした。
年の差カップルは珍しくないけどこれが一筋縄では行かなかったのよね…。
新婦はお父様に育てられて、そのお父さんが「結婚は勝手にしろ。でも式には出ない」。
でも2人は「みんなに祝ってほしい」と。
ええ、頑張りましたよ。新婦のご実家に2人と一緒に何度も行きました。
頭も何回下げたかわかんない。
「お前は関係ない」と言われました。その通りです。でも私は2人の結婚式を2人が望むものに、
最高の1日にしたかった。それが私の仕事。
意見や愚痴がどっちも私に集まってきて正直キツかった。
面倒くさいと思ったこともある。でもある日「お前一人と話したい」と電話がかかってきたんです。
すごい怖かったよ。何を言われるんだろう?と。
でさ、約束した日に指定されたところに行ったらさ、お父さんいつもは顔も話し方も怖いんだけど、
その日はすごく大人しく小さな声で、娘さんが生まれた日の話、小学校の運動会で張り切ったら「お父さん恥ずかしい」と言われた話、中学の頃は話し掛けてもろくに答えてくれなかったのに
娘さんが修学旅行から帰ってきた日に仕事から帰ったらテーブルにお土産の携帯ストラップが
置いてあって本当に嬉しくて今でも付けてること、
「結婚したい人がいる。」と初めて言われた日のこと…。
色々話してくれました。
「娘が本当に可愛い。娘が選んだ男に間違いはないと思ってる。でも気持ちの整理がつかない」
って。泣いたね、あれは。
最後にお父さん、恥ずかしそうに
「結婚式ってどんな服を着ればいいんだ?もう何年も服を買ってないからわからないんだ」って。
215:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:57:03.76 ID:BFHuN3Ow0
211 :素敵な旦那様 :2005/04/06(水) 10:51:23同級生と中華街に行くとか言ってた日、家の前まで来るとイイ匂い。
ウキウキしながらドアを開けたら、にっこり笑ったカミさんが
ホンコンソース焼きそば(知ってる?)のキャラみたいなカッコで
ソデに手を入れて
「アぃヤー、お帰りアルヨー!」
ヒザから崩れ落ちたね。ナマズヒゲまで付けてるし。
そのヘンな服は小ネタのためにわざわざ買ったのか。
「そうアル。アナタ帰り遅いから何度かスに戻って大変だたアルネー」
「あーパパアルー」娘もかよ!
・・・・バカだこいつ、バカすぎる。
あまりのバカさ加減に、涙が出た。
ああ俺、結婚して良かったなあ。
ホントに良かったなあ。
217:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 07:00:31.66 ID:BFHuN3Ow0
868 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/12/24(日) 14:08:59 0LCzKRv3正月明けから働きに出るという嫁
しかし、嫁は、元々地味な女だから地味な服しか持っていない
子供を見ておくので、きれいな服でも買って来いと言って買い物に行かせた
嫁が帰ってきたから、どんな服を買ってきたのか見てみたら、子供服ばかり・・・ ('A`)
てめーの服を買いに行けと言ったんだよ!!
218:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:00:35.27 ID:LX0TsV0cO
夜、娘さんに電話してその日のことを話したら娘も新郎も号泣。私も号泣w
数日後、娘と私とお父さんとで服を見に行ったよ。
で、結婚式は無事に開かれて大成功!かと思ったんだけど、
ブーケトスで娘がブーケを投げない。
??? なにこっち向いてきょろきょろしてるの?と思ってたら娘、すたすたと歩いてきて
私に手渡しでブーケをくれたの。まわりの人たちは拍手。
どうやらお2人とお父さんは結婚式に至るまでのことや私のことを参列者に話してたみたい。
もう・・・本当にあれは嬉しかった。涙が止まらなかった。
今でもあの時の体の震えと彼女の笑顔が忘れられない。
正直、出過ぎた真似なんじゃないか?とか自分のやってることは正しいのか?とか
考えてしまうこともあったんだけど、
たくさんの人が「いい結婚式だった」と言ってくれたから良いや。もうそれだけでいい。
今年、2人から「赤ちゃん生まれました」の年賀状が届いたよ。
赤ちゃんを抱いたデレデレのお父様の写真付きで。
219:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:00:45.95 ID:qD9gUH9L0
741 大人の名無しさん 05/02/13 00:42:57 ID:Ou9USYIM
30代も佳境だってのに、結婚もせずろくでもない暮らしをしてる俺には、
まじめに大学を出て、誠実に恋愛をして、幸せな結婚をした、
そしてバカ兄貴思いの弟がいる。そしてその弟に待望の子供が1月15日に産まれた。
18トリソミーってなんだよ神様
220:1/4:2011/04/19(火) 07:01:34.62 ID:qD9gUH9L0
その昔、大学の同級生の女の子にがりがりに痩せた子がいた。
細身の娘が好みだったのでお声掛け。程なく恋仲に。
あるとき、
「心臓に大穴が空いていて、苦しい。子供も無理。諦めるなら今のうち。」
と告白された。本人は死ぬ気だったらしい。
迷うことなく、恋人のまま。
出来る手術があるのなら、と方々の心臓外科を探しまくってなんとか手術に
こぎ着けた。
どきどき。
221:2/4:2011/04/19(火) 07:02:53.48 ID:qD9gUH9L0
成功した。うれしかった。術後も良好。でも、子供は無理。
受胎しないだろう、と言われた。
当然、親同士は結婚に猛反対。オレの親は勿論、向こうの両親も。
無視。
無視し続けてもなを、説得も続け、6年掛けてやっと挙式/入籍。
10年後、余程経過が良かったのか、妊娠が発覚。
主治医に相談したら、妊娠できたのなら出産は問題ないだろう、
「挑戦しましょう。」
おまい、オレの女房だぞ、オレの子供だぞ、大丈夫なんだろうなぁ。
どきどき。
222:3/4:2011/04/19(火) 07:03:36.14 ID:qD9gUH9L0
無事出産。3,000g 元気な男の子。
あまりに嬉しくて、2寸ほど、宙に浮いていた。
半年後、かみさんに似たような心臓障害発覚。成長しないだろうってどういう事?
「様子を見ながら出来るものなら手術をしましょう。」
かみさんの執刀医の紹介で小児心臓外科の先生にお願いする。
十年待った一粒種、殺すなよ。頼むから。
どきどき。
224:4/4:2011/04/19(火) 07:04:20.84 ID:qD9gUH9L0
成功した。これ以上ないくらい。
あれから15年。
ころころ太ったかみさんが居る。
「うぜえんだよ、親父。」憎まれ口を聞く、ちょっと小振りな男子高校生が居る。
さえないサラリーマンの普通の一家がある。
かみさんにも、せがれにも言わないが、
幸せを噛みしめている。
223:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:03:38.51 ID:LX0TsV0cO
一年前、私の婆ちゃんが亡くなり、日用品は実家の押入れに直しました。
一ヶ月前の事です…
実家の部屋で夜中、音楽を聞いていると母親がノックをしてきました。
「どこからかアラーム音が聞こえる」
と言われ音楽を消すと、
ピピピピピ…
確かに微かにアラーム音が鳴っています。寝室とは逆方向から聞こえるので音を辿ってみると、押入れに着きました。
開けてみると婆ちゃんが生前に使っていた目覚まし時計が鳴っていました。午前2時30分です。
母親が
「愛用の品を粗末に押入れに放り込んでるから怒ってるのかな?」
と言うので二人で時計を仏壇に添え、線香を焚きました。その時私は『ネズミがスイッチ踏んだんだろう』ぐらいに思ってましたが、翌朝、アラームの意味を知りました。
翌朝、眼を覚ますと仏壇の前で母親が泣いていました。どうしたか尋ねると、
「朝早くにね、電話があって、Nオバサン(婆ちゃんの妹)が、亡くなったって。亡くなった時間が遅かったから、朝一に電話がきたの」
ピンときました。
私「もしかして、亡くなった時間って午前2時30分じゃ…?」
母「そう、アラームの鳴った時間と一致してるの。もしかしたら、婆ちゃんが妹とコッチでちゃんと会ったよって私たちに教えてくれたと思うの」
私と母親は随分泣きました。婆ちゃんのやさしさに包まれている、と感じました。
それ以来、何十年か先、私が死んだら婆ちゃんが迎えにきてくれる、と考えると死に対する恐怖が薄れ、精一杯生きようと思うようになりました。
225:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:05:25.56 ID:4JDRoxpVO
俺あんま勉強得意じゃないけどさ、今日からでも必死で勉強してみようと思えた。
ありがとなお前ら。
どきどきは珍しくグッドエンドだよね
人が死なないコピペはほんのりできるから好き
851 恋人は名無しさん 2006/06/09(金) 01:06:28アイス食べたいとか言ったら「そんなもんねぇ」って言われたのでふて寝してみたら
「そんなことでぶーたれてんじゃねぇぞコノヤロー」
と言いつつ私が寝たのを確認して外に出てった。
コンビニでアイス買って帰ってきた。
目が覚めたふりしたら
「あっ、もしかしたらアイスあったかもしんねぇ。一応探してみ。」
泣きそうになりました。
227:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:06:07.60 ID:LX0TsV0cO
妻と別れてからも 月に一度だけ子供達に逢わせてもらってました。
毎月その日が待ちどうしくて、今度はドコに連れていってあげようかなぁ?
何を食べたいかなぁ?など思い考えながら逢える日を心待ちにしていました。
けれども 逢えた日には必ず別れなければならない時間がやってきます。
迎えにきた元嫁の車に乗せ「また遊ぼうねぇ」と 声をかける度に 娘は幼いながらに泣いてはいけないと思ってたのでしょう…
目にいっぱいの涙をためながら、気丈に手を振ってくれました。
車が見えなくなるまで私も目一杯 涙が溢れてくるのを我慢し手を振り続けていました。
もう何年も前の話ですが、今でも すまない気持ちでいっぱいです。悲しい思い出ですが
今でも月に一度 逢わせてもらてるので 悲しい思いをさせた分 楽しい思い出を目一杯作れるように 子供孝行していきます。
私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。
だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかは
お誕生日とクリスマスの年二回しか買ってあげてないんだ。
息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」って
夫婦できいたとき、息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。
「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」
ごめんね。
あなたに弟妹をあげられないお母さんでごめんね。
子宮が無くてごめんなさい。
ごめんなさい、許してね。
頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して
息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。
息子はビックリして「お母さんを泣かせてごめんなさい。」って泣きだした。
親としてなってないよね、私。
息子を傷つけたよね。
本当にバカだった。
230:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:10:23.18 ID:qD9gUH9L0
もう亡くなった大正生まれのオイラのばあちゃん、13歳の時に親に売られて満州で売春婦してたそうな。
その時に陸軍の整備兵で好き者やった兵隊さん(オイラのじいちゃん)に
「俺の嫁になるなら身請けする」って言って、部隊の工具や備品をパクって売って貯めたお金で身請けして嫁にしたそうな。
(じいちゃんは否定)
終戦迎えて内地に帰って…じいちゃんは小さいながらも某牛乳メーカーの役員まで出世してそこそこ財を作った。
じいちゃん、何歳になっても女好きが治らなかったが、
ばあちゃんはいつも「私はじいちゃんがいなかったらボロボロになって死んでたやろうからじいちゃんには何も言えん」
って泣きながら笑い飛ばしてた。
しかし、そんなじいちゃんだが、女遊び以外はばあちゃんにむっちゃ尽くしてた。
ばあちゃんが何かのテレビ番組で綺麗な景色見て「いいなぁ…」ってボソッと言ったら、
2、3日後にはじいちゃんが「おい!旅行行くぞ!」ってばあちゃんが言ってたところに大名旅行に連れて行ったり…
ばあちゃんが、何気なく肩を自分でトントンしたら、必ずじいちゃんがすぐにばあちゃんの後ろに回って肩叩きしたり…
ばあちゃんの誕生日には必ずウェディングケーキばりのでかいケーキを買ってきて、
毎回「こんなでかいの誰が食べるのよ#」ってばあちゃん怒って…
晩年、ばあちゃんが「わたしゃ女郎屋の女でよかった。じゃないとじいちゃんと逢えなかった…」
って話をオイラに言った2日後、昼寝したまま綺麗な寝顔のまま永眠したなぁ…
スレチやけど、ふと思い出した
携帯から長文スマソ
231:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:13:29.46 ID:LX0TsV0cO
あなたは今どこにいますか?
私は此処で生きています
あなたの元へ行こうとも考えたけど、私はあなたがいかに優しくて
頼りがいのある人だったかを子供に伝えてから
あなたの元へ行きます
何年後、何十年後になるか分かりませんが
もしまた巡り逢えたら
今度こそ二人で永遠の愛を探しましょう
あなたの子供が私に宿っていたことを告げられなかったことが唯一の後悔ですが…あなたの名前をつけましたよ
あなたに目元がそっくりです
だけど私は妻ではないのですね
あなたの傍に行った時、あなたの妻だと名乗ってもいいですか?
寂しいです
233:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:14:38.91 ID:LX0TsV0cO
最近のあたしの話。
疲れていた。
平均睡眠時間4時間。本当に疲れていた。
出たくて出た実家。
帰る訳にはいかないし、帰りたくなかった。
その時母から電話がきた。
取り留めのない話をしながら、ふと、母が言った。
「頑張らなくていいんだよ。」
泣き声が聞こえないように声を押し潰しながら、解ったよと言って電話を切った。
あたしは声を出して泣いた。
わんわん泣いた。
泣き止んで、飲みかけのビールを一気に飲み干して、布団に入った。
明日も頑張ろう。明日も頑張ろう。
そう強く思い、ゆっくり眠った。
234:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:17:49.24 ID:LX0TsV0cO
交通安全週間のある日、母から二枚のプリントを渡されました。
そのプリントは、交通事故についての注意などが書いてあり、
その中には実際にあった話が書いてありました。
それは交通事故で加害者の立場で亡くなった人の家族の話でした。
残されたのはお母さんと子供たち、上の子が小学二年生、
下の子が五歳の男の子の兄弟です。
この人たちは、事故の補償などで家もなくなり、
土地もなくなり、住む家もやっとのことで四畳半のせまい所に
住めるようになりました。
お母さんは朝6時30分から夜の11時まで働く毎日です。
そんな日が続くある日、三人でお父さんのいる天国に行くことを考えて
しまっていました。
(以下、プリントから)
235:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:18:00.47 ID:qD9gUH9L0
167 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [] 2009/12/25(金) 09:20:15.41 ID:/SOqYFy60
イヴの夜に両親不在の実家に妹の彼氏が来て
空気読んで「俺予定あるから」って言って外に出て
当然予定もないし、友達いないし
漫喫で泊まろうと思ったら財布無くて
財布とりに家帰ったら
鍵かけられてて、家の電気消えてて、妹と彼氏が確実にギシアンしてて
大して厚着もしてないのにこの寒空の下、とにかく朝になるまで時間つぶしたくて
でもリア充、DQN共の巣窟の駅前には行く勇気も金も行動力もなくて
誰にも見つからないように近所の小山を歩き回って、職質受けた挙句
結局、事後であろう午前3時頃に家に帰ってきて
妹と彼氏がギシアンして満足したであろう我が家の庭のエアコンの室外機に寄り添って
人が作り出した文明の利器の暖かさに触れて
昨日初めて優しくされた気がしながら夜を明かした、イヴの夜
199 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [] 2009/12/25(金) 09:47:08.75 ID:/SOqYFy60
晩飯は妹と外食するつもりだった
それに両親不在だったので昨日は少量のお菓子以外にまともな飯も食ってない
腹すいたときは昼に食ったハバネロの粉が爪の間に残ってる気がして
一人で指チュパしながら山の中徘徊してた
203 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [sage] 2009/12/25(金) 09:48:47.98 ID:S0YCb6CS0
>>199
もういい・・・・・・っ!
休め・・・・・・っ!
237:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:19:16.18 ID:LX0TsV0cO
朝、出かけにお兄ちゃんに、置き手紙ををした。
「お兄ちゃん、お鍋にお豆がひたしてあります。
それを煮て、今晩のおかずにしなさい。お豆がやわらかくなったら、
おしょう油を少し入れなさい。」
その日も一日働き、私はほんとうに心身ともにつかれ切ってしまった。
皆で、お父さんのところに行こう。私はこっそりと睡眠薬を買ってきた。
二人の息子は、そまつなフトンで、丸くころがって眠っていた。
かべの子供たちの絵にちょっと目をやりながら、まくら元に近づいた。
そこにはお兄ちゃんからの手紙があった。
「お母さん、ぼくは、お母さんのてがみにあったように、お豆をにました。
お豆がやわらかくなったとき、おしょう油を入れました。
でも、けんちゃんにそれをだしたら、「お兄ちゃん、お豆、しょっぱくて食べれないよ。」
と言って、つめたいごはんに、おみずをかけて、それをたべただけでねちゃった。
お母さん、ほんとうにごめんなさい。でもお母さん、ぼくをしんじてください。
ぼくのにたお豆を一つぶたべてみてください。
あしたのあさ、ぼくにもういちど、
お豆のにかたをおしえてください。でかけるまえに、ぼくをおこしてください。
ぼく、さきにねます。あした、かならずおこしてね。
お母さん、おやすみなさい。」
目からどっと、涙があふれた。
お兄ちゃんは、あんなに小さいのに、こんなに一生懸命、生きていてくれたんだ。
私は睡眠薬を捨て、子供たちのまくら元にすわって、お兄ちゃんの煮てくれた、
しょっぱい豆を涙とともに一つぶ一つぶ、大事に食べました。
238:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:21:15.90 ID:LX0TsV0cO
爺ちゃん所の犬は空気読めない
子犬の時から猫に前足で頭を押さえつけられてた、
バカな奴だ
大きくなっても「遊ぼうよ~」みたいに近づいて
良く老齢の猫に邪魔臭そうの頭押さえつけられてた、
ほんとバカな奴だ
猫が腎臓ダメになって、殆ど動けなくなって
そこに頭を低くして犬がゆっくり近づいて、
やっぱり頭を押さえつけられてた
その日の夜に猫は死んだ
犬は2.3日ご飯を食べなかったそうだ、
何処までもバカな奴だ
239:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 07:22:45.97 ID:BFHuN3Ow0
289 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/04/05(水) 02:24:50 ID:8Io/GpJ8Oたまごぼーろが大好きで「むふー!!」と雄叫びをあげながら、一粒ずつ大事に食べる娘。
かわいくてたまらないけど、もうパイよりオヤツなのかな…と少し淋しい。
ぼーろを食べてる娘の隣でためしにパイを出してみた。
ぼーろを持ったまま娘、突進!!パイにかぶりつき「むふー!!」と一言。
嬉しくて涙がボロボロ出た。涙で濡れる娘、パイから口をはなさず不思議そうに私の顔を見上げる。
あとどれくらいこの幸せを感じられるのかわからないけど、母ちゃんこの幸せ忘れないぞ!
240:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:24:15.65 ID:LX0TsV0cO
俺が小学校5年生のとき、寝たきりで滅多に学校に来なかった女の子と同じクラスになったんだ。
その子、たまに学校に来たと思ったらすぐに早退しちまうし、最初はあいつだけズルイなぁなんて思ってたよ。
んで、俺の家、その子の家から結構近かったから俺が連絡帳を届ける事になったんだ。
女の子のお母さんから連絡帳を貰って、先生に届けて、またお母さんに渡して…。それの繰り返し。
なんで俺がこんな面倒臭い事しなくちゃいけないんだ!って、一人でブーたれてたのを良く覚えてる。
そんなある日、俺何となくその子の連絡帳の中を覗いてみたんだ。
ただの興味本位だったんだけど。
連絡帳にはその女の子のものらしい華奢な字で、ページ一杯にこう綴られてた。
『――今日もずっと家で寝てました。早く学校に行きたいです。
――今日は窓際から女の子達の笑い声が聞こえてきました。
…学校に行けば、私も輪に入れるのかな…』
ショックだった。
学校行かないのって楽な事だと思ってたから。
ハンデがある分、ひいき目にされて羨ましいって思ってたから。
でも彼女の文章には学校に行けない事の辛さ、普通にみんなと遊びたいって気持ちに溢れてて、なんだか俺、普通に毎日学校に通ってんのが申し訳なくなって。
だから、連絡帳にこっそり書き込んだんだ。
「いつでも、待ってるからな。体が良くなったら遊ぼうな!」って。
241:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 07:24:38.68 ID:BFHuN3Ow0
759 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [age] 投稿日: 2006/10/01(日) 00:11:19 ID:lHMN8Cknお母さんが作るお弁当とはちょっと違いますが・・
現在中一の娘が、妹の幼稚園のお弁当を作っていた時期がありました。
当時、小3。
下の娘は幼稚園の年中組でした。
別にわたしが強制した訳ではなく、自主的に。
毎朝6時に起きて、台所でゴソゴソと作っていました。
普通の小学生の料理なので、当然それなりの中身でしたが
妹は毎日とても喜んで、残してきた事なんてありませんでした。
あまりに妹が、姉の作るお弁当をうれしがるので、
結局、卒園までの2年間作り続けたのでした。
お弁当が最後の日、帰ってきたカラのお弁当箱には
「お姉ちゃん、今まで毎日お弁当を作ってくれてありがとう。
いつもみんながうらやましがってたよ。おいしかった。大好きだよ。」
という手紙が入っていました。
そのお手紙は今では、生徒手帳に大事にはさんであるのをみつけました。
幼稚園の卒園証書と一緒に、お姉ちゃんにも園長先生が
「2年間、お弁当作りがんばったで賞」という賞状をくださいました。
必ず入れてた卵焼きは、今ではきっちりきれいでおいしいです。
自分の娘だけど、心底尊敬した出来事でした。
242:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:25:24.27 ID:LX0TsV0cO
でも次の日の朝、その子の家に行ったらその子のお母さんに
「もう、連絡帳は届けなくていいの」って言われた。
あまりにも突然だった。
俺その頃悪ガキで、頭もすげえ悪かったけど、その子のお母さんの言ってる意味は伝わったんだ。
……この子は天国に行ったんだ。もう一緒に遊ぶ事は出来ないんだ……。
そんな事考えたら涙が溢れて…止まらなくって…。
ずうっと泣き続けてた俺に、その子のお母さんは連絡帳をくれたんだ。
せめて君だけは、学校にも行けなかったあの子を忘れないで欲しいって。
そんな俺ももうすぐ30になろうとしてる。
あの時の連絡帳は、引き出し下段の奥底にずっとしまったきりだ。
就職したり、結婚したり、子供が生まれたり…。今まで、本当に色んな事があった。
時には泣きたい事、辛い事の連続で、いっそ自殺しちまおうかなんて思った事もあった。
けど、そんな時はいつも引き出しを開けて、女の子の連絡帳を開くんだ。
そして、彼女が亡くなる直前に書かれた文章を読み返すんだ。
『ありがとう、いつかきっと、遊ぼうね』
243:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:26:39.27 ID:3fSR/U7UO
うちの母親は涙もろい
すぐに泣く
めちゃくちゃうざい
テレビでどこかの貧しい国の子供達のドキュメントやってて
食べるものがなくて餓死しちゃって
母親が小さい体抱きしめながら泣いてて、それ見ながら号泣
ティッシュ何枚も使って、可哀相にって
めちゃくちゃうるさい
だけどこの人の子供で良かったと思った心から
244:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:27:20.13 ID:h4SsIvV4O
こういうコピペ見たあとは2chやめて頑張ろうって思うけど結局戻ってきちゃうのよね
762 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2007/04/25(水) 14:54:50 ID:gSHiryVO0
当時とある大学の体育系サークルに所属し、その日自分は道場で自主トレに励んでいた。
実はこの道場の隣はサッカー場で、その日は小学生のサッカー大会に使用されていた。
別にそれなら関係ないのだがサッカー場から一番近いトイレがうちの道場だったため
一般の人や小学生が道場の敷地内に出入りをしていた。
そんなある時、自主トレから一時休憩と自分は買い置きのポカリ1.5リットルを持って
道場の裏に行った(うちの部は道場内で飲食厳禁だが道場の裏だけはそれが許可されていた)。
日陰に入って座り込み、紙コップにポカリを注いで飲んでいると・・・
7,8歳の小さな男の子とおそらくその子の妹であろう3,4歳の女の子が自分を見ていた。
ちなみにその近くには自販機とかの類は一切無い。一番近い所でさえ結構な距離である。
その炎天下の中、一言も口には出さないが飲み物を欲しがってたのはすぐに分かった。
自分は新しい紙コップに注いで「ほら」と男の子の方に渡した。
するとその子も喉が乾いてたろうに受け取った紙コップに口をつけず、先に妹の方へ差し出した。
小さい両手で紙コップを持ってポカリを飲んでる妹・・・それを見守る兄がとってもいじらしかった。
当たり前と言えば当たり前なんだが、なぜかとっても嬉しかった覚えが有る。
「持ってけ」なんか嬉しかったのでまだほとんど残っていたペットボトルを兄の方に渡した。
小さな体でペットボトルを抱えて持って行く姿がとっても微笑ましかった。
255:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:55:38.46 ID:qD9gUH9L0
771 名前:水先案名無い人 投稿日:2005/07/16(土) 09:59:51 ID:loFr4Kuw0
冬の終わりの静かな夜、スペインはマドリッドの巨大電波望遠鏡が、ザーザー乱舞する雑音の中に、
ある「生命」からのかすかな信号を探し出した。
信号の方向は牡牛座。「生命」はパイオニア10号宇宙探索機。
30年前に母なる地球を離れ、宇宙開拓史上初めて危険な隕石帯を無事に通過し、
輝く雲海をかすめながら初めて巨大な木星の近接観測をした。
そこで木星の強力な引力を使って時速13万キロに加速、以来宇宙の果てに向けて延々と旅を続けている。
パイオニア10号は現在地球から78AU(1AUは太陽と地球の距離)の地点にあり、
時速約5万キロで太陽系を離れて行く。パイオニア10号の設計寿命は2年だった。
それが30年後の今でも生きている。
5年前プルトニウム電池の出力低下とNASA(米航空宇宙局)の予算削減でパイオニア10号との接触は打ち切られた。
光ですら11時間かかるこの距離では太陽も夜空の星のひとつに過ぎない。母なる地球の方向も分からない。
接触が打ち切られて以来、パイオニア10号は地球から送られて来るはずの強力な電波を待ちわび、
必死に耳を傾けていたに違いない。
再びパイオニア10号を探し出すには半年以上かかった。地球から強力な電波を送り続けた。
それをやっと聞きつけたパイオニア10号は大喜びでその方向へアンテナを向け、
集めた観測データを一生懸命送って来た。
パイオニア10号が宇宙の向こうで主人を再び見つけた子犬のように喜んではしゃいでいる姿が見えるようだ。
パイオニア10号との接触は今後も続けられる。
宇宙からの極めて弱い信号を雑音の中から聞き分ける研究にパイオニア10号が使われることになったからだ。
258:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 08:37:56.80 ID:qD9gUH9L0
258 名無しさん@恐縮です New! 2006/08/03(木) 23:22:04 ID:V7KoDVKJ0
ガッツの話
芸能界に入った時は、オレも1年生。演技もしたことないし、セリフも覚えたことない。
だからみんな先輩、楽屋では子役のところにも挨拶に行った。
お芝居なら覚えられないセリフも必死で、本番まで覚えたよ。
バラエティならみんなが読まない脚本も読んで、きっちり自分の役割をこなした。
だから、「ガッツさんちょっとおかしい」ともいわれたね。
ケーキは顔に塗られるし、馬鹿な役もやらされる。
「チャンピオンも引退したら悲惨だね」って言われたよ。
でもね、『おしん』というドラマの時にいきなりセリフの多い役で大抜擢された。
聞くと橋田 壽賀子先生じきじきの指名だよ。
「先生、何でボクを選んだの?」って聞いたの。そしたら
「あんた一生懸命やってるじゃない」
「普通、ボクシングのチャンピオンでこの業界に来るとみんな天狗で鼻持ちならないのよね」
「あんたはチャンピオンのガッツ石松じゃなくて、役者の、芸人のガッツとして頑張った。
だからこの役はガッツ石松のために用意したのよ。あんたが一生この業界で食っていけるように」
オレは人目もはばからず泣いたよ。見てる人は見てるんだって思ってさ…
259:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 08:47:05.97 ID:qD9gUH9L0
856 :名無しさんの初恋 :2006/10/16(月) 01:35:46 ID:vyZaQ6EH
ずっと好きで好きで片思いだった従姉が先週、急に温泉にいこうって誘ってきた
金曜の夜から二泊三日でさっき帰ってきたんだ
旅館じゃ夫婦みたいにずっと一緒で混浴もして最後までして夢のようだった
しかも従姉、初めてだった
夢が叶ったって、つきあえるって思ってたのに・・・・
従姉の家に送った時に叔父さんから従姉が叔父さんの取引先の息子さんと婚約したって聞いた
来年早々にも挙式をするから来てくれって叔父と叔母に言われたよ
従姉は目を伏せて俺と話してくれなかった
帰りに車の窓越しに「ごめんね」って一言だけ・・
どういうことなんだよ・・・
262:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 10:02:54.54 ID:qD9gUH9L0
39 名前: ('A`) 投稿日: 2006/06/06(火) 00:55:02
うちのかーちゃんは酒乱の親父に耐えかねて
俺ではなく犬を連れて家をでていった。
263:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 10:34:06.44 ID:qD9gUH9L0
よく通る道に花が手向けられている電信柱があり、
通る度に供えられた花の種類が変わっていたので
よほど大切な人を亡くしたんだろうなと気になって見ていた。
ある時、その電信柱の前を通ったらその花が荒らされていた。
次の日通ると花は綺麗に新しくなっている。
その日の夕方に通るとまた花が荒らされていた。
その後荒らされる→新しい花→また荒らされるというのが暫く続いた。
猫や鳥にやられたのかな?と思いつつ通り過ぎていたが、
ある日偶然にもその花を荒らしている最中の人を発見。
俺はとっさに車を降り、
「何してるんですか!」と咎めた。
するとこちらを向いた40~50代位の女性に女性が
「○○ちゃんを返して~」と号泣。
虚をつかれうろたえながら彼女を宥めつつ話しを聞くと、
彼女は娘さんをここで亡くした。
娘さんは歩いていて、車に突っ込まれた。
運転していた男性もこの電信柱にぶつかった衝撃で亡くなった。
この花は加害者の男性の家族が供えている。
その花を見る度に娘を思い出してしまい、いたたまれなくなって
花を荒らすようになってしまった。
といった感じでした。
「もうこんな事はしませんから・・・」
と泣きながらふらふら帰っていく彼女を見て
やるせない気持ちになり暫くそこに立ち尽くしてしまいました。
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84 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/11 16:16
初めてのあかちゃんに無我夢中だった。
ろくに眠らず、夜鳴きもひどかった娘。
へとへとに疲れはてて、抱っこでゆすりながら
「あんたはママを苦しめたいの?ほんとにひどい子だ」と
悪態をついた日々。
赤ん坊の気持ちなんて、全然わからない。
母親の自信なんて、みじんもない。ただ、もがくだけの日々。
あれから数年たって、娘は五歳になった。
「あのね、ママ」(もじもじ)
「なぁに」
「あたしね、ママのこと、生まれたときからすきだったの」
あの頃の私が一番聞きたかった言葉。
やっと聞けた。こっそり台所で泣いた。
2:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:16:00.11 ID:BFHuN3Ow0
105 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/12 02:10
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」 こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない
3:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:17:39.10 ID:BFHuN3Ow0
Evgeny Tabakovくんはモスクワ州のノギンスクで暮らしていた7歳の少年。12歳の姉・Yanaちゃんと自宅で留守番していたところ、
就職に失敗した33歳の男・Sergey Kiyashkoが強盗をするため部屋に侵入してきました。
Sergeyはナイフで2人を脅かし金目の物を出すように要求、YanaちゃんがSergeyに捕らえられたため、Evgenyくんはお金を探しに行くことになりました。
しかし、それからSergeyはYanaちゃんの服を脱がし始めてしまいました。それを目撃したEvgenyくんは台所に走っていってナイフをつかみ、
Sergeyの腰へと突き刺しました。それによりYanaちゃんは逃げ出すことができたのですが、
怒ったSergeyは自分の持っていたナイフでEvgenyくんに襲いかかり、背中を8回刺したそうです。その後、Sergeyは捕まり、
Evgenyくんは病院に運ばれましたが、Evgenyくんは命を落とすことになりました。
そして、Evgenyくんの行動に対して政府から「Order of Courage(勇気勲章)」が贈られることになったそうです。
検察官の調査委員長のAndrey Bastrykin氏は「毎日死と向かい合っている検察官の職員にも衝撃的な悲劇だった」と授賞式で話しています。
Evgenyくんの通っていた学校も、ロビーにEvgenyくんの話を記念に残すことを約束し、Evgenyくんの使っていた机は学校で一番の生徒にしか使わせないことを述べたそうです。
ロシアでレイプされかかった自分の姉をかばい、命を落としてしまった少年に対して勲章が贈られたとのこと。
検察官の調査委員長による少年の勇気に対して勲章を贈るべきとの推薦があったそうです。
詳細は以下から。
RT: Russian News : Boy who died saving sister from rapist awarded
4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:21:09.09 ID:V47iOQP90
そうか、あかんか、いっしょやで
のやつ
10:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:24:23.80 ID:BFHuN3Ow0
>>4
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言い、強く抱きしめた。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:22:24.74 ID:Uc5awscr0>>4
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言い、強く抱きしめた。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
604 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 13:06:13 ID:NJRpOhWp
小学校6年くらいの時の事
親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、
名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。
その時まで実の両親だと思っていたので心底衝撃を受けた。
帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、公園のブランコに座って立てなくなった私に、
親友はずっと付き添っていてくれ、
「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」とか言って、カバンからメロンのアイスの容器
(メロンの形のやつ)を出して、水道の水をくんで飲んだ。
一体何のテレビを見たのか、「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」なんてメロンのカップ
片手に言う親友がおかしくて、思わず泣きながら笑いあった。
十数年たって私が結婚する事になり、結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、あの時もらったメロンのカップをカバンにこっそり
忍ばせて飲んでたら、突然親友がポロポロ泣き出して
「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」と。
『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと悔やんでいたと泣いた。
そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、
机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、あなたがいてくれたからやってこれたんだと
伝えたかったのに、
ダーダー涙流しながらダミ声でドラえもんのように「ごれ゛ぇ~」とメロンのカップを出すしか
できなかった。
親友もダーダー涙流しながら「あ゛~ぞれ゛ぇ!」と言って、お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。
もちろんメロンのカップで。
もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した
8:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:23:26.14 ID:BFHuN3Ow0
122 Mr.名無しさん sage 05/02/25 02:31:23
昔いた子猫を思い出した。
外で一匹だけにゃーにゃー泣いてる子猫がいたんだよ。
生まれたばかりの、尻をつついてやらないと自分でおしっこもできないくらいの白い子猫。
寒い冬だったから連れて帰って、動物の知識もないまま、温めたミルクとかあげて。
でも、最初連れて帰った日からその猫風邪気味でさ。
結局、数日後の朝に、冷たくなってた…。
あの時もっと猫の知識があればきっと助けられただろうにって、今でも無茶苦茶後悔してるよ。
その子猫が気に入ってたしろ猫のぬいぐるみに、首のところだけ茶色く、そいつの糞のなごりがあるんだが、10年以上たった今となってはそれだけがそいつの名残りだ……。
ところで、その後に猫を飼いだして、今年16才になる二匹の猫がいる。
そのうちの白い方。しろ猫。
なぜか、首のところだけ気が茶色く染まってるんだよな……。
生まれ変わりとかって、あるのかな。
9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:24:09.71 ID:Uc5awscr0
一応支援するけど、お前は何なの?
この時間にこんなコピペ見ると思わず泣きそうになるんだよ
12:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:26:37.03 ID:BFHuN3Ow0
>>9
それが狙いだ
この時間はなぜか涙腺ゆるむよね
82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 11:17:18
22歳の俺が昨日嫁にいきなり言ってみた
俺「愛してるよ、これからもずっと・・」
嫁はニコニコしてるだけだった。
1歳の子供は呆けた顔していた。
もしこの世にいるなら
「うちも愛してる」って言ってくれただろうな
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:25:14.27 ID:rUCGQwm30>>9
それが狙いだ
この時間はなぜか涙腺ゆるむよね
82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 11:17:18
22歳の俺が昨日嫁にいきなり言ってみた
俺「愛してるよ、これからもずっと・・」
嫁はニコニコしてるだけだった。
1歳の子供は呆けた顔していた。
もしこの世にいるなら
「うちも愛してる」って言ってくれただろうな
ファミコン買うために新聞配達して、その金で母ちゃんにハンドクリーム買うやつ
15:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:29:53.22 ID:BFHuN3Ow0
>>11
29 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2008/01/30(水) 22:29:41.48 ID:zEqgzceA0
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの
ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びた ハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。
初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:28:19.36 ID:Uc5awscr0>>11
29 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2008/01/30(水) 22:29:41.48 ID:zEqgzceA0
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの
ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びた ハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。
初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。
93 大人になった名無しさん 2006/11/10(金) 00:22:56
死んだ親父はよく食いに連れてってくれたな
うまいんだけど、親父は食うのが早くて、
食い終わるとじっと怒ったよな顔でオレが食べるのを見てた。
「早く食え」って言ってるみたいでちょっとヤだった。
こないだ初めて子供とラーメン屋に言ったら、やけにおいしかったらしく
ガツガツ食うわ、あせって水飲むし、ちっこい手で丼つかんでスープ飲んでハァハァいってる
可愛かった
そしたら「ねぇなんでじっと見てるん?怒ってる?」
オヤジ・・・
16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:31:40.07 ID:Uc5awscr0
自分でも引くほど涙腺ゆるんでるわwww
恥ずかしながら、自殺を図って失敗
病院を退院する時
「悩みから解放されて眠っているあなたは、とても綺麗で
あのまま眠らせておいてあげたかったけれど。ボクは医者だからね」
とお爺ちゃん先生だったけど、綺麗なんて言われた事がないので嬉しかった
その後、私を真っ直ぐに見て
「生きなさい」と言ってくれた
もう何年も前の事だけど、辛くなったら思い出す
17:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:32:35.67 ID:BFHuN3Ow0
小学校の頃、クラスの友人が手から血を流していたのでティッシュを渡してあげた。
どうしたんだ?と聞いた所、ムカつく猫がいたので捕まえて水の入ったポリバケツに放り込んだ際に引っかかれた。との事。
彼は捕まえたその状況をさも誇らしげに武勇伝の如くクラスの仲間に話し、
仲間数人で猫がどうなったかを今から見に行こう。って事になった。
現場に着くと、前日迄の雨で半分ほど水の入った業務用のポリバケツの中で、
体の半分以上が水に浸かり、小刻みに震える弱々しい子猫が今にも死にそうにしてた。
友人がバケツを足で蹴り倒し取り出した猫に「こいつ爆竹の刑にしない?」
と笑いながら皆に言った瞬間、普段温厚な自分の中で何かがはじけ、
気がつくと俺は落ちているポリバケツを拾い、思いっきりそいつの頭に投げつけてました。
更に、そばの用水路にそいつを蹴り落とす暴挙までやってしまった。
あっけにとられる他の友人達と、腰まで用水路に浸かり半泣きのそいつに
「お前、そこから上がったら爆竹の刑だから」と言い放つと、
弱って震える子猫を体操服でくるみ、自宅に連れ帰りました。
翌日、そいつが用水路に落ちた際に足を怪我してた事が判り、担任や親からしこたま絞り上げられ、
そいつの3歳上の兄貴からも帰り道で待ち伏せに合い殴られた。
クラスでは浮いてしまうし、猫一匹の為にさんざんな目にあってしまった。
あれから12年。
トムという名前を付けたその家族(猫)は、俺の布団の上でまるくなって息を引き取った。
猫で12年生きれば大往生だったと思う。
俺は固く冷たくなったトムに「おつかれさま」とタオルをかけてやると、
トムがいつも登っていた庭の桜の樹のそばに、丁重に埋めてあげました。
最初は人間不信で警戒しまくりだったトム。
最後は人間が大好きになってたトム。
そしてトムが大好きだった俺。
毎年春が近づくと近所の桜よりも一足早く、トムの桜が花を咲かせます。
そのたび幼き自分が勇気を出して行った行動を誇りに思う
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:35:04.87 ID:Uc5awscr0
512 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/24(水) 01:41:47
嫁は妊娠中。もうすぐ八か月。
西日の部屋で、ソファに座ってお腹を撫でてる嫁を見てたら、なんとなく言いたくなって
後ろから抱き締めて「愛してる」って言った。
ただ、俺の嫁、ろう者なのね。なんも聞こえないの。わかんないの。
わかんないはずなの。
でも、嫁、振り返って
手話で
《わたしも》
って言ってくれた。
俺、明日もがんばれるわ。
19:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:35:59.85 ID:BFHuN3Ow0
320 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2009/12/07(月) 21:08:04 ID:JKnm4DJt
月並み?だが、自分が養子だった事。
高校の修学旅行でパスポートが必要になり、戸籍謄本を取った時に愕然とした。
その日は何も手に付かず、夕飯で両親が揃った時、思い切って問いただした。
最初は鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてた父が、みるみる目と口を開いていき。
「忘れてた!!」
今度は私が豆鉄砲を食らいました。
結婚当時、子宝に恵まれず、まだ赤ん坊だった私を施設から引き取った事。
年頃になったら説明しなきゃいけないなあ…と思いつつ、3人で生活している内に
養子という意識も薄れ、私が中学生になった頃にはすっかり頭から抜け落ちていた事。
「いや、小学校卒業した時に説明するかどうか悩んだ記憶があるから、それまでは覚えてたんだよ」
などとしどろもどろで言い訳する両親を見てると、ああ、二人は間違いなく私の両親なんだなあと
思えて、なんだか泣き笑いになってしまった。
あれから10年近く経つけど、私たちの関係に変わりはない。
今日が両親の結婚記念日だったので、ふと思い出した。
22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:37:32.38 ID:R0S6mcco0
二次元に恋し、喪のまま結婚する事無く八十数才になった俺
近所からは危ない老人、キチガイ老人と若い頃と同じく迫害され続ける俺
訪れる人といえば市の職員が死んでねーか?と来るくらい
ある日風邪をこじらせた俺の家の玄関をダンダン!と叩く馬鹿がいる
ブチ切れた俺は「誰だ!フォルァァ!」と扉を激しく開ける
そこには50年以上前に心の底から愛し恋い焦がれたあのキャラの姿があった
彼女は何ら変わらぬ優しい笑顔で俺に手を差し伸べ
「お待たせ!さぁ一緒に行こっ」
震えた、涙が止まらなかった
それから数日後、俺の家を訪ねた市の職員は玄関先で倒れた俺を発見する
すでにこと切れていた
警察や役所は風邪をこじらせた独居老人の孤独死と結論を出す
しかし色んな孤独死を見てきた市の職員は不思議に思っていた
これ程の満面の笑みで亡くなった老人を彼は知らない
最後の最後でこの孤独な老人にいったいどんな奇跡が起きたのだろうか
24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:40:16.79 ID:Uc5awscr0
336 名前: 大人の名無しさん 投稿日: 02/03/04 23:42 ID:IadrbyOh
癌が見つかりました。子宮癌。
でも、絶対に死にません。
子ども達と子どもにネクタイだけ付けたようなダンナを置いて死ねません。
私と私の家族の幸せを自分達の幸せと思っている両親と義両親を置いて死ねません。
算数の文章問題が苦手でプリント前にして涙ぐんじゃう長男を置いて死ねません。
おじゃ魔女ドレミごっこで、おんぷちゃん役になれないと暴れる長女を置いて死ねません。
明後日入院します。内臓全部くり抜いても良いから生かして下さいを先生に言ったら
苦笑いされましたけど。
本当は、不安で不安で転げ回りたいくらいですが、ともかく私は死にません。
と高らかに宣言させてください・・・・・。
25:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:40:39.41 ID:BFHuN3Ow0
これは実際にあった話です。
12月26日。クリスマスの次の日
タイのプーケットはいつもと変わらない朝だった。
クリスマス休暇でバケーションを地上の楽園で楽しんでいる人たちで
あふれかえっていた。そしてその日も晴れ渡った空の下、いつもと変わらない
楽園の一日が過ぎていくはずだった。そうあの津波さえ襲ってこなければ
津波はすべてのものを飲み込むように襲ってきた。
海岸で遊んでいた人たちが次々と飲み込まれ、気をなぎ倒し
車を押し流し、濁流になって町を飲み込んでいった。
人々は押し寄せてくる波から逃げ惑い町全体がパニックになっていた。
そしてすべてが押し流されていこうとしていた。
そのなかで少女2人は奇跡的に生き残った。
その2人は小象の背中に乗って遊んでいるところだった。
そしてそこに津波が押し寄せてきた。
人々が腰以上まで来る津波に押し流されていった。
しかしその強力な波の中で小象はじっとたって動かなかった。
懸命に2人の少女を背中に乗せて、打ち寄せる波にじっと耐えた
そうあの車でさえ押し流してしまうような波に。
そして今日も小象は今日も誰かを背中に乗せてゆっくりとプーケットのどこかを
歩いている。
27:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:42:12.42 ID:BFHuN3Ow0
493 :おさかなくわえた名無しさん :04/12/12 18:30:29 ID:SAtrbW1A
もう10年も前の話
妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。
実際私も、妻の面影を追う毎日であった。寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。
出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。
そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、
園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・
「まぁ、行くよ♪」 娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。
28:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:42:33.39 ID:BFHuN3Ow0
>>27続き
あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとってもさみしいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」
そう言っていたのよ。
何ということだ。娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。
10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。
来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?
君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。
30:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:45:07.06 ID:BFHuN3Ow0
773 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/20(火) 10:20:20
長文だが投下させて下さい。
昨年、突発性難聴と診断された妻。病院に通って服薬治療を続けてきた妻だったが、とうとう先週「このままの聴力で安定して行くでしょう。」と言われて帰って来た。
きっとショック受けてんだろうなーと家に帰ったが、いつも通りのあっけらかんとした妻だった。
「私、手話覚えるしかないかなー。」なんて笑いながら話してた。(静かな場所であれば、響く様な感じだが聞き取れるし話せる程度)
夜子供が寝た後に、これから必要になるかも…?と、二人でゴロゴロしながら筆談をしてみた。
最初は他愛もない話だったんだが、いきなり妻が「ごめんね。辛くなったらいつでも言ってね?私こんなんになっちゃって、いつでも離婚しても良いと思ってるよ。」って書いた。
774 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/20(火) 10:23:57
続き
つい大きな声で「お前離婚したいのか?!耳が聞こえない位で離婚するわけないだろ!バカか!」って言ってしまった。
妻はかぼそい声で「出来る事、一生懸命やるから、頑張るから捨てないでね…」って泣いた。
妻がこの件で初めて泣いたのを見て、俺も泣いた。ずっと我慢してたんだって。不安だったろうな、辛かったろうな…。
抱き合って泣いてる俺達にびっくりして起きてしまった2歳の娘が、「おか」~しゃん おと~しゃん 泣かないの ヨチヨチ」ってしてくれた。
この温かい家族をこれからも俺が守って行こうと思ったよ。
32:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:50:16.93 ID:BFHuN3Ow0
餓死した2人の幼児 ~大阪市の刑事に聞く
無力。
この事件以来、深酒が続く。
知り合いの刑事が近くの管轄だったので、本事件を担当する刑事に尋ねてもらった。
記事にもしたくないくらい凄惨な現場だった…。
2人の幼児は部屋(ワンルーム)いっぱいに積まれたゴミで身動きが取れなかったそうだ。ゴミための残飯(母親が残したカップ麺など)を綺麗になめていて、それで3歳の長女は食中毒を起こし先に死んだらしい。
死亡推定時刻は10時間以上、1歳の男の子より早かった…。
120ℓほどの冷蔵庫は何も残って無かった。長女は辛子やマヨネーズ、そうめんのダシ、果ては製氷の結晶もなめていたそうだ。1歳の弟にも分け与えていた。彼女が4歳だったら死なずに済んだのだろうか。
二人は排泄物にまみれていた。
最低でも4日分の糞や尿が体に付着していた。1歳の子は糞を食った形跡があった。
殺人容疑に切り替わるらしいが、いずれにしても軽い刑罰を母親は受ける。
重刑にして欲しいとか、そんなことは願って無い。そんなことしたって2人は帰って来ない。
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:50:38.17 ID:Uc5awscr0
458 名前:ななしのいるせいかつ[] 投稿日:2007/03/17(土) 14:36:24
老人ホームで実習した時の話。
そこは認知症のおじいちゃんおばあちゃんばかりの所で、
5分前に話した話は覚えてない、1ヶ月居ても私の顔は覚えてくれない。
かなしいな、とは思いつつも精一杯介護させていただいた。
1ヶ月の実習が終わっていよいよ最後の日。
一人一人に挨拶をして回る私。
すると、かなり重い認知症を患ったおばあちゃんが目いっぱいに涙溜めて
「あの時はありがとう。怪我した小指に絆創膏貼ってくれたね」
ってそう言って抱きしめてくれた。
その後、聴いたことも無いメロディーに乗せて涙ポロポロ流しながら
「別れは辛いけどあなたに会えてよかった。」と歌ってくれた。
あんなに泣いたのはいつ振りだろうってくらいに声を上げて泣いたよ。
34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:50:40.32 ID:sYQO9mcBO
怖い話のコピペだけど「育美ちゃん」の話を初めて見た時は悲しすぎて涙出た。感動しない泣けるコピペが一番痛い。
38:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:53:22.07 ID:BFHuN3Ow0
>>34
育美ちゃんは小学校に上がる前にお父さんを亡くしてしまい
お母さんはその後再婚もせずに働きまくって育美ちゃんを高校は
もちろん、大学にまで入れてくれました。
でも、無理がたたって倒れてしまいました。
それでも身体が良くなるとまた働きはじめて、そしてまた倒れて・・・。
そんなことを繰り返しているうちについに起き上がれない身体になってしまいました。
そして自分がもう長くないと悟ったお母さんはお守りを1つ育美ちゃんに手渡し、
「ごめんね育美。ひとりでも頑張るんだよ。
でも、どうしても辛かったり耐えられなくなったらこのお守りを開けなさい」と言いました。
しばらくしてお母さんは亡くなってしまいました。
育美ちゃんはお母さんに貰ったお守りをお風呂に入るとき以外は肌身離さず持ち歩いていました。
あるとき友達(Nちゃん達)とプールに行ったとき更衣室で育美ちゃんのお守りの話になり、
中を見てみようということになったそうです。最初は断った育美ちゃんも
お母さんが亡くなってからだいぶ経っていたこともあり
まあいいかと思ってお守りの中をのぞいてみました。
するとそこには1枚の紙が折り畳んで入っていました。
なんだこれだけ?と拍子抜けした育美ちゃんが
その紙を取りだして開いてみると。そこには・・・
震えた文字で「育美、死ね」と書かれていました。
36:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:52:13.78 ID:BFHuN3Ow0>>34
育美ちゃんは小学校に上がる前にお父さんを亡くしてしまい
お母さんはその後再婚もせずに働きまくって育美ちゃんを高校は
もちろん、大学にまで入れてくれました。
でも、無理がたたって倒れてしまいました。
それでも身体が良くなるとまた働きはじめて、そしてまた倒れて・・・。
そんなことを繰り返しているうちについに起き上がれない身体になってしまいました。
そして自分がもう長くないと悟ったお母さんはお守りを1つ育美ちゃんに手渡し、
「ごめんね育美。ひとりでも頑張るんだよ。
でも、どうしても辛かったり耐えられなくなったらこのお守りを開けなさい」と言いました。
しばらくしてお母さんは亡くなってしまいました。
育美ちゃんはお母さんに貰ったお守りをお風呂に入るとき以外は肌身離さず持ち歩いていました。
あるとき友達(Nちゃん達)とプールに行ったとき更衣室で育美ちゃんのお守りの話になり、
中を見てみようということになったそうです。最初は断った育美ちゃんも
お母さんが亡くなってからだいぶ経っていたこともあり
まあいいかと思ってお守りの中をのぞいてみました。
するとそこには1枚の紙が折り畳んで入っていました。
なんだこれだけ?と拍子抜けした育美ちゃんが
その紙を取りだして開いてみると。そこには・・・
震えた文字で「育美、死ね」と書かれていました。
86 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2008/01/31(木) 00:12:09.85 ID:3xNmDc9j0
俺は何でもしてやるつもりだった。
中学に入って生意気になってきたら本気で叱り付けてやるつもりだった。
学校でいじめられたりしたら、いじめた奴をコテンパンにのしてやるつもりだった。
援交とか始めたりしたら、真剣に道徳に付いて教えるつもりだった。
「おにいちゃん」から「兄貴」に変わる年頃になったら、からかってやるつもりだった。
そして彼氏が出来たら、兄貴風吹かして彼氏に「お前には妹は相応しくない」といってやるつもりだった。
妹の部屋にのこのこ現れて、バカやって二人の間に入りふざける。
「おにいちゃん!邪魔しないでよ!」なんて言われたら彼氏そっちのけで喧嘩をして、
オヤジが止めに入って、二人してどやされる。
そんな光景を夢に見てた。
葬式では、母親よりも俺の方が激しく泣いた。
友人達が心配する位狼狽して、一人で立っていられない程に泣いた。
ほんの二週間前の自分にあって、殴ってでも警告してやりたかった。
もっと優しくしてやればよかった。
どんな想いで俺宛に手紙を書いて、どんな気持ちで手紙を渡したんだろう。
見た事もない男を「お兄ちゃん」と呼ぶ時、きっと物凄く緊張しただろうに。
俺は妹の代わりに母親を大事にしている。
この人こそが俺の母親だと思ってる。
「わたしのお母さんを大事にしてね?お兄ちゃん!」
「そんな事言うまでもないだろ?」
妹とのそんなやりとりを、今でも空想しながら母親に接してる。
生きていたら、俺の妹は今年の春、高校を卒業した筈だ。
たった一回しか会わなかったが俺には妹がいた。
40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:54:06.64 ID:rOCmPXN60
俺18歳なんだが今年で18年目になる飼い猫がいる つまり俺と同い年なわけだ
どんなに記憶を遡ってもそいつがいる
本当に兄弟のように一緒に育った
布団の中に入ってくるし、寝るときに部屋に連れて行かないと廊下で入れろと鳴く
餌は好き嫌いが多いし、甘えてきても腹がいっぱいになれば呼んでもうるさそうに振り向くだけ
でもそんなとこも妙に可愛い
でもそいつもこの数ヶ月で急に衰え始めた
餌が食えない 階段が登れない 一度横になるとなかなか立ち上がれない
病院に連れて行ったら老衰だった
覚悟をしていて下さいと言われた
胸が苦しい 言葉がでない
半年前なら外に連れ出せばすぐに走ってどこかに行こうとしたのに今は腕の中で丸くなってるだけ
こんなに軽かったっけ?こんなに細かったっけ?
事故で死んだりするのとは違ってゆっくりと確実に終わりに近づいていく
こんなに悲しいなら飼わなければよかった
だけどこいつがいなきゃ嫌だ
死んでほしくない
あと20年ぐらい生きてほしい
神様お願いだよ
家族を連れて行かないで…
44:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:57:51.47 ID:BFHuN3Ow0
オーストラリアの乾いた大地を疾走するトラックの車内。
「ところで相棒、バックミラーにかかってるこの銀色のメダルは何なんだ?」
「いや、ちょっとしたお守りみたいなもんさ」
「おい、ちょっと待てよ。これ、本物の銀メダルじゃねえか!」
「そんな目で見るなよ。あるスポーツの大会でもらったのさ。そう、俺は
この前のオリンピックに出たんだ」
「オリンピック? 冗談よしてくれ。あれは選びぬかれたスポーツエリートだ
けが出られる大会だろうが。お前みたいに一日中トラックを運転してる奴がどう
やってオリンピックに出るんだ?」
「それもそうだよな、ハハハ。」
「わははは」
しかし、遠い地平線を見る運転手の青い瞳には、あの一日の光景が焼きつい
ていた。ありあまる資金で高級ホテルに泊り、薄ら笑いを浮かべながら会場に
現れる東洋人の集団。彼らのほとんどが一年で百万ドル以上を稼ぐプロの野球
選手だという。
若いオージー達は燃えた。そして、全力で立ち向かい、ぎりぎりの勝利を掴
みとったのだ。たいていの人間が野球というものを知らないこの国では、誰も
彼らを賞賛しなかった。しかし、胸の奥で今も燃え続ける小さな誇りとともに
今日も彼はハンドルを握り続ける。
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:59:02.19 ID:Uc5awscr0
450 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/10/15(水) 11:34:01
「このぽっけすごいねんで!!(`・ω・´)三3ムフー!!」
そう言って幼稚園の制服のポケットをパンパン叩いてた友達Aの息子
ポケットにはハンカチ、ティッシュ、お菓子、小指の先サイズのドラえもん、母親とのプリクラ、
それにムシキングカードなどなど…
その子にとっての宝物が詰まってた
「ぽっけ叩いたら欲しいもん何でも出てくんねん(`・ω・´)三3フンフン!!」
ソレ聞いて少しイジワル言ってみた
「じゃあミニカー出してみて」
前から欲しがっていて 持っていない事は知っていた
その子はムキになって
「あるもん!!フン!フン!」とポケットをパンパン叩いて宝物を散らかしていった私はその子の隙を見て
あらかじめ買っておいたミニカーを そっとポケットに忍ばせた
「フン!…あっ!! …フフ~ン♪」
得意気に出てきたミニカーを私に見せびらかしてたが、物陰で
(´・ω・`)??
みたいな顔してた
かなり萌えた
47:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:59:17.45 ID:Uc5awscr0
ある日Aが死んだ脳溢血だった 職場で突然倒れそのまま逝ってしまった
友達はいわゆるシングルマザーで家族は60を過ぎた御両親だけ
私達も悲しみにくれる間も殆ど無く、葬儀の準備の手伝い、関係者への連絡などで忙殺されていた
その間、彼はずっとジュウレンジャーの絵本を何度も何度も読んでいた
通夜が始まりしばらく経った頃、彼が居ない事に気付いた
私と手の空いた者が付近を探した
しばらく探していると友達Bから着信
小さな公園で見つけたとの事
急いで駆けつけるとBは公園の入口で、どういうワケかうずくまって泣いていた
フッ…と公園の中を見ると彼が居た暗い街灯の下、
「…お母さん、お母さん…お母さん…」
と泣きながら必死にポケットを叩いてた
周りには宝物が散らばっていた
恥ずかしながら20代女、その子慰める前に しばらくの間 泣き崩れてしまいました
声を殺して抱きしめる事しか出来なかった
いつの間にか集まってたみんなも泣いていた
あの日は全てが悲しくて仕方がなかった
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 03:59:25.54 ID:Uc5awscr0
あれから二年
もうポケットは叩く事は無くなった
代わりに
「ぐらふぃっくあーてぃすとになんねん(`・ω・´)三3ムフー!!」
が口癖になった
最近、ずっと絵を描いてるのはソレだったのか
どうやらBが 「お母さんの夢やったんよ」 と教えたらしいその話を聞いた瞬間、また泣いてしまった
子供の言葉で、何だかこっちの方が救われた気がしたんです
少し画家と混同しているみたいだけど、頑張れ
君には5人のお母さんがついてるぞ
その日までちゃんとAの分まで全力で見守ってるからね
46:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:59:07.25 ID:BFHuN3Ow0
92 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2008/01/31(木) 00:16:17.72 ID:3xNmDc9j0
5歳の長男が自閉症です。満足に言葉もしゃべれない・・・。
俺はこの子は諦めていた。
口で言っても解らないんだよ。
躾以前の問題だ。療育センター、TEACHいろいろやったけどあまり変化がなくて・・・。
なんか育てるのが辛くなってきて。
叩いて躾けるしかないって。愛情もあるのかないのか・・。
反動か、2歳になる愛想のいい次男を可愛がってばかりいた。
話し掛けるとニコニコ可愛い。
いっつも俺の後についてきて・・・。散歩もこの子とばかり・・・。
ちょっと前のこと・・・。長男を風呂にいれた日のこと。
いつもの様に長男は石鹸で遊んでた。
体を洗おうとしてもまるで反応なし。
口笛(?)を吹きながらシャカシャカ石鹸を泡立ててる。
俺は内心うんざりしながら子供の体を洗ってやった。
洗いおわって、子供を湯船にいれた。
一息ついて自分の髪を洗っていると・・・。
子供が背中をさすっているんだよ!
手を石鹸で泡立たせて。手だけで。
初めてだよ。
なんで?自分の体も洗えないのになんで?
驚いたけど・・・。なんでか涙がでたよ。
この子にしか見られてなかったけど、シャワーで涙をかくしたよ・・・。
その日、次男のほうは妻に風呂・ノいれてもらった。
なんで俺の背中を流してくれたんだろう?ほんの気まぐれなのか?解らないけど・・・。
ほんのちょっぴり、この子の親になって良かった。
49:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 03:59:56.58 ID:BFHuN3Ow0
定番
大学のとき、高校の同級生の女の子がALSを発症した。
そう親しくもない子だったし、ALSってどんな病気かも知らなくて
軽い気持ちで大学の近くにあったその病院に、ひまつぶしで見舞いに行っていた。
ある日彼女が、病室で言った。
「あたし処女のまま死ぬのってイヤだなあ、ねえ今度夜這いにこない?」
その晩実際に夜這いに行った俺を迎えた彼女は、病院の寝巻姿ではあったが
髪はちゃんと整えてあり、うっすら化粧をして、下着も当時流行り始めたTバックだった。
行為そのものは少々やっかいで、彼女は自分で脚を開くこともできなかった。
彼女はわざとらしい喘ぎ声をあげて、なんとか無事終ることができた。
そのあと俺に寝巻きを着せてもらいながら、彼女は嗚咽していた。
翌日俺の実家に彼女の母親から、「息子さんの優しいお見舞いに感謝します。」と
電話があったという。俺はまさかと思ったが、しばらくして戦慄した。
彼女はもう、起き上がることすらできない。トイレだって行けないから
たぶんおむつの世話になっているはずだ。
では誰が?
彼女の髪をとかし整えてやったのか
彼女に薄化粧を施してやったのか
彼女のおむつを脱がし、流行りの下着をはかせてやったのか
それがわかったとき、嗚咽とはいかないが不覚にも涙が出てきた。
あれから8年、彼女はもはや目も動かせない状態で今も闘病を続けているという。
51:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:01:53.27 ID:BFHuN3Ow0
51:おさかなくわえた名無しさん :2006/05/26(金) 20:58:52 ID:KQFLOVR2
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
52:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:02:17.44 ID:BFHuN3Ow0
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした
53:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:06:56.67 ID:BFHuN3Ow0
506 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2011/04/01(金) 15:47:00.67
寒がりで、この時期はあまり外出したがらないうちの嫁。
珍しく「散歩したーい!」と言ってきたので近所の河原を散策することに。
しばらく歩くと「ターゲットはけーーーーーん!」としゃがみこむ。
足元にはツクシ。お前は幼稚園児かwww
ちゃっかり小さいレジ袋まで持ってきてやがるww
ずっと住んでる土地だが、俺はツクシがこんな所に生えてるなんて知らなかったし
実際に生えてる姿を見たこともなかった。食べれるってことも知らなかった。
今は台所で必死にハカマってやつを剥いてる。
手伝おうとしたら一本だけ渡された。
嫁「どう?愉しい?」
俺「……(´・ω・`)」
嫁「でしょ?だから二階でゲームでもしててww」
ほんのささやかなことでも、俺にとっては未知の世界の扉を開けてくれる。
映像でしか見たことがなかったホタルを観に連れてってくれたのも、嫁。
将来子供ができたら、子供にもいろんなものを見せてくれると思う。
この人と結婚してよかった。
54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:10:14.26 ID:fTyyCSno0
111 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:2006/08/12(土) 08:45:23 ID:+fn9uvqJ0
ばあちゃん……
俺がうまいって言ったら、ずーっとそればっか作ってくれたな……
子供の俺には嬉しかったよ、ばあちゃん
死に目に会えなくてゴメンネ、子供だった俺は深夜1時過ぎまで起きてられなかったんだ
それに「倒れた」って聞いても、すぐに起きるもんだと思ってんだよ
最後に俺の名前呼んでくれたそうだね、その時のばあちゃんの気持ち考えると切なくなる
ばあちゃんが亡くなってから10数年、二十歳を過ぎた頃になって
父さんからばあちゃんの話を聞いた時ショックだった
ばあちゃんはじいちゃんの後妻で、父さんとは血が繋がってない
つまり俺とばあちゃんは、言ってしまえば赤の他人
それを聞いたとき「最後に俺の名前を呼んでくれたこと」を思い出し
ばあちゃんが死んだ時より泣いた
血の繋がりとか戸籍上とか関係無く、ばあちゃんは俺のばあちゃんだった
55:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:11:15.39 ID:BFHuN3Ow0
1
あのワールドカップという宴が終わり、はや数日
皆さんも一度は見たと思う、いや必ず見たと思う
その中で、皆さんが印象に残ったことは何ですか?
ブラジルの優勝ですか?
お隣・韓国のベスト4という躍進ぶりですか?
『青の戦士』たちの16強の活躍ぶりですか?
「誤審のひどさばかりが印象に残った」という人もいるでしょうが、
この件に関しては後日語りましょう・・・
かく言う私が印象に残ったこととは、あの国のことである
デンマーク、皆さんはこの国をご存知ですか?
まずは簡単にデンマークという国の紹介をしましょう
デンマーク・・・
正式国名「デンマーク王国」
北欧の端に位置し、面積は43000平方キロメートル、北海道の半分ぐらい
首都はコペンハーゲン、人口は531万人
いたって小さな国である
言語は通常語はデンマーク語、英語でもほぼ通用する
56:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:11:33.22 ID:BFHuN3Ow0
2
これはボクの経験なんですが・・・デンマークをはじめとした北欧の国々は異様なほどに税金が高いんですよ。まずは日本でいう消費税が最低20%はかかる『サービス税』なんてものも含めるとたいてい30%~40%近くの税金が課税される
ですからね・・・北欧に旅行に行ってショッピングしようと思うならアメリカとかの感覚で行くと『えらい目』に合いますから^^;
ま~~税金高い分いい面も、もちろんあります
これらの国は福祉の充実度が世界トップレベルなんですよ
税金高いのは福祉のためなんでしょう
老後に住むにはこれ以上ない環境の国ばかり^^;
余談を入れちゃいました・・・・話をデンマークに戻そう・・・(・。・)
かのデンマーク、サッカーについては他の欧州国に遅れをとった
デンマークサッカー自体の歴史は古いのだが・・・
世界に躍進しだしのは、つい最近のことである
欧州選手権に84年初出場、ワールドカップ初出場は86年
この80年代から、世界がデンマークのサッカーを認めだした
このころから、彼らの躍進ぶりとスタイルから世界のサッカーファンは彼らのことをダニッシュ・ダイナマイトと呼びはじめたのである
そんな彼らが今大会、2002年日韓ワールドカップに出場することとなった
2大会連続、3回目の出場を決めたデンマーク
(↑ボクのデータですから・・・間違えてたらゴメンです^^;)
57:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:11:57.04 ID:BFHuN3Ow0
3
そして、このデンマークが今大会のキャンプ地を和歌山県に決めた
キャンプ地の説明は今ここではしませんよ^-^;
テレビでキャンプ地のことは何度か流れていたと思うし・・・
例を上げれば・・・そうですね
遅れてばかりで有名になったカメルーンと中津江村
ベッカムフィーバーでわいたイングランドと淡路島
これらが有名でしょう・・・
そして、和歌山県であるが・・・他の立候補地と同様に和歌山県側も誘致に必死であった
デンマークへ何度も訪れた。この苦労が実りキャンプ地決定の知らせを受けた
この一報に和歌山県の関係者は涙したという
和歌山に決めた理由は「日本のほぼ中心地であり、関空に近いから」という
それだけの理由だった・・・(・。・)
お茶らけはこれぐらにして、ここからは少しまじめに語ります
デンマークと和歌山県民の交流をまじめに語りましょう
それらを見てきた皐月パパの感想なり、想いを入れて書きたいと思う
ですから・・・今日は『落ち無し!』で参ります♪^-^;
では!真剣に書いていきましょう
58:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:12:11.82 ID:BFHuN3Ow0
4
読者の方々でもデンマークってどんな国?と普通は思いますよね?
「どこにあるの?」「デンマークのサッカー選手で有名な人は?」と思うでしょう・・・これが普通ですよ^^;
アメリカ、イングランド、イタリア、スペインほど日本に名前通ってないし
デンマークという国の存在自体は知っていてもどんな国民性なのか?どのような人種なのか?って普通は誰も知らないものです
もちろん、これは和歌山県民のほとんどが同じであった
和歌山の街中ではこんな会話が交わされたという
「今度のワールドカップでデンマークって国が来るらしいけど知ってた?」
「それは知ってるけど・・・誰か有名な人いるの?
イングランドのベッカムとかイタリアの男前集団みたいに有名な人いるの?」
「う~~ん・・・知らない。
だけど世界で有名なんやったら、一度は練習見に行こうか?」
デンマークの練習を訪れた人は『この手の会話』がきっかけとなった人たちばかりであった
最初、いわゆる『野次馬』的な人が多かったのは事実である
最初の見学者は数百人程度であった、しかしこの数字が日々増えていった
この数字が増えた理由には以下のことが一番大きかったと思う
59:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:12:37.29 ID:BFHuN3Ow0
5
ワールドカップ出場国のキャンプ地での練習というものは 非公式、非公開が通例であるが、デンマークは違った
(イングランド、イタリア、スペイン、ブラジルといった強豪国はほとんど非公開でしたね^^;)
練習初日からデンマークチームの意向で全ての練習を公開した
さらに練習後には見学に来ていた地元サッカー少年たちを招きいれ 一緒にミニサッカーを行ったりもした
この評判を聞きつけ、デンマークというチームが
「むちゃくちゃフレンドリーで気さくな人たちばかりやで!」という口コミも相当あったという
そして、この翌日から見学に訪れる人が徐々に増えていった
初日はわずか数百人だった見学者が翌日には2000人
その翌日には2500人、そのまた翌日には3000人が訪れた
練習後には気軽にサインに答える選手たち
監督も練習後にはサッカー少年たちを招きいれ練習を指導したりもした
この監督にある記者が聞いた
「他国は練習を公開しないで、試合に備えていますけど デンマークはこれでいいのですか?」と聞いた
すると、このデンマーク・オルセン監督はこの記者にこう答えた
「我々の強さは練習を秘密にしたところで変わらない
絶対的な自信をもって試合にのぞむだけだ
何より、キャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが喜んでくれることは
どんどんするべきなんだ・・・
試合も大事だが、この交流も大事にしたいと選手全員も言っている」
60:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:12:58.41 ID:BFHuN3Ow0
6
このオルセン監督、この発言だけでも『いい人』をかもしだしているのだが
彼のエピソードをもう一つ語ろう
ホテル入り初日のことである
デンマークチームが来日し、ホテルでの歓迎セレモニーを受けた後
再度、宿泊先のホテルの支配人と料理担当のコック長が監督の部屋へ挨拶に訪れた
「これからの数日よろしくお願いします」という言葉とともに
彼ら、支配人とコック長にはもう一つ言っておきたい・・聞いておきたいことがあった
彼らにはもう一つ『心配のタネ』があった・・・
それは食事の問題であった
ホテル側も選手たちには万全の状態で試合に臨んでほしかった
食事が口に合わない・・・それが原因ということだけは避けたかった
他国の宿泊先ホテルに連絡をすると、食事でかなりもめたという事を聞いていた
「口に合わない」「母国の材料で調理してくれ!」といった文句を言われたという事を彼らは聞いていた・・・
デンマークが宿泊したホテルの支配人はこう言った
こういったトラブルだけは「どうしても避けたかったんですよ」と
それゆえ「最初に監督さんに聞いて、チームの意向を聞こうと思って挨拶にいったんですよね」と言っていた
61:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:13:13.87 ID:BFHuN3Ow0
7
その想いから、支配人とコック長は監督の部屋を訪れた
そして通訳を介し、監督に聞いた
「食事で何かご要望とかはございますか?」と支配人は聞いた
するとオルセン監督はこう答えた
「一切お任せします そちらが用意される料理を我々はご馳走になります」と・・・
この言葉に驚いた支配人とコック長
「いや・・やはり母国デンマークの食事の方がいいんじゃないでしょうか?」
「こちら和歌山をキャンプ地に決めたときから、食事もそちらにお任せしようと
私と選手たちは言っていた。
選手も理解している。全てをあなたたちにお任せします」
「あの~~他の国とかのホテルにお聞きすると・・・
食事はやはり母国のほうが好まれると聞いたものでして・・・」
この言葉にオルセン監督はこう言った
「他国は他国、我々は我々です」
この言葉に支配人は
「あの言葉で本当にホッとしましたよ・・・滞在中は無事に過ごせていただけると
あれで思いましたね」と言っていた
62:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:13:51.30 ID:BFHuN3Ow0
8
さらに、オルセン監督はコック長に向きなおし、言い出したという
「我々は料理をあなたに全てお任せします。よろしくお願いします」
緊張しながらも「はい!こちらこそよろしくお願いします」と答えるコック長
そして、コック長に聞くオルセン監督
「和歌山で有名な食材は何ですか?」と彼は聞いた
この質問の真意がわからずもコック長は監督に答えた
「和歌山では魚が有名です、カツオという魚が特に有名です」と・・・
するとオルセン監督は微笑みながらコック長に言った
「それでは、そのおいしいカツオを我々に食べさせてください
あなたが腕をふるって、おいしいカツオを選手たちに食べさせて
やってください」と言った
この言葉にコック長は大変感激した
「世界の代表監督が、あんないい人だったからね~~
いっぺんでデンマークのファンになりましたよ!」と言っていた
この食事に対する『良き姿勢』は監督だけではなった
選手たちも同様だった
78:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:34:04.85 ID:BFHuN3Ow0
9
この最初に手を合わせた選手の名を・・・
トマソンといった
このトマソン選手・・・今大会では4得点をあげ デンマークを決勝トーナメントに進出させた立役者である
あの日本代表・小野選手と同じオランダ・フェイエノールトに所属することでも有名な彼
彼は少し神経質の面を持ちあわせているのだが、非常に心優しい青年だ
トマソン、彼の優しき一面をもう一つ語りたい
それはある握手会でのことである
デンマークというチームは前述したように練習を公開し、和歌山県民との交流を積極的に行った
練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い
握手会、サイン会もたびたび行った
そのひとコマの話である
79:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:35:24.94 ID:BFHuN3Ow0
10
あの日も、いつものごとくサイン会が行われた
気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった
あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた
気軽にサインをするデンマーク選手たち
もちろんトマソンもその中にいた
その最中のことである
トマソンの前にある少年が立った
彼はトマソンの前に立ちつつも・・・少しモジモジしていた
後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す
「ほら!早くしなさい!」と彼に言っていた
トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう
通訳を通じ「どうしたの?」と彼に聞いた
意を決した少年はポケットから一枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した
それは学校の英語の先生に書いてもらったものだという
英語で書いた、その紙切れにはこう書いてあった
81:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:35:43.34 ID:BFHuN3Ow0
「ボクは小さいころに、病気にかかって
口と耳が不自由です・・・耳は聞こえません、話せません・・・
だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです
デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです
頑張ってください」と・・・
その手紙に通訳も・・・その場にいた我々記者も驚いた
言葉が出なかった・・・
だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に・・・
「それなら君は手話はできますか?」と・・・
手話で語りかけた
その『言葉』に驚く少年と母親
再度聞くトマソン・・・
「手話はわかりませんか?」と・・・
82:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:36:14.04 ID:BFHuN3Ow0
12
それを見ていた皐月パパはトマソンに英語で言った
「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と彼に言った
手話を万国共通と思う人が多いのだが国によって違う、
ましてや日本国内でも地方によって違う
「そうだったのか・・・」という顔をしたトマソン
そして彼は通訳にこう言った
「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」と言った
微笑んで「わかりました」と答える通訳
トマソンは「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてください」とも言った
後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった・・・一言も文句を言わなかった・・・
彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人たちも思ったのでしょう
そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった
84:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:38:28.33 ID:BFHuN3Ow0
13
「君はサッカーが好きですか?」
「はい。大好きです」
「そうですか。デンマークを応援してくださいね」
「はい。あの聞いていいですか」
「いいですよ。何でも聞いてください」
「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?正直、ビックリしました」
この少年の質問に彼は答える
「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます
その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」と・・・
その彼の言葉をじっくりと読む少年
そしてトマソンは少年に言った
「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが
君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています
君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」
この言葉に黙ってうなずく少年
85:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:39:10.97 ID:BFHuN3Ow0
14
「わかっているなら、オーケー!
誰にも辛いことはあります。君にもボクにも
そして君のお母さんにも辛いことはあるのです
それを乗り越える勇気を持ってください」とトマソンは言った
このやり取りに涙が止まらない母親
この光景を見ていた我々記者も涙した
その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した
そして、トマソンは最後に少年にこう言った
「ボクは今大会で1点は必ず獲ります
その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるように
ボクは祈っておきます」
この言葉に・・・この少年は初めて笑顔を浮かべた
「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った
そして、サインをもらい、その場をあとにする少年と母親
ボクの取材に母親は目に涙を浮かべて言った
「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ
日本と試合することになっても、私らはデンマークを応援しますよ」と
涙を流し、笑いながら言った・・・・
87:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:39:59.37 ID:BFHuN3Ow0
15
そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、得点を決めた
1点どころか、彼は4得点という大活躍だった
こんなトマソン、デンマークを見た皐月パパもいっぺんにファンになってしまった^^;
1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク
彼らをボクは応援した・・・
もちろん和歌山県民も応援に訪れた
試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた
オルセン監督は言った
「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった
あれが我々の力になった」と・・・
和歌山県民の応援も実ったのであろう
フランスと同組のA組みながらデンマークは2勝1分け
見事1位通過を決めたのである
そして、向かえた決勝トーナメント1回戦
場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった
スタンドからは「ベッカム!!!!」という声が至るところから響いていた
88:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:40:45.69 ID:BFHuN3Ow0
その声に皐月パパは叫ぶ
「ダニッシュ・ダイナマイトで・・・にわかイングランドファンを黙らせろ!」
「ベッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」と叫んでいた^^;
だが・・・この応援も届かなかった
和歌山県民の想いも通じなかった
デンマークはイングランドに0-3という予想外のスコアで敗れてしまった
その日の和歌山県には雨が降ったという
県民の涙雨だったのかもしれない・・・・
負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた
「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」という言葉が彼らの合言葉になった・・・
だから、彼らは行なった
デンマークお疲れさま!会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた
そこに駆けつける多数の県民
会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた
その催しに「ありがたいことだ」と言ったオルセン監督
もちろん選手たちも全員出席した。あのトマソンもその場にいた
92:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:44:14.93 ID:BFHuN3Ow0
17
そこでトマソンは見つけた・・・『あの少年』を見つけた
少年と母親もその会に出席していた
少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン
トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる
少年はトマソンへ笑顔を向ける
そして、トマソンは少年にこう語りかけた
「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね」と『紙』で語りかけた
これに少年は答える
「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです
それに約束どおり点獲ってくれたからボクは嬉しかったです」と・・・・
「ありがとう」と言うトマソン
そして、この少年にトマソンは言った
「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください」
93:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:44:35.81 ID:BFHuN3Ow0
18
「はい」
「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている
それは神様が決めたことであり、今からは変えられない
ボクが言いたいことわかりますか?」
「はい」
「神様は君に試練を与えたけど、君にも必ずゴールを決めるチャンスを
神様はくれるはずです・・・
そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」とトマソンは言った
この言葉に少年は笑顔満面の顔でトマソンに「はい」と言った
そして2人は・・・
「さようなら」
「頑張って」
という言葉を残し彼らは別れを告げた
68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:21:21.36 ID:LX0TsV0cO
小さい頃、うちには慣れてたインコがいたんだけど、父が新しいインコ貰ってきた。
そいつは人間で言う障害者、まともに歩けないし、餌もうまく食えなかった。泣き方もおかしかった。
もともといるインコにいじめられないか心配で、かごも別にしてたんだけど、
ある日弱いほうのインコをかごから出して遊んでたら、もう一匹も出てきた。
まっすぐに弱いインコのとこに飛んでって、毛づくろいしてやってた・・・
それからかごも一緒にしたら、本当の(人間のような)親子状態。
くちからくちに餌をあげてたり、多分転ばないようになんだろうけど弱いほうの尻尾をくわえて歩かせてたり・・・
結局半年くらいで弱いほうが死んじゃったんだけど、その時もう一匹はずーと死んだやつの毛づくろいしてた。
死後硬直で硬くなってんのに、それでもずーっとやってた。
長文ゴメン。でも、いまだにたまにそれを思い出す。
70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:25:08.69 ID:LX0TsV0cO
678 :名無しって呼んでいいか?:2009/09/15(火) 01:21:36 ID:???
母親は最大被災地の一つ、四川省綿陽市北川(ほくせん)県で、地震発生翌日の13日、
四つんばいになった格好で遺体で発見された。遺体は倒壊した建物に圧迫されており、救援隊は立ち去りかけたが、
何となく気になり、ふと遺体の下のすき間に手を差し入れたところ、温かいものに手がふれた。
「赤ちゃんが生きている!」
救援隊員が叫び、救出作業が再開。生後3~4カ月とみられる無傷の男の赤ちゃんが毛布にくるまれて発見された。
救援隊員が母親の体を調べると手に握られた携帯電話の画面に、1行のショートメールが残っていた。
「赤ちゃん、もし生き伸びてくれているのなら、私があなたを愛していたことを絶対忘れないで…」
子を思う母親の愛の深さに、救援隊員も思わず涙を落としたという。
71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:25:09.22 ID:1ADQhLHkO
俺の涙腺を元に戻しやがれw
罰として
『結婚式でのヤマトの話』
『阪神大震災の時の、グラサン割れてボロボロだけどカッコイイヤクザの話』
を、うpしろ。下さいm(__)m
74:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:28:39.18 ID:Uc5awscr0
違うヤクザの話しなら……
84 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/11/01(土) 01:26:02.33 ID:4nNA76GU0
3年前の話。
当時、金融屋をやっていたんだけど<裏金>その年の夏。
いつものように追い込みかけに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど
子供が2人置いてかれてた。
5歳と3歳。<上は男の子、下は女の子
俺はまだペーペーで、周りの兄さんらと違って顔も怖くなかったらしく
家に行ったときすぐに下の子になつかれた。
ボロボロの服で風呂にも入ってなくて、「いつから親はいないんだ?」って
聞いても答えない。
「何食ってたんだ?」って聞いたら、上の子は下をむいて泣いた。
下の子が「こっち」って手を引いて裏庭に俺をつれていった。
破れた金網を通ってでたところは、小学校の裏庭だった。
「あのね、みーちゃんこれ食べたの」って池を指す。
嫌な予感がした。
だってさ、その池って金魚がウヨウヨ泳いでるんだよ・・・。
2人を抱きかかえて家に戻ると、テーブルに小さいボウルと茶碗。
「お前ら・・・金魚食ってたのか・・・」って聞いたら「・・・うん」
すっげーやるせなくて涙がでて、俺もその場にいた兄さんらも泣いた。
すぐに兄さんがたくさん食べ物と洋服を買ってきた。
近くの銭湯で体を洗ってやった。
その後、俺らじゃどうしようもないから施設に連絡をいれた。
連れていかれる時に「お兄ちゃんありがとう」っていってた。
・・・全然ありがとうじゃねーよ・・・俺たちがお前らの親を追いつめたのに。
俺を含めて何人かは、この後仕事を抜けた。
ただ、救われたのは、こいつらの親がきちんと出てきた事だった。
94:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:44:51.96 ID:LX0TsV0cO
>>71 下のはこれかな
阪神大震災後のはなし
当時オレはあるファミレスの店員をしていて、
震災後、ボランティアでバイキングのみのメニューを無料で提供する事になった
開店と同時に満席になって席待ちの列、繁忙期以上の忙しさだった
お客さんの中には着の身着のままで来る人がいて、
他のお客さんが「自分は家が残っているし、帰れば着る物がある」と言って
上着を差し出す光景を時折目にして、目頭が熱くなったのを覚えている
昼を過ぎた頃、待ち列の中にやたら身奇麗でアクセをジャラジャラ付けた若い男女二組がいた
彼等は使い捨てカメラで撮影してはギャーギャー騒いでいた
さらに彼等は皆が我慢して並んでいる中、「はやく席に案内してよ」と文句を言うばかりか、 「席に着いたら、即ビール4つね」「わたしパフェたべたーいw」とワガママ放題
見るに見かねてケンカ覚悟で退店願おうとしたその時、
一人の御老人が「あんたら、観光に来たのなら、頼むから帰ってくれないか!」
と涙ながらに訴えた
すると彼等は「カンケーないよw」「ナニか言ってるーw」とケラケラ笑って茶化すだけ
96:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:46:07.83 ID:LX0TsV0cO>>71 下のはこれかな
阪神大震災後のはなし
当時オレはあるファミレスの店員をしていて、
震災後、ボランティアでバイキングのみのメニューを無料で提供する事になった
開店と同時に満席になって席待ちの列、繁忙期以上の忙しさだった
お客さんの中には着の身着のままで来る人がいて、
他のお客さんが「自分は家が残っているし、帰れば着る物がある」と言って
上着を差し出す光景を時折目にして、目頭が熱くなったのを覚えている
昼を過ぎた頃、待ち列の中にやたら身奇麗でアクセをジャラジャラ付けた若い男女二組がいた
彼等は使い捨てカメラで撮影してはギャーギャー騒いでいた
さらに彼等は皆が我慢して並んでいる中、「はやく席に案内してよ」と文句を言うばかりか、 「席に着いたら、即ビール4つね」「わたしパフェたべたーいw」とワガママ放題
見るに見かねてケンカ覚悟で退店願おうとしたその時、
一人の御老人が「あんたら、観光に来たのなら、頼むから帰ってくれないか!」
と涙ながらに訴えた
すると彼等は「カンケーないよw」「ナニか言ってるーw」とケラケラ笑って茶化すだけ
さすがに頭に来たオレが「申し訳ないですが、出て行ってもらえますか?」
と啖呵をきった瞬間、オレの肩をポンと叩いて前に割って入る男性がいた
男性は腕まくりをして見事な刺青を見せ付け、傍若無人な若者たちの前に立つと
「オイ、にいちゃんら はよおうちに帰って、テレビでも見とかんかい!」と一喝
彼等は黙ってスゴスゴと、埃一つ付いてない国産高級車で帰っていった
その後、ヤのつくヒトであろう男性は帰り際、 「店員さんはケンカしちゃいかんよ、そういうのはワシらの仕事やからw」
「食事ありがとう、おいしかったよ」と言って店を後にした
その時の男性の埃まみれのパンチパーマにヒビの入ったサングラス、
少し足を引きずって歩いて帰っていく姿が印象的だった
72:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:26:58.90 ID:h4SsIvV4O
あまのじゃくのコピペくださいな
僕が泣いてるから君は笑ってるって感じでしめるやつ
77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:32:35.93 ID:LX0TsV0cO
>>72 これ?
関係をせまると、あなたは紳士じゃないといわれる
関係をせまらないと、あなたは男じゃないといわれる
たびたび部屋を訪れると、もっと1人の時間がほしいといわれる
あまり部屋を訪れないと、二股かけているのかといわれる
はやりのカッコいい服を着ると、あなたって流行にふりまわされて軽薄といわれる
はやりのカッコいい服を着ないと、あなたってダサダサで恥ずかしいといわれる
話を聞きながら発言すると、黙って聞いてよといわれる
話を黙って聞いていると、なにか言ってよといわれる
待ち合わせに30分遅れていくと、30分も待たせるなんてひどいといわれる
自分が30分遅れると、30分ぐらいなによといわれる
やきもちをやくと、しばられるのはいやという
やきもちをやかないと、もう愛はないのかという
そうだねと賛成すると、自分の考えがない人ねといわれる
そうじゃないと反対すると、理解がない人ねといわれる
愛してるよと言うと 口の軽い人ねと言われる
大好きだよと言うと それだけしか言えないのと言われる
墓に供え物をすると 君は無視する
僕は泣いているのに 君は安らかに笑っている
90:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:42:52.42 ID:04J/Y7TY0>>72 これ?
関係をせまると、あなたは紳士じゃないといわれる
関係をせまらないと、あなたは男じゃないといわれる
たびたび部屋を訪れると、もっと1人の時間がほしいといわれる
あまり部屋を訪れないと、二股かけているのかといわれる
はやりのカッコいい服を着ると、あなたって流行にふりまわされて軽薄といわれる
はやりのカッコいい服を着ないと、あなたってダサダサで恥ずかしいといわれる
話を聞きながら発言すると、黙って聞いてよといわれる
話を黙って聞いていると、なにか言ってよといわれる
待ち合わせに30分遅れていくと、30分も待たせるなんてひどいといわれる
自分が30分遅れると、30分ぐらいなによといわれる
やきもちをやくと、しばられるのはいやという
やきもちをやかないと、もう愛はないのかという
そうだねと賛成すると、自分の考えがない人ねといわれる
そうじゃないと反対すると、理解がない人ねといわれる
愛してるよと言うと 口の軽い人ねと言われる
大好きだよと言うと それだけしか言えないのと言われる
墓に供え物をすると 君は無視する
僕は泣いているのに 君は安らかに笑っている
やあマーティー (´・ω・`)
私の計算通りなら 君はデロリアンが落雷を受けた直後にこれを受け取るはずだ
心配してると思うがこのテキーラはサービスだからまず飲んで落ち着いて欲しい
落雷の放電により デロリアンのタイムサーキットに過度の負担がかかり
乱れたコンデンサーの働きで 私は1885年に飛ばされたのだ この過度の負担により
タイムサーキットと飛行サーキットも破壊され 二度とこのマシンで飛ぶことは出来ないだろう
私は今 バーボンハウスを開業している 言葉では言い表せない「ときめき」みたいな
そういう気持ちを忘れないで欲しい そう思って始めた仕事だが残念ながら顰蹙をかったようだ
仏の顔もって言うしね 謝って許してもらおうとも思っていない
デロリアンはブートヒルの古い墓地に隣接するデルラルト鉱山の廃坑に埋めた(同封の地図参照の事)
君が1955年に掘り起こすまで 人目に触れず現状のまま保存されることを期待している
車の中に修理方法の指示書を入れておいた
1955年の私の分身ならば修理は簡単……うん「また」なんだ 済まない
最後に重ねて言うが決して私を迎えに来ないでくれ 澄んだ空気と広々とした土地が小生大いに気にいっている
思うに不必要なタイムトラベルは宇宙時間の繋がりが断絶する危険を招くだけだ
ただ気になるのはアインシュタインの事 どうか良く面倒を見てやってくれ
散歩は週2回 缶詰のドッグフードが好物だ
私の遺言と思ってすべてこの手紙の通りにして欲しい
ではマーティー とうとう君に別れを言う時が来たようだ
君は常に誠実でやさしい友達で私の人生を大きく変えた 君との友情は小生の宝だ
数々の楽しい思い出をいつまでも大切にこの胸にしまっておこう
そう思ってこのスレを立てたんだ
真実の友 ドクター・エメット・ブラウン 1855年9月1日
98:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:49:22.05 ID:LX0TsV0cO
523 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/10/23(木) 17:10:18.35 ID:ieOckhLB0
俺のカーチャンは中1のとき死んだ
俺が小学生のときからカーチャンは
「中学生になったら電車も大人料金になるんだよ、 社会では大人として見なされるんだよ」
とよく言っていた
「中学生になったら大人なんだからなんでも自分でやらなきゃいけないんだよ」という
言葉通り俺が中学に入った瞬間カーチャンはその役目を終えるように死んだ
その代わり俺が小学生のうちから教育という教育は何でもしてくれた
教養にしろ礼儀にしろ人が生きていくうえで必要なものはすべて教えてくれたと思う
大学生になった俺だがお陰で今も
「礼儀がいいねえ」とか「綺麗な敬語を使うね」とか褒められる
お世辞なのかもしれんが俺はそういわれるたびにカーチャンを思い出す。
99:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:51:37.04 ID:BFHuN3Ow0
360 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/03/12(水) 10:30:53
土曜日、一人娘の結婚式だったんさ。
当時俺25歳、嫁33歳、娘13歳。
まぁ、要するに嫁の連れ子だったんだけど。
娘も大きかったから、多少ギクシャクしながらも数年過ぎた。
子供はあえてつくらなかった。
収入の問題もあったけど、娘の気持ちを考えたら、
子供は娘1人いればいいって事になった。
突然嫁が交通事故で逝った。
娘17の時。
突然2人きりになった&現実味がなくて二人して呆然。
これからどうしようと思った。
生活の面では収入も安定してたし、娘も家事の一通りは出来た。
何の問題もないはずだったけど、嫁側親戚が騒ぎ立てた。
そらそーか。
血の繋がらない29の男と17の女。
ある意味カップルでもおかしくない歳の差だもんな。
「あなたはまだ若いんだから」とか、
「再婚するにも子供がいちゃ・・・しかも自分の子供じゃないのに・・・」
とか、散々言われた。
でも、俺は間違いなく娘は俺の娘だと思ってた。
何よりも、嫁のたった一人の忘れ形見だ。
俺が育てて行く以外の選択肢は全く頭になかった。
そんな親戚の騒ぎは右から左に流した。
娘も「今更こんな足の臭いオッサンとどーにかなるかw」と笑ってた。
当たり前の様に言う娘の気持ちが嬉しかった。
100:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:51:58.00 ID:BFHuN3Ow0
やっぱり影であらぬ噂を立てられた事もあった。
三者懇談や進路面談で学校に行くと、必ず教師に変な顔をされた。
部活で遅くなった娘を迎えに行って「お宅の生徒が円光をしている」と
近隣住民から学校に通報された事もある。
それでも2人で暮らして来た。
再婚なんか考えた事もなかった。
それくらい娘には穏やかな、幸せな時間を与えてもらってた。
361 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/03/12(水) 10:31:46
娘に話があると言われた。
「結婚したい人がいる。」と。
娘は25になってた。
俺が嫁と結婚したのと同じ歳。
正直複雑な心境だった。
次の日曜に相手の男に会った。
娘を見る目が優しかった。
こいつなら大丈夫だと思った。
安心した。
諦めもついた。(笑)
101:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:52:07.48 ID:BFHuN3Ow0
あっという間に披露宴だ。
「お母さんが亡くなった時、本当にどうしようかと思った。
お父さんはまだ若かったから、私がいたら絶対に足枷になると思ってた。
だから、これからも一緒に暮らすのが当たり前みたいな態度でいてくれたのが
本当に本当に嬉しかった。
私のお父さんは、お父さんだけです。
今まで本当にありがとう。
お母さんが亡くなってからも、今までずっと幸せな子のままでいられたのは
お父さんがお父さんだったからです。」
娘がしゃくりあげながら読む花嫁からの手紙を聞いてたら
バージンロード一緒に歩いてた時点で必死で堪えてた涙がどっと溢れた。
娘が出て行く前に、箪笥の引き出し一つ一つに
「ぱんつ」「しゃつ」「とれーなー」「くつした」とか書いた紙をはっつけていった。
そこまで俺自分で何も出来ない父親かよwww
しかも平仮名www
近いうち娘に良く似た孫とか出来ちゃうんだろうな。
そんで「俺まだじーちゃんとかいう歳じゃねーし」とか言っちゃうんだろうな。
俺、間違ってなかった。
大変だったけど、父親って立場、選んでよかった。
嫁と結婚して良かった。
娘の父親になって良かった。
1人になって部屋は何か広くなっちゃったけど。
微妙な抜け殻感は否めないけど。
今度はいつか生まれて来る孫の為に頑張ってみようかな。
102:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:52:38.32 ID:LX0TsV0cO
今日、息子が俺を「とおしゃん」と呼んだ。
成長が遅れ気味かもしれないと言われていて、言葉も遅かったから、不覚にも息が出来なくなるくらい泣いた。
嫁か息子か選べと言われた時、最後まで諦めずに運に賭けてみようと言った時、実は内心楽観的だった。
医学は発達してるし。嫁の病気での致死率は何千人に一人だし。育たないかもと言われた息子は臨月まで何の問題もなく育った。
それでも息子の誕生日は嫁の命日になった。
嫁を選んでいればと考えない日はなかった。正直に言うと今でも時々考える。
でも、こう言う日は息子を選んだこともまた幸せなんだと、心の底から思う。
さあ、今度は、「母さん」って言葉を教えてやろう。
携帯から長文でごめんな。
酒入ってるし、浮かれすぎか。
104:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:56:14.65 ID:LX0TsV0cO
遠足の日、お昼ご飯の時間になり、子供たちの様子を見回って歩いていた時、
向こうの方でとても鮮やかなものが目に入ってきました。
何だろうと思って近づいて行くと小学校三年生の女の子のお弁当でした。
中を覗いて見ると、お花でびっしりのお弁当箱でした。
実は、その女の子の家庭は、お母さんとお父さんとその女の子の三人の生活でした。
しかし、遠足の数週間前に、お母さんは交通事故で亡くなってしまったのです。
それ以来、お父さんと女の子の生活が始まりました。
お父さんの仕事はタクシーの運転手さん。
一日交代の勤務で遠足の当日は勤務の日でした。
でも、お父さんは炊飯器でご飯だけは炊いてくれていました。
女の子は一人で起きてご飯を弁当箱につめます。
おかずは自分で作らなければなりません。
家にあるのは梅干とたくわん。そこで、おかずを作り始めます。
小学三年生の女の子にできたのは、ぐじゃぐじゃの卵焼きだけでした。
そのぐじゃぐじゃの卵焼きを白いご飯に入れたとき
女の子はお母さんが生きていた頃のことを思い出します。
お母さんが生きていた頃は、とても素敵なお弁当を作ってくれました。
同時に今日もって来るお友達のお弁当箱が気になり始めます。
お母さんが作ってくれる可愛らしい綺麗なお弁当。
そう思って自分のお弁当箱をのぞいた時
真っ白いご飯に黄色のぐじゃぐじゃの卵焼きだけ。
女の子は思わずお母さんの仏壇の前に行き
仏壇にさしてあったお花をちぎって持ってきて
自分のお弁当箱に入れ
びっしりとお花で埋め尽くしたお弁当箱を持って来ていたのです。
この女の子の担任は、遠足から帰ると大声で泣きました。
この子の生活を十分知っていた自分であったはずなのに
実はしっていたつもりでしかなかった悔しさで、泣き続けたのです。
105:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 04:57:59.40 ID:BFHuN3Ow0
バスの中で、10歳ちょっとくらい?の子供と30代くらいの美人なお姉さん
(最初お母さんかと思ったけど違った)
子供が椅子の背凭れ睨みながらボタボタ泣いてる
その背中をお姉さんがトントンってたたきながら
姉「大丈夫。大丈夫。お母さんは大丈夫。大丈夫」
って言い続けてる
あんまり低い声で真剣な顔で言ってて、事情がありそうだったんで
バスの中がシーンとしてた
子「お、」
姉「大丈夫」
子「俺どうなんの」
姉「お母さんは大丈夫」
子「ダメかも、もうダメかも、だって皆、ダメって言ってたし、」
姉「大丈夫」
子「お母さん死ぬ?俺一人になる?」
姉「どうしようもなくなったらおばちゃんがお前一人くらい育て上げてやる。
だからお母さんは大丈夫ってだけ考えときなさい」
子「俺居たら余計嫁に行けなくなるよ」
姉「うっさい。居なくても行けてないんだから居たって一緒です。お母さんは?」
子「……」
姉「お母さんは?」
子「大丈夫」
姉「うん」
二人がバス降りるとき総合病院前だった、
運転手さんが「お母さんは大丈夫」って言ってあげたのを期に バスの皆が「大丈夫!」「絶対大丈夫!」って言ってた
私も言ったし、お母さんがどうしたのかわかんないけど 大丈夫であってほしいと思った
107:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 04:59:32.23 ID:ODdalaWfO
あの…どなたか
夫→入院→妻→妊娠発覚?→ゴルァの顔文字いっぱいのやつ貼ってくれませんか?
113:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:07:32.44 ID:BFHuN3Ow0
>>107有名すぎるから検索したらケータイでもすぐでてくんぞ
どうしてがいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
>>107有名すぎるから検索したらケータイでもすぐでてくんぞ
どうしてがいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
114:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:08:11.57 ID:BFHuN3Ow0
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月...
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月...
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。
123:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:17:06.81 ID:ODdalaWfO
>>113 アリガトウ
このスレで見たかったんだ
108:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:00:31.40 ID:BFHuN3Ow0>>113 アリガトウ
このスレで見たかったんだ
179 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 02:24:33.85 ID:BtjbHgN90
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていたので、父が帰宅する前に帰ってしまいたいということもあり日帰りにし、
ひいては家から通えない距離の学校を選んだのも理由の一つだった。
父が、「なんだお前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、
「そうか・・・」と言いながら手に持っていた ドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
電車の中ではさすがに食べられないと思いながらも受け取った。
駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。 でも、私が9個貰っても食べきれないよ・・・
箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも
切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯直後の干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、もう一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた・・・。
109:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:02:13.03 ID:BFHuN3Ow0
去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。
「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」
萌えないかもしれないけれど、このページに集まってくれている人に
読んでほしかった。
父さん、おつかれさま。そして、ありがとう。
110:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:03:13.81 ID:LX0TsV0cO
ちょっと前に、おばあちゃんが死にました。
クモ膜下出血でした。
小学生の頃は両親が共働きで、家にはおばあちゃんしか居ませんでした。
私はおばあちゃんが大好きで大好きで、いつもおばあちゃんの部屋にいました。
学校の家庭科の授業で「小物作り」をしたときも、私は葡萄の剪定をする鋏を入れる袋を作っておばあちゃんにあげました。肩たたきは毎日していました。
それくらいおばあちゃんが大好きでした。
高校に上がって暫くすると、おばあちゃんに認知症の症状が出てきました。
デイサービスに行くようになって、楽しそうにしているのは良かったのですが。
迎えのバスを、7時くらいからずっと外に出て待っていたりするのです、。来るのは9時なのに。「まだバスは来ないよ」と声をかけても、「草取りをするから…」と言って聞きません。
他にもいろいろなこと。何度言っても聞かないので、段々おばあちゃんがムカついてきました。
あまりおばあちゃんと話す事もなくなりました。
トイレを失敗するような事はありませんが、それえでも介護する母のストレスは物凄かったようです。
111:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:04:15.89 ID:LX0TsV0cO
大学2年のとき、おばあちゃんはグループホームに入りました。それから暫くして、おばあちゃんはグループホームで亡くなりました。
私は大学の実習があったので、死に目には会えませんでした。
お葬式も終わって、グループホームの荷物を家族で引き取りに行きました。
服、下着、布団、テレビ。
引き出しを開けると、大きめの茶封筒が入っていました。
中には、私の写真が沢山入っていました。
病院でおばあちゃんにだっこされている写真。七五三の写真。入園式の写真。入学式の写真、卒業式の写真。
おばあちゃんに送った、鋏入れも入っていました。それから、私が小学生の頃に描いた、おばあちゃんの絵。「おばあちゃんだいすき」と書かれた、私の拙い字。
家に帰ってから、母が言いました。
「おばあちゃんにだっこされた孫は、アンタだけだったんよ」
「他にも孫は4人おるけどな、みんなだっこなんかされてなかったよ」
「グループホームの職員さんにもな、アンタの話しかしてなかったみたい」
「『頭の良い自慢の孫』って言っとったらしいよ」
おばあちゃん、ごめんね。
あんなに大好きだったのに、私はそれを忘れていました。
大好きです、おばあちゃん。
大好きです。大好きです。大好きです。
112:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:04:34.62 ID:BFHuN3Ow0
入社4年目で初めての結婚記念日の日。社内でトラブルが発生した。
下手したら全員会社に泊まりになるかも知れないという修羅場なのに、結婚記念日なので帰らしてくださいとは絶対に言えなかった。
5時を回った頃、T課長が俺を呼びつけ、封筒を渡して、
「これをK物産に届けろ」
と言う。K物産は、隣の県にある得意先で、今から車で出ても8時までに着けるかどうかすら分からない。
「届けたら直帰していいから」と言うが、直帰も何も、K物産に届けて家まで帰ったら、きっと11時は過ぎるだろう。
文句を言いたかったが、
「わかりました」
と言って封筒を預かった。中身を見ようとすると
「中身は車の中で見ろ。さっさと行け!」
とつれないT課長。不満たらたらの声で
「行ってきます」
というと、課内の同情の目に送られて駐車場へ向かった。車に乗り込み、封筒を開けると、一枚の紙切れが。
「結婚記念日おめでとう。今日はこのまま帰りなさい」
と書かれていた。会社に入って初めて泣いた。
その翌年、T課長は実家の家業を継ぐために退社した。送別会の席でお礼を言ったら
「そんなことあったか?」
と空とぼけていた。T課長、お元気でおられるだろうか。
117:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:08:48.03 ID:LX0TsV0cO
ペットネタだけど、あいつは、俺にとってペットではなく、妹だった。
昔、一匹の猫を拾った。
雨の中で、小さな段ボールの中に、牛乳とパンが置いてあった。
寒さで凍えそうになっていた、あいつを抱きかかえて、あの日から21年。
8月の最期の日、出会いの日と同じ雨の日に、愛猫は旅立っていった。
その後の事は、自分でもよく覚えていない。
何も感じない時間と、胸が押しつぶされるような悲しみと寂しさが交互にやってきた。
そして、迎えた月曜日。
どうしても、立ち上がる事が出来ず、俺は会社を休んでベッドで横になっていた。
どうしても、家にいなければいけないと感じた。
いつの間にか眠ってしまっていたんだと思う。
俺は、夢の中で、繁華街の裏路地のような所に立っていた。
月明かりが綺麗で、音は何も聞こえない。
その路地に、旅立ったはずの愛猫の姿があった。
歩み寄って、逃げてしまわないか心配しながら、あいつの名前を呼ぶと、あいつは、俺の足をよじのぼり、抱きしめるようにお腹をペタリとくっつけて来た。
そこから流れ込んでくる「ありがとう」と「幸せだったよ」の言葉。
しばらく、そうしていた愛猫は、やがて細い路地へ歩いて行った。
俺が、彼女の名前を叫ぶように呼ぶと、まるで名残惜しそうに、こっちを一回だけ振り向いて、その細い路地の奥へ消えていった。
心霊じゃないかもしれない。
だけど、きっと、愛猫がお別れを言いに来てくれたんだと思う。
118:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:09:50.49 ID:LX0TsV0cO
俺はこれからを、どうしたらいいのか分からないけど、天国へ行けるように、とにかく何かを頑張って、いつか虹の橋で、彼女を抱きしめてあげたい。
あの夢を見てから、今まで信じていなかった魂とか、そういうものを何となく信じるようになった。
今までやった事もない、仏壇へのお祈りは、毎日欠かしません。
ありがとう。俺の妹。
君は、命を終えてからも沢山の事を教えてくれる。
俺は今、とても幸せです。
120:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:13:33.85 ID:BFHuN3Ow0
「プロ野球の存在意義は、その街の人々の暮らしが少し彩られたり、
単調な生活がちょっとだけ豊かになることに他ならない。」
新庄剛志
124:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:17:13.64 ID:BFHuN3Ow0
6 :名無し募集中。。。:2009/12/06(日) 01:29:26.98 0
まだ北海道に冬の寒さが残る3月、新庄はこっそりと、重病に伏した少女を見舞った。
大の新庄ファンだったその子に「君さ、すごくかわいいよ。きっと大人になったらモデル
になれる。絶対に治るから」と、新庄らしい言葉で励ました。
パソコンのカバーにサインをして「今日は君のためにホームランを打つよ」と予告して、
本当にその日の試合でホームランを打ってしまった。
その少女は、あこがれのスターから勇気をもらったと言ってはしゃいだ。ただ、いたずら
な病魔が進むのは早かった。シーズンが開幕してから、その少女は天国に逝った。
最後に「1%でも生きることのできる可能性があるなら」と米国の病院に移ることを決意
したが、異国でその命を絶たれた。
ショックを受けた新庄はひどく落ち込んだ。「応援してくれてるファンを裏切りたくないか
ら」。笑顔のすてきだった少女へ、そしてプロ野球ファンへ??。パ・リーグを盛り上げ
たいと人一倍思う男が、野球の素晴らしさを自らのパフォーマンスで体言した。
121:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:13:56.53 ID:LX0TsV0cO
俺の近所に住んでた爺さんの話。
一人暮らしだった爺さんは子供好きで、
ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。
卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって
入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」は
たくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。
122:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:15:17.37 ID:LX0TsV0cO
・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。
「若、ご立派になられましたな。」
もう意識が戻ることはないと聞かされていた俺、
そしてソレを言った当の本人である看護士。
二人して悲鳴をあげるほどビックリした。
付き添いで来ていたオカンなどは腰を抜かしたほどである。
直ちに医師が呼ばれ「じい」の意識回復の検査が行われたが、
その頃には再び「じい」の目は閉じられていた。
そして結局、それっきり目覚めることのないまま半月後、
「じい」は永遠の眠りについてしまったのだった。
後に医師から聞かされた話なのだが、「じい」が脳に負った障害は重く、
そこから意識が回復した例は聞いたことがない、
というかまずあり得ないということであった。
だがあの場にいた俺は、オカンは、看護士は、
確かにその《あり得ない事態》を見た。そして聞いたのだ。
「アンタに会うために目を覚ましたんだろうね。」
とは腰を抜かしてたオカンの談である。
そして「じい」の残してくれた言葉に恥じぬようになろうと
心に誓ったものの 結局こんな時間から2chに入り浸ってるような、
天国の「じい」に申し訳ない俺なのであった。
125:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:22:26.74 ID:LX0TsV0cO
脳梗塞で入退院を繰り返していた祖父
私たち家族は以前からの本人の希望通り、医師から余命があとわずかであることを知らされていたが、祖父には告知しないでいた。
「元気になって、またみんなで楽しく暮らそうね」
祖父を見舞った際の合い言葉のようでもあった。
祖父の1周忌が過ぎた頃、父が祖母に1通の手紙を手渡した。
祖母の心の落ち着きを待ってのことだった。
衰弱し、震える手で書かれた文字は書道で師範格であった祖父が書いたとは思えない程弱々しかったが、文面から感じられる優しさ、慈しみが祖父のそれであった。
「おばあちゃん元気
ともに過ごした時間は永いようで短い50年でしたね
また機会があればいっしょに暮らしたいものです」
祖父が書いた最初で最後のラブレターである。
126:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:22:35.92 ID:BFHuN3Ow0
腹違いの兄貴が居る。
俺小学5年、兄貴大学生の時に子連れ同士の再婚。
一回り近く年が離れていたせいか、何だか打ち解けられないまま。
大学入試の時、入学金の事親に言えないでいたら、兄貴が知らない内に払っていた。
俺「気を遣わないでよ。いざとなれば働けば…」
兄貴「馬鹿野郎。俺はお前の兄ちゃんだ。」後でちょっと泣いた。
姪っ子が大怪我した時、限界まで輸血した。
兄貴「もういい止めろ。死んでしまう」
俺「うるさい。俺は○子の叔父さんだ」義姉共々泣かした。お返しだ。ザマミロ。
姪っ子の結婚式の時、「私にはお父さんとお母さんと、叔父さんの血が流れています」
って言われて図らずも号泣。兄貴夫婦以上に号泣。大恥かいた。
○子綺麗だったなあ…。
129:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:27:36.25 ID:LX0TsV0cO
俺にはベルと言う10年以上も一緒に暮らしてきた犬がいました。
いつも元気だったベルがある日夜遅く突然床に倒れこんで動かなくなってしまいました。
すぐ病院に連れていって診てもらい検査をしてもらったら癌だと言われました。
手術をし癌をとり除いたのですが悪性の癌だったらしく、もう永くは無いかもしれないよと先生に言われました。
何とか無事に退院したもののやはり昔ほど元気では無くなっていました。
調度その頃家の近くにミニチュアダックスフントが捨ててあり家に届けられしょうがないので家で飼うことになりました。
ベルはそこまで新しくきた犬を好きではなかったみたいではあったのですがそれなりには可愛がっていました。
それから2カ月ほどたったらベルは突然目が見えなくなってしまい歩くのも困難になってしまいた。
毎日看病していましたが容態は悪くなる一方でした。
ある日ついにベルは動けなくなり寝たきりの状態になってしまいた。
するとミニチュアダックスフントは一日中側にいて時折見えなくなってしまった目を舐めてあげていました。
ベルは嫌がらずとても安心した顔をしていました。
131:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:30:06.75 ID:LX0TsV0cO
次の日ベルの呼吸は突然荒くなり息をするのも辛そうでした。
先生にきくと今はまだそこまで辛くは無いけどこれからどんどん辛くなりますよと言われた。
家族で相談して遂にベルを安楽死させることにした。
俺はとても辛かったがこれ以上苦しむベルはみたくは無かった。
そしてその日家族に見守らながら11月3日ベルは眠るように息を引き取った。
母親はその日一日中泣いていたが何故か俺は泣けなかった。
悲しいけれど涙がでてこなかったのだ。
次の日にベルを火葬場に持って行って火葬してもらった。
そして骨になったベルを見たら涙が出てしまった。
ベルが死んだことをその時まで受け入れる事が出来なかったのだと思う。
その後いなくなったベルを必死に家中捜すミニチュアダックスフントを見るのがとても悲しかった。
133:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:32:34.12 ID:LX0TsV0cO
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて
窓際に置いておいたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの
便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と
「ガンがなおるおくすり」
と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで
「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って
「ねえ!サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの!早く飲んでみて!」
っていって、夫に薬を飲ませた。
135:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:33:45.24 ID:LX0TsV0cO
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」
……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように
鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。
137:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:39:39.16 ID:BFHuN3Ow0
俺が小学校に上がる前に離婚し、母は女手1つで俺を育ててくれた。
父と結婚する前仕事らしい仕事もしたことがなかった母は
お弁当屋の調理やコンビニエンスストアのレジなどのパート勤務で生計を立てていた。
当然家は貧しく、俺は高校を卒業したものの、バブルがはじけ最悪の不景気で、就職もできず家でぶらぶらしてばかりいた。
そんな俺に母親は「そのうちいい仕事が見つかるよ^^」と独り言のように呟いては無理に明るく笑いかけていた。
ある日、母は「パソコンぐらい使えないと就職も難しいのかね?パソコン買おうか?」と言い、俺を電器屋に連れていった。
パソコンのことは何も知らない母と俺は店員に勧められたパソコンを買い
インターネット接続の作業も頼んで店を後にした。
帰るとき母親は「25万円かー、こんな大金を使うのは父さんが死んで初めてだねw」と笑った。
新たに増えた月々15000円のローン返済のために母は、パートを増やし夜遅くまで働くようになった。
俺の方は無料で遊べるネットゲームを見つけ、その面白さに魅せられ、来る日も来る日もひたすらネトゲばかりしていた。
いつもパソコンに向かっている俺を、パソコンの学習と思い込んだ母親は「パソコン上手になった?いい仕事が見つかるといいね」と
言っては笑ってた。毎日働きづめの母親の笑い顔はどこか疲れていて
俺はその笑顔を見るとゲームばかりやっている自分が情けなくなった。
そんなある日、母の仕事先から電話があった。
母が倒れて救急車で病院に運ばれたとのことだった。俺は急いで病院に向かった。
ボロボロの自転車を1時間あまりこぎ続けて、ようやく病院に着いた。
心配している俺に向かって母親はベッドから起き上がり、「ただの過労だよ。」と笑った。
「自転車で来たの?ここまで来るの大変だったでしょ?パソコン上手になって
いい仕事が見つかったら新しい自動車も買えるからね。」と言いながら、細い腕を伸ばして汗だくの俺の額をタオルで拭いてくれた。
138:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:39:50.85 ID:BFHuN3Ow0
病院まで遠いこともあって、俺はそれ以降は病院に行かずに、
母親の世話は近所のおばさんに任せっぱなしにして、母のことを気がかりになっていたもの
相変わらずゲームにのめりこんでいた。
母が入院して5日後、病院から精密検査の結果をお伝えしますからという電話があり、俺はボロボロの自転車で向かった。
5日ぶりに会った母親はいよいよ元気がなく、俺は妙な不安を覚えた。母親との面会の後、診療時間を過ぎた診察室に通らされた
俺は、担当の医師から母親が急性白血病であと3ヶ月あまりの余命だということを聞かされた。
頭の中が真っ白になった。母親に負担をかけっぱなしで、最近は母親の期待を裏切って
ゲームばかりしている自分が情けなくて、馬鹿すぎて、涙がこみあげてきた。
医師は「患者さんに動揺を察しられるといけませんから今日はこのまま帰った方がいいでしょう」と言われ
母になにもつげずに家路に着いた
俺はずっと泣きながら自転車をこいだ。
家に着くと俺はすぐにRMTで自分のアカウントやアイテムを全部売りに出した。
かなりの安値なのですぐに買い手は見つかった。
翌日、自分のちっぽけな郵便預金口座から振り込まれた8万円を引き出し、
母が大好きなチーズケーキと生クリームがのったプリンをケーキ屋で買い綺麗に包装をしてもらい
病室を訪れた。
日に日に日やつれていく母はチーズケーキを見ると驚いて「お金はどうしたの?」とたずねた。
「ネットのパソコンのバイトで8万円ほど手に入ったから」と俺は嘘をついた。
母は心から嬉しそうににっこり笑って「パソコン上手になったからいい仕事が見つかったんだね、がんばってね^^」と言った。
「自転車もいいの買えるね、あとは自動車の免許をとって車を買うのに無駄遣いはしないでね」と続けて言い、おいしそうにプリンを食べた。
自分の体が日に日にやつれていくのに「体は大丈夫?ちゃんとご飯食べてる?風邪ひいてない?」
と俺の心配ばかりしてくれた。
139:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:40:01.48 ID:BFHuN3Ow0
入院してから2ヶ月ほどが過ぎた日の朝、いよいよ母はきびしくなった。
朝すぐに病院から呼び出され俺がかけつけると、苦しそうにハアハアと息をする母がいた。
かけつけてからずっと母の手を握り締めた。
たまに薄く目を開け俺に何か言いたそうにするのだが、聞けることはなかった。
ただずっと泣いてばかりの俺の手を母は、優しくさすってくれた
死ぬ間際だというのに、すっげー苦しいそうなのに、泣いてる俺を励まそうとしてくれた・・・
その日の午後、母は俺の手を握りながら息を引き取った
母の遺体が安置室に運ばれ、がらんとした病室で小物類を片付けていると、看護婦さんが俺を慰めようと優しく声をかけた。
「パソコン得意なんですってね、お母さんは毎日のように自慢してたわ」
俺はその言葉を聞くやいなや涙がこみ上げてきた。そして体を震わせて大声を上げて看護婦さんの前で泣き続けた・・・・・・・
140:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:41:23.40 ID:BFHuN3Ow0
197 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/04/17(金) 03:09:46.29 ID:woaFLZ+Y0
阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。
阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口~夙川間の高架部分の再開によって、
ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。
夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。
「あ り が と う は ん き ゅ う で ん し ゃ」
運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。
ときよ、上越新幹線よ、もまいを待っている人々がいる。
復興のために、そして人と人をつなぐために、よみがえれ、不死鳥のごとく。
141:1/2:2011/04/19(火) 05:44:33.58 ID:qD9gUH9L0
東北の豪雪地帯生まれ、小学効2年の時3つ上の兄と裏山でそり遊びをしていて
俺が雪の中の石につまずき兄をそりごとがけから落とし死なす。
家督を継ぐ兄貴を愛していた父親は発狂し俺を納屋に3週間ほど閉じ込める
食べ物は母親が持って来てたが寒さのあまり凍傷で足と手の指が何本か動かなくなる
納屋から出された時には兄の葬式などは終わっていて俺は父親に殴られて暮らす。
春に小学校がはじまり親に指が動かない事は大人に言うなといわれていたので
先生にどうしたの?と聞かれても何も答えなかったが友人にちくられ学校問題に
おせっかいなおばさん先生が警察に通報したため親は逮捕、俺は施設に引き取られる。
警察が来た時父親にお前を一生許さないといわれる
小学校は養育院から行き中学に上がると施設が変わる。
142:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:44:37.96 ID:dksOpD8JP
朝方にこんなスレ見たらバカみたいに泣けるな
阪神淡路大震災のは少女が自衛隊に敬礼されるのがもうね
144:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:45:34.51 ID:BFHuN3Ow0
>>142
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
145:2/2:2011/04/19(火) 05:46:19.86 ID:qD9gUH9L0>>142
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
中学の記憶は一切無し、気がつくと15歳で病院で天井見てた
体中に熱したものを押し付けた跡があり左乳首が削り取られてた
それと先端恐怖症になっていて尖ったもの見ると何かを思い出しそうになり吐く。
多分施設と中学で酷くいじめられてたんだろうなと思う事にしてる
退院したら初見の中学の担任の先生が来て新聞配達屋を紹介してくれたので 埼玉の新聞配達屋へ、そこで10年働くが毎日何も考えずに過ごしたためあっという間だった。
配達先のおっちゃんに気に入られ今度できる工場で働かないかといわれ働く事に。
そこで出会った人たちにぼそりと生い立ちの話をしたら飲み会で全員泣かせてしまう
次の日同僚のおっちゃん達が「若いからこういうの興味あるだろ」と酷く古いパソコンくれたり炊飯器くれたりしたのではじめて人の温かさに触れた
しょく場の知的上司にパソコンの使い方などを教えてもらいはじめて女の裸を見て衝撃を受ける
そこで俺は勘違いし不幸話をすれば構ってもらえると常に自分の不幸自慢をしうざがられる
残りの指がうごかなくなり工場でお荷物扱いになる、
優しくしてた人達からも白い目で見られるようになり今年の春に自主退社、優しくしてくれた人たちから悪口言われるのは どんな時よりも辛かった
だけどまだ工場に誘ってくれたおっちゃんが借りてくれてるアパートに住んでる
ネット代もそちら持ち、仕事を探すも指無し学歴無しで見つからず2ちゃんで大学行きたくないという
書き込みを見てぼろぼろ泣いている自分にびっくりした、別に人それぞれだけどそんな事が酷く羨ましい
ファミリーレストランやマクドナルドに28になるまで行った事が無い、遊園地やゲームセンターやカラオケも。
最近2週間寝ないで1週間寝たりと生活が不規則になり父親が俺たち兄弟に雪でカマクラ作ってくれたり
昔楽しかった事ばかり思い出すも中学の時のこと?かなにか知らないがそこも思い出しそうになり吐き転がる
父母を捜すも行方はわからない、許してもくれないだろう。そんな感じ。
以前にちゃんでこのこと書いたら嘘つけといわれたので嘘だと思うなら嘘だと思って。
146:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:48:29.10 ID:qD9gUH9L0
昔、当時中学生の弟が学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた。
失恋でもしたのかと聞いたら、小学校からの女の子の友達が今日から登校するようになったからだ、と。
彼女は今まで病気で入院しており、薬の副作用で髪の毛が全部抜けてしまったらしい。
「女が丸坊主じゃ恥ずかしいって言ってたし、だったら他にも丸坊主がいりゃいいかなと思って。
野球部の奴等は元々丸坊主だけど、野球部じゃない丸坊主がいた方がいい」
と弟は言っていた。
翌日、丸坊主で登校した弟は帰宅するなり「同じ事考えた奴が一杯いた……」と。
なんでも優等生から茶髪問題児を含め、クラスの男子全員が丸坊主かそれに近い頭になっており、
病気の子と仲が良い女の子達までベリーショート、一人は完全な丸坊主になってたらしい。
更に担任の先生(男性)まで丸坊主。
丸坊主だらけの教室で、病気の子は爆笑しながら「ありがとうありがとう」と泣いたという。
示し合わせたわけでもないのに、全員同じ事考える当時の弟のクラスに和んだ。
ちなみに病気の子は今も健在、弟は意外に丸坊主が気に入ったらしく、それからずっと丸坊主。
149:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:53:15.96 ID:qD9gUH9L0
我家は母子家庭。
もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば
生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。
ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が珍しく
超々安物の指輪を気に入って購入した夜。
私「ねえ、これかわいいでしょ~?」(本当に気に入ってたから)
小4の息子「買ったの?」
私「うん、どう?」
息子「高かった?」
私「まっさかーー、500円だったかな」
その後、何故か息子は下を向いて黙ってしまい
どうしたのかと思ってたら
「俺が大きくなったら、すっごい高い指輪買ってあげるから」
って涙ふきふき言われてしまいました。
買えないから買わないのももちろんあるけど、我慢するほど
そういうのが欲しい私ではなかったのに
息子は、きっと勘違いしちゃったんだろうなって。
でもそんな気持ちが嬉しくて、私も泣き笑いしちゃった。
これから先、何があってもこの子がいてくれたら
乗り越えていける、って改めて思わせてくれた夜でした
153:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 05:59:24.31 ID:BFHuN3Ow0
455 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2008/01/20(日) 03:28:14.74 ID:cBz0R3e/0
俺の職業は精神科医なんだが、この前ゾッとするようなケースに遭遇した。
俺の家の隣に、60代の夫婦と30歳ぐらいのその息子の三人家族が引越して来た。
息子はいわゆる引きこもりらしく、その姿を見かけることはあまりなかった。
まー、その家族の口からは聞けないが、そういう世間体とか気にして越して来たんだろう。
その息子は日が経つにつれ、外に出る回数も減り、いつしか全く部屋から出て来ない完全な引きこもりになってしまった。
毎晩のように、息子の部屋から母親の怒鳴り声が聞こえる。
玄関先で母親に顔合わせたりすると、笑顔で挨拶してくれるが、明らかにやつれて来ていた。
隣の息子を見なくなってから、半年くらい経ったある日、隣の父親の方が「明日家の方に来て欲しい」とお願いしてきた。
個人宅に訪問して診察したことはなかったが、近所付き合いもあったし、了承した。
そして次の日、その家を訪れると夫婦揃って出迎えてくれた。
「こちらです」と母親に案内され、息子の部屋の前まで来た。
母親が「開けるわよ!」とドアを開けるなり、「いつまで寝てるのよ!」と大声をあげながらベッドの布団を剥いだ。
その姿を見たとき、俺は驚愕した。
ベッドには、顔のない裸のマネキンが1体横たわっているだけだった。
そして、父親にこう言われた。
「診て欲しいのは、現実を受け止められない私の妻です」
154:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 05:59:56.16 ID:qD9gUH9L0
おれが小学生の時、事故で両親が死んだ。
その後親戚中をタライ回しにされた。
おれが「高校入学を機に1人暮らしを始めたいです」と言うと、親戚のヤツは「好きにしろ。」
と二つ返事で文字通りおれを放り出した。
金も貰った。300万。おれの家を売ったし貯金とかもっとあるはずだが、おれはなにも言わずにそこを飛び出した。
なによりその場所が耐えられなかった。
そして1人で暮らし始めた。そして高校2年の時に知り合った友達の家に初めて遊びに行った時。
時間が遅くなって晩ご飯をごちそうになることになった。
友達の家は、親父さん、お母さん、友達、弟の4人家族だった。
おれを入れて5人の食卓には、ごはん、味噌汁、にくじゃが、あとよく判らない煮魚みたいなものが並んだ。
おれは「うまい!うまい!」と連発して食べた。
友達「そうか~?こんなん普通だよ?」
おれ「なに言っとるんだ、こんなん毎日食べれるなんて羨ましいて!」
おれ「炊きたてゴハンなんてすっげーゼイタクだて!」
それを聞いていたお母さんが「○○くん、いつもどんなもの食べてるの?」と聞いてきた。
おれは「いつもバイト先でまかない食ってます。あと家だとおにぎりとかパンとか、ラーメンとかです」と答えた。
お母さん「・・・お母さんはいらっしゃらないの?」
おれ「あ、おれ両親いないんすよ。昔事故で・・・。ハハッ。(笑)」
なるべく気を使わせないようにサラッと言ったつもりだった。
ところがお母さんはいきなりおれの手を両手で握ってきた。
おれがビックリしてると、涙目で「○○くん、困ったことがあったらうちに来るのよ」って言った。
なんだか分からないけど、おれも泣けてきた。家族なんて欲しいと思ってなかったけど、その友達が本当に羨ましかった。
この時のめしの味が今でも忘れられない。
それからもそいつの家にはバイトの休みの日にゴハンを食べさしてもらいに行った。
いつもタダメシじゃ悪いから、一度お金を持っていったら、逆に怒られた。
「子供が余計な気を使わなくてもいい」って。
でもうれしかった。
155:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:02:22.80 ID:LX0TsV0cO
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とつい、きつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
156:1/2:2011/04/19(火) 06:02:38.42 ID:qD9gUH9L0
もうすぐカプ板卒業するので記念に書いてみる。
※長文注意
三年付き合った彼氏を親に紹介したら交際に大反対された。
そんな時、私の大好きな母方のじいちゃんが倒れて入院してしまった。
彼氏はそれを知って毎週じいちゃんのお見舞いに行ってくれた。
頼んだわけでもないのに、じいちゃんが入院してからお見舞い以外のデートはしなかった。
入院しているじいちゃんが退屈しないようにと一緒に料理を作って持って行ったり、綺麗な風景の写真を集めたりしてくれた。
何で他人のじいちゃんにそんなに良くしてくれるの?と聞くと、
『お前にとって大事な人は俺にとっても大事な人だよ。それに俺のじいちゃんはもう亡くなってるから、本当のじいちゃんみたいに思ってるw』
って言ってくれた。惚れ直した。
しばらく通ううちに看護師さんたちとも仲良くなったんだけど、ある時次のようなことを言われた。
『〇〇さん(祖父)はいいお孫さんに恵まれて幸せですねぇ、その恋人さんも素敵な方で羨ましいです、って言ったら、〇〇さん、
××くん(彼氏)がうちの孫娘を貰ってくれたら自分は思い残すことはない、あんないい青年はなかなかいない。
本当にいつも有り難いと思っている。
できることなら二人の結婚式に出席するまでは生きていたい、って言ってたわよ~』と…。
それを聞いた彼氏、嬉しいなーとか言いながら頭かいてた。(結婚の話はちらほら出ていました)
157:2/2:2011/04/19(火) 06:03:20.48 ID:qD9gUH9L0
翌週、いつものようにお見舞いの前に花屋さんに寄った。なぜかお見舞いの花だけでなくバラの花を買う彼氏。
どうしたんだろ?と思っていたら、病院の中庭に連れて行かれた。
いきなり『〇〇さん、世界で一番愛してます。僕と結婚してください。必ず幸せにします。』って言われて指輪とバラの花束渡された。
私号泣。そのままじいちゃんの病室へw
私の薬指で光る指輪を見て何かを悟ったじいちゃん…彼氏にありがとうありがとう言いながら泣き出したw
彼氏は照れながら『おじいちゃん、〇〇さんをありがとうございます。必ず幸せにします。
俺もじいちゃんって呼んでいいですか?ウヒヒ』とか言ってる。同じ部屋の患者さんたちにも拍手されて嬉しかった。
その足で私の実家に行って結婚の挨拶をしてくれたんだけど、両親は渋い顔。結局その日は許して貰えなかった。
しかし数日後両親の態度ががらりと変わって結婚を認めてくれた。
聞くところによると、喜び勇んだじいちゃんが私両親に電話→両親は反対する→じいちゃん両親を呼び出して説教
、という流れだったらしい。
じいちゃんはうちの両親に、
『〇〇(私)だけでなくそのまわりの人間も肉親のように大事にできる××くんは素晴らしい男だ、頭を下げてでも嫁に貰ってほしいくらいの青年だ。
80年生きてきた自分が言うのだから間違いない!』
と一喝したそうです。
先日それを聞いた彼氏、男泣きしてました。
ちょっと寒いし、身内と親しい知り合いだけの小さな式だけど、今週末は結婚式です。じいちゃんはもちろん出席です。
今度はひ孫を抱くまでは死ねんなぁ、とか言ってます。
私も彼氏のように、私や彼氏の周りの人たちを大事にしながら一生彼氏と生きていきます。幸せです。
長文失礼しました。
改めて私の周りの全ての方への感謝と、今後へのけじめをつけるためにも投下させていただきました。
皆様の幸せを心からお祈りします。
お読みいただきありがとうございました。
158:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:04:39.47 ID:LX0TsV0cO
ある病院でずっと入院している小学校一年の女の子がいた。
彼女の入院生活は長いので看護士さんか先生が彼女の勉強を見ていた。
先生「はい、じゃあ500円玉と10円玉、どちらが(価値が)大きいかな?」
女の子「10円玉」
先生「え?どうして?500円の方がいっぱいお菓子買えるよ?」
お女の子「だって10円玉があればお家のお母さんに電話が出来るもん」
159:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:05:10.56 ID:qD9gUH9L0
ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?
俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、計年間6日位なんだけどさ。
俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。
単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。
冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?
おまえらも数えてみ?
あと何日カーチャンに会える日がある?
161:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:07:00.54 ID:LX0TsV0cO
私が幼稚園のときに亡くなったお母さん。
当時ひらがなを覚えたての私が読めるように、
ひらがなオンリーの手紙を遺してくれた。
みいちゃんが
おかあさんのおなかにやってきてくれたあのひからずっと
おかあさんは せかいでいちばんのしあわせを
みいちゃんからもらっています。
おかあさんのだいすきなだいすきな だいじなだいじな みいちゃん。
こんどはみいちゃんが せかいでいちばんしあわせになってね。
お母さん、私、この秋に結婚するよ。
世界で一番幸せになるよ。
163:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:10:15.86 ID:BFHuN3Ow0
148 :恋人は名無しさん :2005/10/15(土) 16:31:08
待ち合わせた彼女を待ってて見かけたのは、大学生風のカップルだった
男が女の子の正面に立って、何かしきりに手を動かしてた。手話だ
彼はやっと手話を覚えたこと、覚えるのは結構大変だったこと
女の子を驚かせようとして、その日まで秘密にしてたことを伝え、
女の子の方は彼が勉強してることを知らなかったこと、本当に驚いたこと、嬉しいと思っていることを伝えて、そのうちもどかしくなったのか彼の手を握って2度3度、嬉しそうにその場でほんの少し飛び跳ねてみたりしてた
悪趣味な盗み聞きだとは解ってたけど、その時ようやく手話を使いこなせる様になったばかりの俺には、それは例えば外国の街で突然耳に入ってきた日本語が気になる様に、申し訳ないけどどうしても気になる光景だった
たぶん、俺はにやけてたと思う。怪しい奴に見えたかもしれない。
でも、それは微笑ましくて、こっちまで心があったかくなる光景だった
服の裾が引っ張られる感覚に振り返ると、そこに俺の彼女が来ていた
何を見てたのかとか、顔が嬉しそうだとか、もっとはやく私に気づけとか、微妙に頬を膨らませて、もの凄い勢いで手話を繰り出す彼女に、俺は手話でごめんなさいと伝え、ちょっと昔を思い出してたことを伝えた
それでも彼女は少し首を傾げ、その”昔”を知りたそうな表情だったけど、俺は笑ってごまかした
今目の前にいる女の子を驚かそうと、秘密で手話を勉強してた頃の事だ
……とは、恥ずかしくて言えなかった
165:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:10:57.17 ID:LX0TsV0cO
私の家族の話じゃないけど、
中学3年の時、幼稚園からの幼なじみの子のお母さんが
突然亡くなった。
お通夜はうちの母が手伝いに行き、私は告別式だけ出席した。
その子にはまだ幼稚園生の年の離れた弟がいるんだけど、
出棺の時にその子が棺にしがみついて
「おかあさぁ~ん!行かないで~僕を置いていかないで~
おかあさんなんでしんじゃったんだよ~またおみそ汁作って
よ~いい子にするから!」
って泣き叫んで、それを涙をこらえて必死に
「ほら、おかあさんこれから天国いくの、見送ろうね」と
弟を止める同級生の子がかわいそうで、私も大泣きした(泣
166:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:12:05.50 ID:LX0TsV0cO
病院での親子3人の会話は
「来年桜が咲く頃、和は小学生になるんだよ」
妻は来年の桜が見れそうも無い。
セミの鳴く帰り道、家の近くの公園で
俺と息子は夏に咲く桜の木を見た。満開だ。
わかってる。
あの時は疲れていたし、暑さで幻をみたのだろう。
それでも翌日、息子と一緒に病室の妻へ「夏にも桜が咲くんだね」
って興奮気味に話しをした。
妻は「夏に桜が咲くぐらいだもの、来年の桜だって簡単に見れちゃう」
笑って答えてくれた。
夏に桜が咲くのが奇跡なら
低血圧な妻に代わって、息子の弁当を作る俺の今の生活も奇跡
ってゆーか誰だよ!あの公園の木に悪戯した奴!
それともホントに奇跡か?やっぱり幻か?
今となってはどちらでもよい。ただ感謝感謝。
167:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:13:56.11 ID:BFHuN3Ow0
52 :恋人は名無しさん:2008/01/28(月) 22:02:36 ID:KVoEdhMa0
いつか彼女ができたら、映画みたいな
女の子が思いっきり背伸びしちゃう身長差なキスシーン、
やってみたいって密かに憧れてた
まあ実際は背低かったから無理なんだけど
実はこれがけっこうコンプレックスだった
で、高2の今頃の話
当時付き合い始めたばかりの、
並ぶとピタッと背が揃う同じ身長の彼女と街歩いてて、
モデルみたいなカッコいい身長差カップルを見かけた
後から考えたらその時きっと何か顔に出ちゃってたんだろな、
彼女いきなり小声で
「私はあんまり背が高い人は苦手だなぁ」
とか言い出して、それから
「だってさぁ、きっと疲れるよ?背伸びとかね」
その時の俺には話の脈絡が全然解らなくて
えーっと、何の話?とか聞こうと思って横向いたら
急に彼女の顔が近づいてきて、そのまま軽くさっとキスされた
びっくりしてドキドキして、ちょっと硬直してたら、
彼女恥ずかしそうに笑いながら、「ほらね?」だって。
もう何か唐突に、この子にもっともっと惚れられたいって
思ってしまった
168:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:15:49.38 ID:LX0TsV0cO
俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。
でも遠足などで弁当がいる時は、母さんががんばって作ってくれていた。
でも、小学校6年の時の遠足で、見た目が悪い母さんの弁当を友達に見られるのが嫌で、とうとう
「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない!!」 と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくてごめんねとしか言わなかった・・・・。
時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。
遠足の時に作ってくれたものとは味も見た目もよくなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。
と、思ったのもつかの間。
肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから3ヶ月しかたたぬうちに・・・。
母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺のために、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。
そして後日、その定食屋に行ってみた。
定食屋のおばちゃんと俺は直接のかかわりはないけど、やさしそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、 ハンバーグ。それの定食を頼んだ。
そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。
腕がまともに動かせないのに、がんばって作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とてもおいしかった
あのハンバーグの味。
169:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:17:01.89 ID:qD9gUH9L0
そうだね、面倒見切れないなら残念だけど施設に行ったほうが幸せかもしれない。
数年前、私の夫が99さんと同じくいきなり前妻の子供を引き取りたいって言ってきた。
前妻さんが、再婚する時も言われたそうだけど、もう私と結婚していて
「それは出来ない、お前が養育費出せ、子供を寄越せと言って来たんだから無理」
と私が知らない間に断ってた。
でも今回は再婚した前妻さんと前妻さんの現夫が子供を虐待してると聞いて
私に相談してきた。
私も、前妻さんの子供と仲良くやっていける自身はなかったけど、
初顔合わせの時、子供の顔を見て前妻さんに「私が引き取ります!」と言った。
面倒そうに連れられた前妻さんの子、長女は夏なのに長袖で、
腕と足には古いのと新しいのと混ざった、やけど、タバコの跡、赤と青の打撲痕。
暗い表情、汚れた服、虐待のオンパレードだった。
最初はご飯でさえ、びくびくしながら食べてた。
中にガラスや絵の具、ゴキブリが入ってたり、腐ったのを食べさせられてたから。
でも今は私の産んだ子(引き取った時に中にいた)を面倒見てくれてる。
はっきり言って夫より仲がいい。
「あなたは私の大切な子よ、生まれるところを間違えただけだからね。お帰り。」
と言ってます。
171:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:20:35.64 ID:BFHuN3Ow0
この前飼い猫が病気になったんですよ、末期のね。
で、生まれて初めてペットロスを経験したわけですわ。正直最初はペットロスって軽いもんだと思ってたのよ。
動物飼いならみんな普通に経験してるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは人が経験するもんじゃない。冷血人間だね、冷血人間だけが耐えられるものだよ。
最初に「安楽死承諾書」出された時さ、めちゃめちゃびびってペンそろ~って持ってそろ~っと名前書いたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって消すどころか承諾書破り捨てちゃったのさ。
そしたら飼い猫がさ「苦しいよ」とか目で訴えてくるの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから名前書いたのさ。えぇ、そりゃもう書きましたとも。全てを忘れて書いたよ。
家に迷い込んできた時のヤツの心もとないほどガリガリだった体とか、
初めて膝で寝てくれたときにホントに嬉しかった事とか、エサをねだる時の愛らしい顔とか
色々思い浮かんでくるのを頭から振り払ってね。
だってヤツが苦しいって訴えてたからね。
そしてらエライ事になった。
もうすごい即死。そして俺のすごい涙。幅3cmくらい。昔の漫画だけど星飛雄馬やはだしのゲンにも負けない。
それで横見たら飼い猫がすごい安らかな顔を俺の方に向けてんの。ホントごめんなさい。
正直「飼い主なら苦しみから救ってやるのが義務だぜ!」なんて見栄張らないで素直に最後まで
悪あがきしてやればよかった、
せめて自然に任せて死なせてやればよかったと思ったよ。
心の底から承諾書にサインした事を後悔したね。
でも埋葬が終わって友達に「猫はさっさと死んじまうな!これだから猫は。今度は長生きするカメでも飼うか」
とか言っちゃてんの。
ホント俺ってダメ人間。
誰か助けて下さい。・゚・(ノД`)・゚・。
172:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:20:55.29 ID:BFHuN3Ow0
この前病気になったんですよ、末期のね。
で、生まれて初めて飼い主との別れを経験したわけですわ。正直最初は別れって簡単なもんだと思ってたのよ。
野良猫時代は普通のことだったからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは猫が経験するもんじゃない。冷血動物だね、は虫類だけが耐えられるものだよ。
最初に動物病院に入った時さ、めちゃめちゃ痛くて脚そろ~って動かしてそろ~っと尻尾ひきずったのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか体が動かなくなって診療台の上でへたりこんじゃったのさ。
そしたら飼い主がさ「苦しいのか」とか目で訴えてくるの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だからニャーンて鳴いたのさ。えぇ、そりゃもう鳴きましたとも。全てを忘れて鳴いたよ。
家に迷い込んだ時のヤツの暖かいまなざしとか、
初めて膝で寝たときにホントに気持ちよかった事とか、エサをくれる時の呼び声とか
色々思い浮かんでくるのを頭から振り払ってね。
だって長引くと飼い主がつらいだろうって思ったからね。
そしてらエライ事になった。
もうすごい即死。そして飼い主のすごい涙。幅3cmくらい。昔の漫画だけど星飛雄馬やはだしのゲンにも負けない。
それで横見たら飼い主がすごい悲しそうな顔を俺の方に向けてんの。ホントごめんなさい。
正直「飼い主を苦しみから救ってやるのが義務だぜ!」なんて見栄張らないで素直に最後まで
悪あがきしてやればよかった、せめて自然に任せて死ねばよかったと思ったよ。
心の底から承諾書にサインさせた事を後悔したね。
でも埋葬が終わって天国で「飼い主って寿命ありすぎるよな!これだから人間は。
今度は長生きするカメにでも生まれるか」とか言っちゃてんの。
ホント俺ってダメ猫。
…もう泣かないで下さい。
174:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:21:47.87 ID:LX0TsV0cO
中学生になっても同じクラスになれるといいね、
と話してた親友は中学校入学式2日前に亡くなった。
その子の母親による無理心中。
その子には弟が2人いて、1人が障害を持っていた為母親が悩んでの心中。
焼けた子供部屋から、弟2人を守るような姿勢で親友は発見された。
優しい子で、転校してきたばかりで友達のできない内気な私に話しかけてきてくれた。
葬儀で見た、包帯で全身を巻かれ小さくなった彼女の体がいまだ目に焼き付いている。
あれからもう16年たったけど、彼女ほど大好きになれる友達は現れない。
中学では同じクラスになってた。
できるならもう一度逢いたい。
逢っていろんな話がしたい。
175:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:21:53.28 ID:BFHuN3Ow0
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。
俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」
正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。
176:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:24:26.55 ID:BFHuN3Ow0
65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(アラバマ) 投稿日:2008/09/10(水) 23:41:42.19 ID:nmphrjz8O
ジョニーが街でペンギンを拾った。困った男は友人のケインに電話して相談した。
「なあケイン、ペンギンを拾ったんだけど、どうしたらいいだろう?」
「そんなの動物園にでも連れて行けばいいだろ」
翌日、ケインはジョニーがペンギンを連れて歩いているのを見かけた。
「おいジョニー、昨日は動物園に連れて行かなかったのかい?」
するとジョニーが答えた。
「ああ行ったよ。だから今日は遊園地にでも連れて行ってやろうかと思ってさ」
177:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:25:06.64 ID:BFHuN3Ow0
小学生のとき、少し知恵遅れのA君がいた。
足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅い。でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。N先生がぶるぶる震えながら、
嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。
昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。
N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
蛇足かもしれませんが補足。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような過疎地へ
自ら望んで赴任されました。
N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。
「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。みんなはもしかしたら、見たこと無いかもしれない。ユトリロっていう、
フランスの人でね、街や風景をたくさん描いた人なんだけど。空が、綺麗なんだよ。
A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
だけど、決して取り戻せない物ではないのです。そして、A君はそれを一生懸命自分のものにしようしています。
これは、簡単なことじゃありません!」
A君は、空を描いた絵を送るそうです。その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。
179:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:26:28.53 ID:LX0TsV0cO
初七日の晩、パパが夢に出てきて、私の部屋の戸の前に正座して、
にこにこしながら、(お世話になりました)というように、お辞儀をした。
それから部屋に入ってきて、風呂敷包みのようなものを私に渡し、促すように
「食え」とひとこと言った。
包みの中身は目には見えなかったけど、手にとって口にほおばった。
それは氷砂糖のような感触で、口の中でしゃりしゃりと音をたてた。
その隙にパパは部屋を通り抜けてベランダに出て、手すりを乗り越えようとした。
私はあわてて、「行かないで」と言って思いっきりパパの足にしがみついた。
ここで目が醒めました。世の中で一番好きな人でした。
もう5年になろうとしていますが、今でもよく夢を見ます。
家でいつもの定位置にパパが座っていて、私は、「でも本当にうそみたいだよね、
一時はもうだめかと思ったのに・・・奇跡的だよね」と言ったあとで、
「・・・え?」と不安に思って振り返るともうそこに父がいない、という
夢が多いです。
叫んで目覚めたりします。やはり目覚めたときは嗚咽、です。
180:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:26:54.56 ID:qD9gUH9L0
俺と妻は約1年セックスレスだった。
別に喧嘩していたわけでも無く、何となく時間が経過してしまった。
半年くらい過ぎると、セックスするきっかけすら無くなり、したくても言い出せなくなる。
そして1年経った。
そんなある日、俺と妻の共通の友達と飲み会があった。
昔話で盛り上がり、終電を逃してしまった。
そして俺達夫婦は何年か振りにラブホテルへ泊まる事になった。
ラブホの独特な雰囲気にやられて、二人でイイ感じになった。
そして1年ぶりのセックスが始まった。
1年ぶりのセックスは凄かった。
とろける様なディープキス。
吸い付く様なバキュームフェラ。
鳥肌物のアナル舐め。
俺の上にまたがり、胸を揉みながら腰を振る妻。
男性経験が俺しかないはずの妻・・・。
1年前はマグロだった妻・・・。
綺麗だった乳首の色も形も変わった妻・・・。
アナルの形状を見た瞬間、萎えてしまった俺・・・。
翌朝、女性だらけの探偵事務所に電話した・・・。
182:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:29:42.43 ID:LX0TsV0cO
実家で飼っていたムク・・白くてふわふわで、本当に可愛かった。
絶対に人や他の犬にキバを剥くなんてことはしませんでした。
3歳くらいで肝臓が悪くなり、医者に「あと一年の寿命」と言われたけど
12歳まで生きていてくれました。本当に一生懸命生きました。
ムクが家族をひとつにしてくれたようなものでした。
ムクはだんだん体が悪くなり、最後の一年は歩けず寝たきりでした。
でも、すでに結婚して別に暮らす姉や私が実家に帰ると、歩こうと無理して
這いずって玄関まで迎えにきてくれました。耳を下げて、しっぽを振って・・
そのムクがおかしくなったのはある日の朝でした。
母親から「ムクが・・・ムクがもうダメかも・・・」と電話をもらって、
すぐに実家にかけつけると、ムクは大好きな場所だった玄関に寝ていました。
その傍らにはお線香が・・・たくさん・・たくさん泣きました。
母は泣きはらした顔で最後の時を教えてくれました。
「お父さんが仕事に行く時にね、ムクが頭をあげてクーンと鳴いたんだよ。
その後、ゆっくり顔が下がっていって・・最後にお別れを言ったんだね、ムクは」
それからもう6年経ちました。
でも今書いていても涙が出てきます。
184:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:30:49.27 ID:qD9gUH9L0
ホンダの創業者、本田宗一郎氏はある日、あっさりと代表の座を降りた。
その後、彼は全国行脚の旅に出る。
全国のホンダの営業所、工場を訪れ社員一人一人に挨拶し、握手を交わしたいと言い出したのだ。
それが社長を辞める際の彼の唯一の願いだった。
飛行機、車、新幹線を乗り継いで彼は全国どころか外国も含め、1年半ですべてを回りきった。
ある工場で宗一郎氏と握手する前に急いで走り去ろうとするものがいた。
「どうした?」
そう呼び止めると
「手が汚れているから」
と油で真っ黒になった手を隠しながらもぞもぞしている。
だが宗一郎は、
「いいんだよ、それでいいんだ」
と彼の真っ黒な手を握り締めた。
「働いている手じゃないか、立派な手だ。俺はこういう手が一番好きだ」
そういいながら涙ぐむ宗一郎氏と一緒に社員も涙を流した。
185:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:31:03.69 ID:BFHuN3Ow0
149 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2009/03/01(日) 23:43:10
嫁、死んじゃったよ(・∀・)。49日終わったよ(・∀・)。結婚して
3年目(・∀・)。
…この顔(・∀・)付けないと、もう自分が崩壊しそうなんだ。今も
崩壊中。嫁が職場で倒れた。電話を受けて俺が病院直行。そしたら医者が
「力及ばず、申し訳ありません…ご臨終です」。死因はくも膜下出血。
最近は死なないのが多いらしいんだけど、嫁は運が悪かったらしい。
冷静に書いてる。自分のことじゃないみたいだ。でも、遺影の嫁の笑顔が
目に入るたび泣いている。あとな、嫁の部屋を片付けてたんだ。普段、うちは
自分の部屋は自分でするんだけど(家事は交代制)、そしたら、「夫君へ」
と書かれた封筒があった。
中身、「これ読んでるってことは、私はこの世にいないということだよね。
元気ですか? ちゃんと食べて、きちんと眠ってますか? それとも可愛い
彼女見つけたかな?」
…彼女なんか見つけられねぇに決まってるじゃん。お前が世界一なんだよ、
俺にとって。
で、手紙の最後に「パソコンの***って名前のフォルダ、開いてね」
って書いてあったから開いてみた。
多少下手でも(俺、料理下手orz)栄養バランスがよくて簡単に作れる
おいしい料理、弁当のおかずにいい料理、俺の好物…作り方、全部書いて
あった。
ごめんな、嫁。俺、多分一生独身で行く。お前は天国でいい男捕まえて
くれ。 だけど、俺見かけた時には、ちょっとだけでも笑顔見せてくれたら
嬉しい。
今夜も嫁が残してくれた料理レシピで作った飯で晩飯。ありがとう、嫁。
186:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:34:04.10 ID:LX0TsV0cO
泣けるかどうかは微妙だけど好きなコピペ
56 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2007/07/05(木) 08:10:24.60 ID:Jg+AcEeL0
生きててもさ、無駄なんだよ、俺。
きっと何しても上手くいかないんだよ。
ただダラダラと生きててさ。
いっそ本気で死んじまおうかな。
58 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りしま:2007/07/05(木) 08:12:48.05 ID:peSyhKq70
死んでもいいけど。とりあえず、自分のレスを縦読みだな。
自分の心の声に気付いてやれよ。
60 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2007/07/05(木) 08:14:34.40 ID:Jg+AcEeL0
…もっかいバイト探して見る。
ありがと。
187:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:34:24.78 ID:BFHuN3Ow0
150 :癒されたい名無しさん:2009/02/28(土) 16:44:18 ID:DwE7hn3Y
私は、2歳のとき父を亡くし、以来、私をひとりで育ててくれた母も私が中学二年生の時、突然の心臓病でなくなりました。
その日のことです。
近所のスーパーに勤めていた母ですが、学校から帰ると勤めを早退した母は床に臥していました。
「お母さん、どうしたの?」と聞くと
「心配しないでもいいよ、ちょっと風邪をこじらせただけだから」とか細い声で答えました。
昨日からなにも食べてない様子だったので
「なにか買ってこようか」と聞くと
「おまえも今、期末試験中で大変なのに、いいの?・・・もしよかったらリンゴが食べたい」
「じゃあ、すぐ買ってくる」
リンゴを買って家に着いたとき、母はもう死んでいました。
枕元に、ほんのわずかな時間に、苦しみながら書いた母の言葉の走り書きがありました。
「哲、ひとりになってもお母さんお父さんはいつもおまえを守っているよ ありがとう」
とありました。
私は、それ以来リンゴを見ることもむろん食べることもできなくなりました。
あれから九度目の桜を見る季節がもうすぐやってきます。
私にとっての桜の季節は、ただリンゴをにぎりしめながら泣きつづけた日々の思い出なのです。
188:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:35:47.13 ID:qD9gUH9L0
小さな食堂(夫婦と息子さんで経営。バイトは私だけの合計4人)でバイトをしています。
基本的に調理は旦那さんと息子さんがやっているのですが、付け合せの人参のグラッセなど簡単なものは私が作っています。
昨日最後に来たお客さん(親子3人)が「この人参のグラッセを作ってる人はどなた?」と聞いてきました。
私は不味いと苦情を言われるんだと思い、震えながら「私です」とお客さんがいるテーブルに行きました。
お客さんは私をじろじろと見て「そう、あなたが作ってるの…」と呟きました。
私はもう怖くて怖くて、手をぎゅっと握ってその視線に耐えていました。
そうしたら奥さんの方が「うちの子、人参が大嫌いでどんな料理にしても絶対に食べないの」と言いました。
「それなのに、このお店のグラッセだけは美味しいっていつも嬉しそうに食べるのよ。
良かったらレシピを教えてくれないでしょうか」とメモ帳とペンを私に差し出してきました。
そういうことは店長に確認を取らないといけないので、冷静を装ってと厨房に行きましたが、実際は嬉しくてぼろぼろ泣いてた。
厨房に行くと店長は「話は聞いてた。レシピは教えてやっていいぞ」とレシピのコピーをしてくれていました。
そして「これも持っていけ」とグラッセとうちの一番の自慢のコロッケを渡してくれました。
お客さんにレシピと「これは気持ちです」と料理をテーブルに載せると、子供は満面の笑みで「ありがとう!」と、
夫婦も「このコロッケ凄く美味しくて大好きなんです」って美味しそうに食べてくれました。
このことが本当に嬉しくて嬉しくて、お客さんが帰った後、思わずおお泣きしてしまった。
店長が「料理屋は客に美味いと言われるのが最高の幸せだ。だから今のお前は最高に幸せなんだぞ」と
言って、私が泣き止むまでずっとお店にいてくれました。
お店もここにくるお客さんもみんな大好きだ。
189:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:36:52.53 ID:BFHuN3Ow0
96 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/07/28(水) 17:49:59
高校生の頃、入院したときに同室になった老夫婦。
じいさん(旦那さん)のほうが他県から出張中に脳卒中で倒れ、俺の地元の大学病院に運び込まれた。
(定年後に農業指導とかをしてたらしい)
意識を回復するまで1ヶ月以上、奥さんは病院近くのビジネスホテルに泊まって毎日付き添いをしてたらしい。
俺が入院したときにはもう旦那さんの意識は回復していたが、後遺症で軽度のまひと言語障害と記憶障害(記憶喪失)になってた。
じいさんはいつもふがふが喋っているのだが、先生も看護婦も良く聞き取れないので奥さんが通訳していた。
が、旦那さんは奥さんのことが誰だかわからないらしく、決して名前を呼ぶことはなかった。
そのくせこのじいさん、若い女の子は大好きだった。
看護婦の研修機関になっているからか、2~3週間ごとに変わる若い看護婦さんのことはすぐ覚えて、
「今日は違う人だね。新しい人?かわいいね」とか言ってた(これも奥さんの通訳経由)。
じいさんは性格的には気さくな人で、ふがふが言いながら隣のベッドの俺にも必死で話しかけようとして、
奥さんが通訳し、俺が返答すると、奥さんが耳元でゆっくり言いなおす、ということで会話したりしていた。
そうこうしてるうちに、俺が2週間ぐらい入院している間にも、じいさんの言葉は目に見えて回復していった。
ある日の午後、看護婦さんが誰も部屋にいない時間帯にふとじいさんが奥さんに向かって
「あんたは、新しい人(看護婦さん)かね?ずっと俺のそばにいてくれるようだが…」
と言った。
俺はそれを聞いて「じいさん、2ヶ月近くも付き添いしてもらっててそれは酷いだろw」と思ったが、
奥さんは
「何を言ってるんですかwやーねぇww
もう40年もお側にいるじゃないですかw」
と言ってニコニコ笑ってた。
奥さんは俺にも「ねえ?ww」と言ってきたが、俺はなぜか涙がこみ上げてきてうまく答えられなかった。
なんかこんな夫婦になりたいと思った。
190:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:36:54.19 ID:LX0TsV0cO
今年の1月に父を亡くしました。
12年間の闘病生活に私達家族、親族は慣れてしまい
父の苦しみもいつものことって感じで接していました。
最後の週は食事もできなくなり
亡くなる3日前に会いにいったときには
もうクダがいっぱいでした。酸素すら吸えなかったのです。
何回も脳梗塞になり言葉もはなせなくなり
でもプライドの高いひとだったので自分でもどかしいのか
やつあたりばかりしていました。
本当に今思うと辛かったんだろうなぁって思います。
でもその亡くなる3日前の時
「○○ちゃん<私の名前>ありがとうな」ってはっきりいったんです。
初めて父の前で泣いてしまいました。
絶対に父が不安がるから泣いてはいけないって思ってたのに・・・。
土曜日の昼間「すぐにいてほしい」と電話があり徹夜で見守り明け方旅立ちました。
親族が「もう逝かせてやり」って言う中
息を少しずつひきとっていく父に
「吸って!!ゆっくりでいいから息吸って!!」と叫んでいました。
お父さんの子供で幸せでした。
全然優しくしてあげなくってごめんね。
痛みに慣れるってことないのにね・・・。ごめんね。
今でも泣けてきて毎日目が腫れてるよ。
夢でも出てきてくれたらイイのにって思うよ。
「お父さんの人生よかった?」って聞きたいよ。
191:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:38:53.25 ID:qD9gUH9L0
俺ん家は俺と母親、それとおはあちゃんの三人で暮らしてる。
親父は離婚していない。パチンコとかやって借金をつくる駄目な親父だった。
母子家庭ってやっぱ経済的に苦しくて、母さんは毎日働いてる。
おばあちゃんは汚い服ばっかり着てる。
俺は行きたい大学があるけど、金がかかるからそこだけ受けて駄目だったら就職しようと思ってた。
それで、俺大学落ちちゃったんだ。
「すぐに就職先を見つけなきゃいけないな」
って考えてたら、俺の部屋におばあちゃんがやってきた。
「〇〇、大学落ちちゃったんだってね」
と、おばあちゃん。
「うん、でもいいよ。俺、就職するからさ」
ってちょっぴり強がって俺は笑ってみせた。
そしたらおばあちゃん、いつから使ってるか分かんないような汚い手提げ袋から、札束を出してきたんだ。
「え…何このお金…」って俺が絶句してたら、
「〇〇、行きたい大学があるんじゃろ?だったら行きんさい。
お金のことなら心配せんでええ。まずこれで予備校行きんさい。
年寄りは金持ちやで。それに、ちょうどばあちゃんな、何かに使おうて思ってたんじゃ」
と、そう言ってシワシワの手で札束を俺に握らせた、最後、俺の部屋から出るとき「頑張りんさい」って言って出てった。
それから俺、母さんにおばあちゃんのこと聞いたら、
「おばあちゃんね、あんたが産まれてからずっと年金コツコツ貯めてたみたいだよ。私も知らんかった」って。
マジ泣いたよ。
なんで金あんのに汚い服ばっか着てる意味とか、さっき俺の部屋で喋ったこととか思い出して、本当に泣いた。
もう、本当に頑張るから。今は肩を揉むことぐらいしかできんけど、絶対に大学に合格するから。
それと、俺は今日で2ちゃんねる卒業だわ。長い間、本当にお世話になりました。勉強がんばります ノシ
192:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:39:15.95 ID:BFHuN3Ow0
独身時代に人を殺してしまったこと。
仕事帰りの深夜に恐喝というか、強盗というかに因縁を付けられて殴られた。
やっとの事で組み付いてヘッドロックして動きを封じたら、ナイフで尻を刺された。
刺し殺されるという恐怖のあまり全力で首を絞めたら、すぐに相手が動かなくなった。
でも、恐ろしくて通報で駆けつけた警察官に引き離されるまで絞め続けていた。
傷害などの前科がある相手で、ナイフで刺されていたこともあり、
正当防衛にはなったが、嫁にも子どもにも一生言わない。言えない。
なんだか、沢山優しい書き込みを頂いていて、もっとめった打ちにされていると
思っていたので、驚いた。
いい年したオヤジなのに目から汁が出てしまった。
774さんが良い方に誤解してほめてくれているが、怖くて言えなかっただけだよ。
刺された尻の治療で入院していたら、当時付き合っていた彼女のご両親が見舞いに来て、
「人を絞め殺すような恐ろしい男に娘はやれない。わかってくれるよな」と、言われた。
とっても良くしてくれた優しいご両親だったので、わかりました、としか言えなかった。
だから、退院後もこのことは誰にも言えず、知っているのは親兄弟のみ、だった。
193:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:39:25.64 ID:BFHuN3Ow0
一昨日の夜に756の書き込みをして、その勢いで昨夜実家の母に当時の周囲の様子を尋ねた。
職場の上司や兄嫁の実家には最低限の情報は伝わっていたようだが、
皆知らぬふりをしてくれていた。優しい人たちだった。
驚いたのが、実は嫁さんがこのことを全て知った上で結婚してくれていたという事。
結婚前に実家に嫁さんを連れて行ったとき、母が全部話していた。
息子は捨てられるかもしれないが嫁さんのために言わなければ、と母は考えたらしい。
嫁さんは多少驚いた様子だったが、全てを聞き終わった後に、
「私が聞いたという事は秘密にして下さい。彼が知られたくないのなら知らない事にします。
でも、いつか安心して私に話してくれる日が来ると信じています」と言っていたらしい。
昨夜は子ども達を寝かしつけてから、あらためて事件のことを嫁さんに話し、
今まで黙っていたことを謝り、嫁さんに抱きしめられながら一緒に泣いた。
私はこの人と結婚して本当に幸せだと思う。
長文すいません。みんなありがとう。
194:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:40:08.05 ID:LX0TsV0cO
私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。
ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。
葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。
私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。
今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。
195:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:41:16.56 ID:LX0TsV0cO
俺ニートだからいつも昼過ぎまで寝てるんだけど、たまに朝早く目が覚めることがあってさ
ぼーっとしてたら母さんが部屋に入ってきて「おはよう」って言ってたのね
「おはよう」って返事したら、俺が起きてる事に気付いてなかったみたいで母さん驚いてた
そんな事が何回かあって、母さんは俺が寝てるのを知ってて、毎朝返事のない「おはよう」を言ってくれてる事に気付いた
たいした事じゃないんだけど、なんか凄い嬉しかった
真面目に生きようと思った
197:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:41:52.89 ID:qD9gUH9L0
493 名前:ノーブランドさん メェル:sage 投稿日:03/11/21 06:56
俺の家は貧乏だった。運動会の日も、授業参観の日さえも
オカンは働きに行っていた、そんな家だった。
そんな俺の15歳の誕生日、オカンが嬉しそうに俺にプレゼント
を渡してくれた。ミチコロンドンのトレーナーだった。
俺はありがとうと言いつつも、恥ずかしくて着られないな、と内心
思っていた。その夜考えていた。差し歯を入れるお金もないオカン、
美容院に行くのは最高の贅沢、手はかさかさで、化粧なんて当然
していない。こんなトレーナー買うくらいなら他の事に使えよ・・・。
そんな事を考えながら、もう何年も見ていない昔のアルバムを
見てみたくなった。若い時のオカンが写っている。
えっ!俺は目を疑った。それはまるで別人だった。綺麗に化粧をし、
健康的な肌に白い歯を覗かせながら笑っている美人のオカンがいた。
俺は涙が止まらなくなった。俺を育てる為に女を捨てたオカン。
ミチコロンドンのトレーナーを腕に抱き、その夜は眠った記憶がある。
それから少しばかり時は流れ、俺は高校卒業後の進路を考えなければ
いけない時期になっていた。大学進学はとっくに諦めていた。
学校で三者面談が行われた時、オカンが先生に向かって言った。
大学に行かせるにはいくらお金が掛かるのですか?
俺は耳を疑った。びっくりしている俺を横目に、オカンは通帳を
先生に見せて、これで行けますか?と真っ直ぐな眼で先生を見つめた。
それから俺は死に物狂いで勉強し、大学に合格することができた。
郷里を離れる際、オカンが俺に真っ赤なマフラーを渡してくれた。
学費を稼ぎながらの大学の生活は苦しくもあったが、マフラーを
見ると元気が出た。それから時は流れ、会計士になった俺は来年の
春、結婚する。そして生活を共にする、俺と最愛の妻と最愛の母とで。
なんとしても二人を守ってみせる。色褪せたトレーナーと
ほつれたマフラーを目を前にして俺はそう誓った。
サンキュー、オカン。これからもよろしくな。
199:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:43:44.65 ID:LX0TsV0cO
娘が6歳で死んだ。
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。
直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので
病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。
別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、
もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく
機械的に葬式をすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた
ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。
とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。
ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、
服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし
成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、
必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。
201:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:45:01.14 ID:BFHuN3Ow0
1
出会いって不思議だなあと思ったこと。フェイク入り。
長男大学生、二男三男高校生、四男息子と同い年の小二の家庭が
うちの向かいに引っ越してきた。
長男二男三男は金髪ピアスで、引っ越してすぐコンビニ前でたむろ、
四男は真夜中までその辺をうろうろしていて、これはやばいなと思った。
四男は人に近寄る子じゃなく、むしろ逃げる子だったんだけど、
不潔な身なりで物陰から様子をうかがい、見つかると逃げて、また物陰から…で、
真夜中でもやってるんでオバケと呼ばれていた。
大人にも子供にもやるんで、気味悪がって誰も公園で遊ばない。
午後八時くらいに、老夫婦の庭の物陰に四男が座り込んでいて、
老婦人がものすごい悲鳴を上げて警察が来たこともある。
町内会で親に注意しに行ったら、
「じゃあそっちで面倒見て。近所の助け合いでしょ」と話にならない。
警察と児相に連絡しても動かないから、遠巻きにしていた。
202:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:45:11.14 ID:BFHuN3Ow0
2
放置家庭が来て二か月ちょっとくらい、息子の遠足の前日の夕方に、
うちに長男が突撃してきて、
「ガキのリュックと、レジャーシートと、弁当箱って、どこ売ってるんすか?」
と聞いてきた。
インターホンで対応してたんだけど、片手に息子と同じ遠足のしおり、
片手に携帯で長男は一生懸命メモとってた。
大体の予算も教えたら、「あざっす」と帰って行った。
遠足が終わった翌日に、お菓子が入ったコンビニ袋を持って
「チビを遠足に行かせてやれたっす。まじ助かりました」
とあいさつに来た。
それからもときどき上の三人が、学校用品はどこに売ってるのか、
子供服はどこに売ってるのか、雑巾持たせるってどうするのかと聞きにきて、
教えると三人ともコンビニ菓子を持ってお礼に来た。
夏休み前には四男の徘徊もなくなっていた。
203:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:45:23.69 ID:BFHuN3Ow0
3
上三人と二言三言話すようになって、上三人は母の連れ子、四男は父の連れ子の再婚家庭で、
母は四男が継子だから一切無視で家にも入れず、
父は実の息子はかわいいけど、義理でも女親が何とかするだろうで何もやらず、
上三人が見かねて世話してると聞いた。
実際に遠足の時は、長男が四男連れて車でリュックを買いに行き、
二男と三男が早朝にコンビニで弁当やサラダ、お菓子を買ってきて
買ってきた弁当箱に詰めなおして送り出したそうだ。
二男が遠足のしおりを見つけて、四男に聞いてみたら、
四男が用意してたのが、茶色いしみがついた父のいらない手提げ鞄に、
柿ピーと水道水入りペットボトル、シート代わりのビニール袋だったそうだ。
上三人は母子家庭でわりとネグレクトで育ったらしくて、
普段から子供だけでお菓子やファストフードを食べて育ち、
母に恋人ができれば家を追い出されて、
遠足はボロボロのリュック、二、三本のウインナーに白飯の弁当、
お菓子なし、水筒なし、シートもなしで先生に分けてもらった思い出から
いてもたってもいられなかったそうだ。
その後は、夏休みは上三人が、夏休みの宿題の絵のために
四男を動物園や水族館に連れて行ったり、
冬には行きにつんつるてんのコートを着て三男と出かけた四男が、
ちょうどいいサイズのコートを着て、服の入った袋を持って
二人で肉まん食べながら帰ってきたりしてた。
数年たった今では、上三人は落ち着いた髪の色で、ピアスもなくなって、
すっかり普通の兄ちゃんになり、四男も優等生寄りの普通の子。
この前、引っ越してきた当時は眉がなかった二男が、
四男がいなかったら自分は極道になってたとしみじみしていた。
204:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:45:47.15 ID:qD9gUH9L0
【勝ち】自分の内定先VS親の勤務先【負け】
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/recruit/1082718206/
200 名前:就職戦線異状名無しさん 投稿日:04/05/05 16:04
【オレ】 パイロット訓練生
【母親】 パチンコ屋両替所パート
【判定】 ここまで一人で育ててくれた母の圧勝。
楽させてあげたい。
205:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:46:56.25 ID:LX0TsV0cO
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。
俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。
206:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:48:26.69 ID:LX0TsV0cO
20年前ぐらいの前の話
当時俺の家はいわゆる片親ってやつで、すげぇー貧乏だった。
子供3人養うために、かぁちゃんは夜も寝ないで働いてた。
それでもどん底だった・・・
俺は中学卒業してすぐ働きに出た。
死ぬほど働いた。遊んでる暇なんてなかった。
1年ぐらいして同級生に久しぶりに会った。
飯食いに行こうって話になった。
メニューの漢字・・・読めなかった。
読めたのは、一つだけカタカナで書いてあった「オムライス」だけ。
同級生は「焼きそばとごはん」って注文した。
無知な俺は「じゃあ俺はオムライスとごはん」って店員に言った。
店員、固まってた。
クスクスって笑い声も聞こえてきた。
そしたら同級生
「さっきのキャンセルね!!俺もオムライスとごはん!!」
・・・
店出た後、同級生が一言
「うまかったな」って言った。
「仕事がんばれよ」って言ってくれた。
泣けてきた
心の底から人に「ありがとう」って思った。
そいつは今でも親友です。
207:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:49:34.36 ID:qD9gUH9L0
295 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2004/02/28(土) 20:56
うちのは40代前半
オイラの原因で子供ができなかった
夢みるらしいんだよな
妊娠した、とか赤ちゃんに授乳してるとか、そういう夢
寝ぼけて「双子だって先生が言ったよ」とか言うんだよ
生殖医療を受ける時間も金もなかった
母親にしてやりたかったな
209:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:52:09.77 ID:qD9gUH9L0
834 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:04/07/05(月) 17:27 ID:6d6yjM53
いろんな苦しみもあるだろう、いろんな悩みもあるだろう。
だからといって暴走族に入ってシンナー吸ってそれで良かったかい。
悩みや苦しみ消えたかい、むなしさは残らないかい。
目を閉じてごらん君がまだ幼かった頃の父さん、母さん、姉さん、そして友達の笑顔、見えてこないかい、
耳をすましてごらん、ほら懐かしい人達の声が聞こえるだろう、素直になろう心洗おう、どうだ体が熱くなってこないか、
まだまだ世の中、捨てたもんじゃないよ、逃げてはだめだ、ぶっつかるんだ若人らしくスポーツをしないか、
空手でもして汗を流さないか。
自分の個性を生かすんだ、自信を持とう君の未来の為に、さあ心機一転だ、ゴールはまだ見えないけれど君の頑張りしだい、
次世代を君にまかすのよ栄光のゴールは確実に近ずいている。
悩みや、苦しみ気軽に相談に来いよ共に前向きに打破しようよ。
枚方市空手道連盟 賢友流空手道
氷室泰心館
210:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:52:09.41 ID:BFHuN3Ow0
218 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2005/11/23(水) 16:59:06 ID:g6qFqKRF0女の子「・・・こんないい天気だと外に散歩行きたいですね」
父「伏せ目がちで独り言のように言っていたが、それを聞いた途端
お父さんすごく落ち着いていられなくて、
女の子を無理やりおんぶして外に飛び出しちゃったんだよ」
父「今思えば既に彼女に心底惚れていたんだろうな・・・俺は」
息子「えと・・・もしかしてその女の子がお母さん・・なの?」
父「ああ、自分で怪我させといて身勝手すぎるよな、
それ以降も病院行くたんびに勝手に連れ出してた(赤面」
息子「でも父さんの背中で寝てるお母さんの顔、すごく幸せそうだよ」
父「ははは、あー、でななんかそれ以来父さんのおんぶが大好きみたいでな、
もうとっくに足直ってるのにすぐせが まれる・・・
重いしいい年だし周りの目が恥ずかしいったりゃありゃしない」
息子「ふふっ(・・・・でもお父さんもおんぶする時満更でもなさそうなんだよなあw)、
さてと、先に家帰っとくねー?」 家が近くなり走り出す息子
父「ふう・・・今日はあの日の夕焼け空に似てるせいかついつい昔話しちゃったな」
母「・・・そうですねぇ、ここから見る夕日・・・とっても綺麗でした」
父「!?・・・・・ちょっ、起き・・・」
母「あー、そういえば多分私の方が先に惚れてたと思いますよ?」
父「・・・!?」
母「・・・ふふふっ^^」
211:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:53:20.36 ID:LX0TsV0cO
R君が小5の頃、R君のお母さんが病気で亡くなった。
何でかは忘れてしまったけど。
R君はいつも活発な子で、学校ではムードメーカーみたいなタイプだった。
だから友達みんなもR君にいつも励まされたりしてるから
R君の事、励ましていこう、と思ってた。
だけどR君は葬式のとき全くもって泣いてなかった。
むしろ、笑ってた。
大爆笑してた。 お母さん死んだし~、うけんねって。
みんなR君が頭おかしくなっちゃったんだ、と思った。
違った。
みんなが、心配するから。
みんなの前で泣いたらみんな気まずくなっちゃうから、迷惑かかるから
笑った。
あとから友達の話。
葬式のあとR君はお父さんと二人ずっとずっと
泣いていた。
今でも、彼は彼のお母さんが居ない事を知らない人にお母さんの話を
されてもワラってる。
実際、転校してきた子に言われていた。
凄い豪華だね。 そのお弁当、全部お母さんの手作り?
母さんじゃない、自分だよ。
お母さんは作ってくれないの?
うん。
何で?
作れないからかな。
何で作れないの?
ちょっと遠くに住んでるんだ。
R君より強い人を見たことがない。
212:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:54:15.48 ID:uOFrQbG6O
寝起きはダメだ…すぐ泣く
でもすっきりした。色々と貯まってたんだなぁ
コピペ張ってくれてる人ありがとう
今日も頑張ってくる
213:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:56:18.92 ID:BFHuN3Ow0
>>212
trs
8 名前:恋人は名無しさん 投稿日:2005/11/15(火) 22:31:19 会話の最初に”聞いてくれる?”とか”聞いてよ”って付けるのが口ぐせの
幼馴染がいて、その子とは幼稚園から中学校まで一緒だった
その子は女子校に入ったから高校は別になったけれど、その後もなんとなく
友達づきあいは続いてて、口ぐせも相変わらず
「聞いてくれる?今日担任がさぁ」
「ちょっと聞いて、相談があるんだけどね」
「聞きたい!ね、数学得意だったよね?」
みたいな感じで子供の頃と同じ調子
それは告白された時も同じだった
「あーえっとー、ちょっと聞いて下さい」
なんで敬語?とか思いながらも続きを促したら
「今さらっぽいんだけど、彼女にしてくんないかなぁ、なんて思うので」
いつもは歯切れの良い話し方なのに、その時はさすがに緊張したみたいで、
全然似合わない動揺っぷりが可愛いくて、俺もマネした
「俺も彼氏にしてくんないかなぁ、なんて思うのです」
「うー、嬉しいけどなんかムカつく」
あれはちょうど、高校一年の今頃だった
かれこれもう8年経つけど、口ぐせは全然変わらない
214:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 06:56:56.22 ID:LX0TsV0cO>>212
trs
8 名前:恋人は名無しさん 投稿日:2005/11/15(火) 22:31:19 会話の最初に”聞いてくれる?”とか”聞いてよ”って付けるのが口ぐせの
幼馴染がいて、その子とは幼稚園から中学校まで一緒だった
その子は女子校に入ったから高校は別になったけれど、その後もなんとなく
友達づきあいは続いてて、口ぐせも相変わらず
「聞いてくれる?今日担任がさぁ」
「ちょっと聞いて、相談があるんだけどね」
「聞きたい!ね、数学得意だったよね?」
みたいな感じで子供の頃と同じ調子
それは告白された時も同じだった
「あーえっとー、ちょっと聞いて下さい」
なんで敬語?とか思いながらも続きを促したら
「今さらっぽいんだけど、彼女にしてくんないかなぁ、なんて思うので」
いつもは歯切れの良い話し方なのに、その時はさすがに緊張したみたいで、
全然似合わない動揺っぷりが可愛いくて、俺もマネした
「俺も彼氏にしてくんないかなぁ、なんて思うのです」
「うー、嬉しいけどなんかムカつく」
あれはちょうど、高校一年の今頃だった
かれこれもう8年経つけど、口ぐせは全然変わらない
私、ウエディングプランナーをしてて沢山の幸せのお手伝いをさせてもらったけど
忘れられない結婚式があります。
新婦は私より大分年下の10代で可愛らしい子、新郎は彼女より20歳ほど年上の優しい方でした。
年の差カップルは珍しくないけどこれが一筋縄では行かなかったのよね…。
新婦はお父様に育てられて、そのお父さんが「結婚は勝手にしろ。でも式には出ない」。
でも2人は「みんなに祝ってほしい」と。
ええ、頑張りましたよ。新婦のご実家に2人と一緒に何度も行きました。
頭も何回下げたかわかんない。
「お前は関係ない」と言われました。その通りです。でも私は2人の結婚式を2人が望むものに、
最高の1日にしたかった。それが私の仕事。
意見や愚痴がどっちも私に集まってきて正直キツかった。
面倒くさいと思ったこともある。でもある日「お前一人と話したい」と電話がかかってきたんです。
すごい怖かったよ。何を言われるんだろう?と。
でさ、約束した日に指定されたところに行ったらさ、お父さんいつもは顔も話し方も怖いんだけど、
その日はすごく大人しく小さな声で、娘さんが生まれた日の話、小学校の運動会で張り切ったら「お父さん恥ずかしい」と言われた話、中学の頃は話し掛けてもろくに答えてくれなかったのに
娘さんが修学旅行から帰ってきた日に仕事から帰ったらテーブルにお土産の携帯ストラップが
置いてあって本当に嬉しくて今でも付けてること、
「結婚したい人がいる。」と初めて言われた日のこと…。
色々話してくれました。
「娘が本当に可愛い。娘が選んだ男に間違いはないと思ってる。でも気持ちの整理がつかない」
って。泣いたね、あれは。
最後にお父さん、恥ずかしそうに
「結婚式ってどんな服を着ればいいんだ?もう何年も服を買ってないからわからないんだ」って。
215:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 06:57:03.76 ID:BFHuN3Ow0
211 :素敵な旦那様 :2005/04/06(水) 10:51:23同級生と中華街に行くとか言ってた日、家の前まで来るとイイ匂い。
ウキウキしながらドアを開けたら、にっこり笑ったカミさんが
ホンコンソース焼きそば(知ってる?)のキャラみたいなカッコで
ソデに手を入れて
「アぃヤー、お帰りアルヨー!」
ヒザから崩れ落ちたね。ナマズヒゲまで付けてるし。
そのヘンな服は小ネタのためにわざわざ買ったのか。
「そうアル。アナタ帰り遅いから何度かスに戻って大変だたアルネー」
「あーパパアルー」娘もかよ!
・・・・バカだこいつ、バカすぎる。
あまりのバカさ加減に、涙が出た。
ああ俺、結婚して良かったなあ。
ホントに良かったなあ。
217:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 07:00:31.66 ID:BFHuN3Ow0
868 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/12/24(日) 14:08:59 0LCzKRv3正月明けから働きに出るという嫁
しかし、嫁は、元々地味な女だから地味な服しか持っていない
子供を見ておくので、きれいな服でも買って来いと言って買い物に行かせた
嫁が帰ってきたから、どんな服を買ってきたのか見てみたら、子供服ばかり・・・ ('A`)
てめーの服を買いに行けと言ったんだよ!!
218:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:00:35.27 ID:LX0TsV0cO
夜、娘さんに電話してその日のことを話したら娘も新郎も号泣。私も号泣w
数日後、娘と私とお父さんとで服を見に行ったよ。
で、結婚式は無事に開かれて大成功!かと思ったんだけど、
ブーケトスで娘がブーケを投げない。
??? なにこっち向いてきょろきょろしてるの?と思ってたら娘、すたすたと歩いてきて
私に手渡しでブーケをくれたの。まわりの人たちは拍手。
どうやらお2人とお父さんは結婚式に至るまでのことや私のことを参列者に話してたみたい。
もう・・・本当にあれは嬉しかった。涙が止まらなかった。
今でもあの時の体の震えと彼女の笑顔が忘れられない。
正直、出過ぎた真似なんじゃないか?とか自分のやってることは正しいのか?とか
考えてしまうこともあったんだけど、
たくさんの人が「いい結婚式だった」と言ってくれたから良いや。もうそれだけでいい。
今年、2人から「赤ちゃん生まれました」の年賀状が届いたよ。
赤ちゃんを抱いたデレデレのお父様の写真付きで。
219:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:00:45.95 ID:qD9gUH9L0
741 大人の名無しさん 05/02/13 00:42:57 ID:Ou9USYIM
30代も佳境だってのに、結婚もせずろくでもない暮らしをしてる俺には、
まじめに大学を出て、誠実に恋愛をして、幸せな結婚をした、
そしてバカ兄貴思いの弟がいる。そしてその弟に待望の子供が1月15日に産まれた。
18トリソミーってなんだよ神様
220:1/4:2011/04/19(火) 07:01:34.62 ID:qD9gUH9L0
その昔、大学の同級生の女の子にがりがりに痩せた子がいた。
細身の娘が好みだったのでお声掛け。程なく恋仲に。
あるとき、
「心臓に大穴が空いていて、苦しい。子供も無理。諦めるなら今のうち。」
と告白された。本人は死ぬ気だったらしい。
迷うことなく、恋人のまま。
出来る手術があるのなら、と方々の心臓外科を探しまくってなんとか手術に
こぎ着けた。
どきどき。
221:2/4:2011/04/19(火) 07:02:53.48 ID:qD9gUH9L0
成功した。うれしかった。術後も良好。でも、子供は無理。
受胎しないだろう、と言われた。
当然、親同士は結婚に猛反対。オレの親は勿論、向こうの両親も。
無視。
無視し続けてもなを、説得も続け、6年掛けてやっと挙式/入籍。
10年後、余程経過が良かったのか、妊娠が発覚。
主治医に相談したら、妊娠できたのなら出産は問題ないだろう、
「挑戦しましょう。」
おまい、オレの女房だぞ、オレの子供だぞ、大丈夫なんだろうなぁ。
どきどき。
222:3/4:2011/04/19(火) 07:03:36.14 ID:qD9gUH9L0
無事出産。3,000g 元気な男の子。
あまりに嬉しくて、2寸ほど、宙に浮いていた。
半年後、かみさんに似たような心臓障害発覚。成長しないだろうってどういう事?
「様子を見ながら出来るものなら手術をしましょう。」
かみさんの執刀医の紹介で小児心臓外科の先生にお願いする。
十年待った一粒種、殺すなよ。頼むから。
どきどき。
224:4/4:2011/04/19(火) 07:04:20.84 ID:qD9gUH9L0
成功した。これ以上ないくらい。
あれから15年。
ころころ太ったかみさんが居る。
「うぜえんだよ、親父。」憎まれ口を聞く、ちょっと小振りな男子高校生が居る。
さえないサラリーマンの普通の一家がある。
かみさんにも、せがれにも言わないが、
幸せを噛みしめている。
223:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:03:38.51 ID:LX0TsV0cO
一年前、私の婆ちゃんが亡くなり、日用品は実家の押入れに直しました。
一ヶ月前の事です…
実家の部屋で夜中、音楽を聞いていると母親がノックをしてきました。
「どこからかアラーム音が聞こえる」
と言われ音楽を消すと、
ピピピピピ…
確かに微かにアラーム音が鳴っています。寝室とは逆方向から聞こえるので音を辿ってみると、押入れに着きました。
開けてみると婆ちゃんが生前に使っていた目覚まし時計が鳴っていました。午前2時30分です。
母親が
「愛用の品を粗末に押入れに放り込んでるから怒ってるのかな?」
と言うので二人で時計を仏壇に添え、線香を焚きました。その時私は『ネズミがスイッチ踏んだんだろう』ぐらいに思ってましたが、翌朝、アラームの意味を知りました。
翌朝、眼を覚ますと仏壇の前で母親が泣いていました。どうしたか尋ねると、
「朝早くにね、電話があって、Nオバサン(婆ちゃんの妹)が、亡くなったって。亡くなった時間が遅かったから、朝一に電話がきたの」
ピンときました。
私「もしかして、亡くなった時間って午前2時30分じゃ…?」
母「そう、アラームの鳴った時間と一致してるの。もしかしたら、婆ちゃんが妹とコッチでちゃんと会ったよって私たちに教えてくれたと思うの」
私と母親は随分泣きました。婆ちゃんのやさしさに包まれている、と感じました。
それ以来、何十年か先、私が死んだら婆ちゃんが迎えにきてくれる、と考えると死に対する恐怖が薄れ、精一杯生きようと思うようになりました。
225:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:05:25.56 ID:4JDRoxpVO
俺あんま勉強得意じゃないけどさ、今日からでも必死で勉強してみようと思えた。
ありがとなお前ら。
232:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 07:14:22.95 ID:BFHuN3Ow0
>>225
これからの日本を支えてくのはお前ら学生やぞ
941 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2005/11/10(木) 21:14:15 ID:jyevm3f50中二の時、大阪から転入してきたDくん。
妙に気が合っていろんな話をした。
でもからかわれるのがいやで話をするのは放課後。
場所は屋上にでるドアの前だった。
汚いマットに座って毎日下校時間までいろんな話をした。
夏休みも私の家の前や近くの河原でほぼ毎日話しをした。
兄が”お前ら付き合ってるのか?”って誤解するくらい会ってた。
友達の話や好きな人の話、他愛のない話ばかりだったけど
とても楽しくて大切な時間だった。
3学期になってからDくんはボーッとする事が多かった。
心配だったけど聞かれたくないようだったので何も聞かなかった。
2月のある日、いつものようにマットに座って話をしていたら
Dくんが突然抱きついてきた。
抱きついたまま声を殺して泣いていた。
びっくりしたけどしばらくそのままでいた。
そしてDくんはいきなり立ち上がって
「今日はもう帰るわ、バイバイ」といって階段を下りていってしまった。
そしてDくんは何もいわずに次の日に転校してしまった。
夜逃げ同然でこっちにきて、ここにもいられなくいなって夜逃げした、と
Dくんの近所に住んでいた子が教えてくれた。
あの切ない泣き方は今でも忘れられない。
226:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 07:05:33.02 ID:BFHuN3Ow0>>225
これからの日本を支えてくのはお前ら学生やぞ
941 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2005/11/10(木) 21:14:15 ID:jyevm3f50中二の時、大阪から転入してきたDくん。
妙に気が合っていろんな話をした。
でもからかわれるのがいやで話をするのは放課後。
場所は屋上にでるドアの前だった。
汚いマットに座って毎日下校時間までいろんな話をした。
夏休みも私の家の前や近くの河原でほぼ毎日話しをした。
兄が”お前ら付き合ってるのか?”って誤解するくらい会ってた。
友達の話や好きな人の話、他愛のない話ばかりだったけど
とても楽しくて大切な時間だった。
3学期になってからDくんはボーッとする事が多かった。
心配だったけど聞かれたくないようだったので何も聞かなかった。
2月のある日、いつものようにマットに座って話をしていたら
Dくんが突然抱きついてきた。
抱きついたまま声を殺して泣いていた。
びっくりしたけどしばらくそのままでいた。
そしてDくんはいきなり立ち上がって
「今日はもう帰るわ、バイバイ」といって階段を下りていってしまった。
そしてDくんは何もいわずに次の日に転校してしまった。
夜逃げ同然でこっちにきて、ここにもいられなくいなって夜逃げした、と
Dくんの近所に住んでいた子が教えてくれた。
あの切ない泣き方は今でも忘れられない。
どきどきは珍しくグッドエンドだよね
人が死なないコピペはほんのりできるから好き
851 恋人は名無しさん 2006/06/09(金) 01:06:28アイス食べたいとか言ったら「そんなもんねぇ」って言われたのでふて寝してみたら
「そんなことでぶーたれてんじゃねぇぞコノヤロー」
と言いつつ私が寝たのを確認して外に出てった。
コンビニでアイス買って帰ってきた。
目が覚めたふりしたら
「あっ、もしかしたらアイスあったかもしんねぇ。一応探してみ。」
泣きそうになりました。
227:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:06:07.60 ID:LX0TsV0cO
妻と別れてからも 月に一度だけ子供達に逢わせてもらってました。
毎月その日が待ちどうしくて、今度はドコに連れていってあげようかなぁ?
何を食べたいかなぁ?など思い考えながら逢える日を心待ちにしていました。
けれども 逢えた日には必ず別れなければならない時間がやってきます。
迎えにきた元嫁の車に乗せ「また遊ぼうねぇ」と 声をかける度に 娘は幼いながらに泣いてはいけないと思ってたのでしょう…
目にいっぱいの涙をためながら、気丈に手を振ってくれました。
車が見えなくなるまで私も目一杯 涙が溢れてくるのを我慢し手を振り続けていました。
もう何年も前の話ですが、今でも すまない気持ちでいっぱいです。悲しい思い出ですが
今でも月に一度 逢わせてもらてるので 悲しい思いをさせた分 楽しい思い出を目一杯作れるように 子供孝行していきます。
228:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:07:58.11 ID:qD9gUH9L0
39 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:03/10/04 22:23 ID:Eumxd1vJ
あなたの奥さんは処女でしたか?もしも違うのなら想像してみてください。
妻の上を通り過ぎて行った幾人もの男たちのことを。
太いチ○ポを入れられ、男の背中に手を廻し繧ヲていた。
アナルまで見られながら尻を掴まれバックで犯されていた。そうは思いませんか?
あなたがキスをした奥さんの口唇・舌は他のチ○ポを舐め回していた汚れた口唇。
奥さんにセックスを仕込んだ男たちのことを考えると胸が熱くなりませんか?
怒りを感じませんか?
あなたの奥さんは、あなたと出会った時に既に中古品でした。
これは、あなたの奥さんの処女膜を破った男のみならず、
あなたが奥さんに出会う前にあなたの奥さんを抱いた他の男たちのすべてが
あなたと出会う前の若く状態の良い肉体を幾人もの男達が弄んでいたのです。
あなたは、その何人もの男たちに調教され、その男たちの唾液や汗や精液を体細胞に浸透させられ、
しかも老化が既に進行してしまっていた中古女を奥さんに貰ったのです。
ひょっとしたら、中絶も経験しているかもしれません。
あなたの奥さんは、他の男の子供を体内に宿していたのかもしれないのです。
あなたは、一人の男として、一生の伴侶である妻が中古女であった事が悔しくありませんか?
悔しさで胸が張り裂けそうになりませんか?
あなたは、それでも、今の奥さんを愛せますか?
40 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:03/10/04 22:34 ID:P/AsNmFl
>>39
うちの奥さんは幼児の頃に変質者に子宮を破損されて
子供産めないしセクースも出来ないけど、愛してるよ。
229:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:10:17.17 ID:LX0TsV0cO39 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:03/10/04 22:23 ID:Eumxd1vJ
あなたの奥さんは処女でしたか?もしも違うのなら想像してみてください。
妻の上を通り過ぎて行った幾人もの男たちのことを。
太いチ○ポを入れられ、男の背中に手を廻し繧ヲていた。
アナルまで見られながら尻を掴まれバックで犯されていた。そうは思いませんか?
あなたがキスをした奥さんの口唇・舌は他のチ○ポを舐め回していた汚れた口唇。
奥さんにセックスを仕込んだ男たちのことを考えると胸が熱くなりませんか?
怒りを感じませんか?
あなたの奥さんは、あなたと出会った時に既に中古品でした。
これは、あなたの奥さんの処女膜を破った男のみならず、
あなたが奥さんに出会う前にあなたの奥さんを抱いた他の男たちのすべてが
あなたと出会う前の若く状態の良い肉体を幾人もの男達が弄んでいたのです。
あなたは、その何人もの男たちに調教され、その男たちの唾液や汗や精液を体細胞に浸透させられ、
しかも老化が既に進行してしまっていた中古女を奥さんに貰ったのです。
ひょっとしたら、中絶も経験しているかもしれません。
あなたの奥さんは、他の男の子供を体内に宿していたのかもしれないのです。
あなたは、一人の男として、一生の伴侶である妻が中古女であった事が悔しくありませんか?
悔しさで胸が張り裂けそうになりませんか?
あなたは、それでも、今の奥さんを愛せますか?
40 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:03/10/04 22:34 ID:P/AsNmFl
>>39
うちの奥さんは幼児の頃に変質者に子宮を破損されて
子供産めないしセクースも出来ないけど、愛してるよ。
私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。
だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかは
お誕生日とクリスマスの年二回しか買ってあげてないんだ。
息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」って
夫婦できいたとき、息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。
「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」
ごめんね。
あなたに弟妹をあげられないお母さんでごめんね。
子宮が無くてごめんなさい。
ごめんなさい、許してね。
頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して
息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。
息子はビックリして「お母さんを泣かせてごめんなさい。」って泣きだした。
親としてなってないよね、私。
息子を傷つけたよね。
本当にバカだった。
230:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:10:23.18 ID:qD9gUH9L0
もう亡くなった大正生まれのオイラのばあちゃん、13歳の時に親に売られて満州で売春婦してたそうな。
その時に陸軍の整備兵で好き者やった兵隊さん(オイラのじいちゃん)に
「俺の嫁になるなら身請けする」って言って、部隊の工具や備品をパクって売って貯めたお金で身請けして嫁にしたそうな。
(じいちゃんは否定)
終戦迎えて内地に帰って…じいちゃんは小さいながらも某牛乳メーカーの役員まで出世してそこそこ財を作った。
じいちゃん、何歳になっても女好きが治らなかったが、
ばあちゃんはいつも「私はじいちゃんがいなかったらボロボロになって死んでたやろうからじいちゃんには何も言えん」
って泣きながら笑い飛ばしてた。
しかし、そんなじいちゃんだが、女遊び以外はばあちゃんにむっちゃ尽くしてた。
ばあちゃんが何かのテレビ番組で綺麗な景色見て「いいなぁ…」ってボソッと言ったら、
2、3日後にはじいちゃんが「おい!旅行行くぞ!」ってばあちゃんが言ってたところに大名旅行に連れて行ったり…
ばあちゃんが、何気なく肩を自分でトントンしたら、必ずじいちゃんがすぐにばあちゃんの後ろに回って肩叩きしたり…
ばあちゃんの誕生日には必ずウェディングケーキばりのでかいケーキを買ってきて、
毎回「こんなでかいの誰が食べるのよ#」ってばあちゃん怒って…
晩年、ばあちゃんが「わたしゃ女郎屋の女でよかった。じゃないとじいちゃんと逢えなかった…」
って話をオイラに言った2日後、昼寝したまま綺麗な寝顔のまま永眠したなぁ…
スレチやけど、ふと思い出した
携帯から長文スマソ
231:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:13:29.46 ID:LX0TsV0cO
あなたは今どこにいますか?
私は此処で生きています
あなたの元へ行こうとも考えたけど、私はあなたがいかに優しくて
頼りがいのある人だったかを子供に伝えてから
あなたの元へ行きます
何年後、何十年後になるか分かりませんが
もしまた巡り逢えたら
今度こそ二人で永遠の愛を探しましょう
あなたの子供が私に宿っていたことを告げられなかったことが唯一の後悔ですが…あなたの名前をつけましたよ
あなたに目元がそっくりです
だけど私は妻ではないのですね
あなたの傍に行った時、あなたの妻だと名乗ってもいいですか?
寂しいです
233:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:14:38.91 ID:LX0TsV0cO
最近のあたしの話。
疲れていた。
平均睡眠時間4時間。本当に疲れていた。
出たくて出た実家。
帰る訳にはいかないし、帰りたくなかった。
その時母から電話がきた。
取り留めのない話をしながら、ふと、母が言った。
「頑張らなくていいんだよ。」
泣き声が聞こえないように声を押し潰しながら、解ったよと言って電話を切った。
あたしは声を出して泣いた。
わんわん泣いた。
泣き止んで、飲みかけのビールを一気に飲み干して、布団に入った。
明日も頑張ろう。明日も頑張ろう。
そう強く思い、ゆっくり眠った。
234:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:17:49.24 ID:LX0TsV0cO
交通安全週間のある日、母から二枚のプリントを渡されました。
そのプリントは、交通事故についての注意などが書いてあり、
その中には実際にあった話が書いてありました。
それは交通事故で加害者の立場で亡くなった人の家族の話でした。
残されたのはお母さんと子供たち、上の子が小学二年生、
下の子が五歳の男の子の兄弟です。
この人たちは、事故の補償などで家もなくなり、
土地もなくなり、住む家もやっとのことで四畳半のせまい所に
住めるようになりました。
お母さんは朝6時30分から夜の11時まで働く毎日です。
そんな日が続くある日、三人でお父さんのいる天国に行くことを考えて
しまっていました。
(以下、プリントから)
235:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:18:00.47 ID:qD9gUH9L0
167 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [] 2009/12/25(金) 09:20:15.41 ID:/SOqYFy60
イヴの夜に両親不在の実家に妹の彼氏が来て
空気読んで「俺予定あるから」って言って外に出て
当然予定もないし、友達いないし
漫喫で泊まろうと思ったら財布無くて
財布とりに家帰ったら
鍵かけられてて、家の電気消えてて、妹と彼氏が確実にギシアンしてて
大して厚着もしてないのにこの寒空の下、とにかく朝になるまで時間つぶしたくて
でもリア充、DQN共の巣窟の駅前には行く勇気も金も行動力もなくて
誰にも見つからないように近所の小山を歩き回って、職質受けた挙句
結局、事後であろう午前3時頃に家に帰ってきて
妹と彼氏がギシアンして満足したであろう我が家の庭のエアコンの室外機に寄り添って
人が作り出した文明の利器の暖かさに触れて
昨日初めて優しくされた気がしながら夜を明かした、イヴの夜
199 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [] 2009/12/25(金) 09:47:08.75 ID:/SOqYFy60
晩飯は妹と外食するつもりだった
それに両親不在だったので昨日は少量のお菓子以外にまともな飯も食ってない
腹すいたときは昼に食ったハバネロの粉が爪の間に残ってる気がして
一人で指チュパしながら山の中徘徊してた
203 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [sage] 2009/12/25(金) 09:48:47.98 ID:S0YCb6CS0
>>199
もういい・・・・・・っ!
休め・・・・・・っ!
237:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:19:16.18 ID:LX0TsV0cO
朝、出かけにお兄ちゃんに、置き手紙ををした。
「お兄ちゃん、お鍋にお豆がひたしてあります。
それを煮て、今晩のおかずにしなさい。お豆がやわらかくなったら、
おしょう油を少し入れなさい。」
その日も一日働き、私はほんとうに心身ともにつかれ切ってしまった。
皆で、お父さんのところに行こう。私はこっそりと睡眠薬を買ってきた。
二人の息子は、そまつなフトンで、丸くころがって眠っていた。
かべの子供たちの絵にちょっと目をやりながら、まくら元に近づいた。
そこにはお兄ちゃんからの手紙があった。
「お母さん、ぼくは、お母さんのてがみにあったように、お豆をにました。
お豆がやわらかくなったとき、おしょう油を入れました。
でも、けんちゃんにそれをだしたら、「お兄ちゃん、お豆、しょっぱくて食べれないよ。」
と言って、つめたいごはんに、おみずをかけて、それをたべただけでねちゃった。
お母さん、ほんとうにごめんなさい。でもお母さん、ぼくをしんじてください。
ぼくのにたお豆を一つぶたべてみてください。
あしたのあさ、ぼくにもういちど、
お豆のにかたをおしえてください。でかけるまえに、ぼくをおこしてください。
ぼく、さきにねます。あした、かならずおこしてね。
お母さん、おやすみなさい。」
目からどっと、涙があふれた。
お兄ちゃんは、あんなに小さいのに、こんなに一生懸命、生きていてくれたんだ。
私は睡眠薬を捨て、子供たちのまくら元にすわって、お兄ちゃんの煮てくれた、
しょっぱい豆を涙とともに一つぶ一つぶ、大事に食べました。
238:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:21:15.90 ID:LX0TsV0cO
爺ちゃん所の犬は空気読めない
子犬の時から猫に前足で頭を押さえつけられてた、
バカな奴だ
大きくなっても「遊ぼうよ~」みたいに近づいて
良く老齢の猫に邪魔臭そうの頭押さえつけられてた、
ほんとバカな奴だ
猫が腎臓ダメになって、殆ど動けなくなって
そこに頭を低くして犬がゆっくり近づいて、
やっぱり頭を押さえつけられてた
その日の夜に猫は死んだ
犬は2.3日ご飯を食べなかったそうだ、
何処までもバカな奴だ
239:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 07:22:45.97 ID:BFHuN3Ow0
289 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/04/05(水) 02:24:50 ID:8Io/GpJ8Oたまごぼーろが大好きで「むふー!!」と雄叫びをあげながら、一粒ずつ大事に食べる娘。
かわいくてたまらないけど、もうパイよりオヤツなのかな…と少し淋しい。
ぼーろを食べてる娘の隣でためしにパイを出してみた。
ぼーろを持ったまま娘、突進!!パイにかぶりつき「むふー!!」と一言。
嬉しくて涙がボロボロ出た。涙で濡れる娘、パイから口をはなさず不思議そうに私の顔を見上げる。
あとどれくらいこの幸せを感じられるのかわからないけど、母ちゃんこの幸せ忘れないぞ!
240:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:24:15.65 ID:LX0TsV0cO
俺が小学校5年生のとき、寝たきりで滅多に学校に来なかった女の子と同じクラスになったんだ。
その子、たまに学校に来たと思ったらすぐに早退しちまうし、最初はあいつだけズルイなぁなんて思ってたよ。
んで、俺の家、その子の家から結構近かったから俺が連絡帳を届ける事になったんだ。
女の子のお母さんから連絡帳を貰って、先生に届けて、またお母さんに渡して…。それの繰り返し。
なんで俺がこんな面倒臭い事しなくちゃいけないんだ!って、一人でブーたれてたのを良く覚えてる。
そんなある日、俺何となくその子の連絡帳の中を覗いてみたんだ。
ただの興味本位だったんだけど。
連絡帳にはその女の子のものらしい華奢な字で、ページ一杯にこう綴られてた。
『――今日もずっと家で寝てました。早く学校に行きたいです。
――今日は窓際から女の子達の笑い声が聞こえてきました。
…学校に行けば、私も輪に入れるのかな…』
ショックだった。
学校行かないのって楽な事だと思ってたから。
ハンデがある分、ひいき目にされて羨ましいって思ってたから。
でも彼女の文章には学校に行けない事の辛さ、普通にみんなと遊びたいって気持ちに溢れてて、なんだか俺、普通に毎日学校に通ってんのが申し訳なくなって。
だから、連絡帳にこっそり書き込んだんだ。
「いつでも、待ってるからな。体が良くなったら遊ぼうな!」って。
241:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 07:24:38.68 ID:BFHuN3Ow0
759 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [age] 投稿日: 2006/10/01(日) 00:11:19 ID:lHMN8Cknお母さんが作るお弁当とはちょっと違いますが・・
現在中一の娘が、妹の幼稚園のお弁当を作っていた時期がありました。
当時、小3。
下の娘は幼稚園の年中組でした。
別にわたしが強制した訳ではなく、自主的に。
毎朝6時に起きて、台所でゴソゴソと作っていました。
普通の小学生の料理なので、当然それなりの中身でしたが
妹は毎日とても喜んで、残してきた事なんてありませんでした。
あまりに妹が、姉の作るお弁当をうれしがるので、
結局、卒園までの2年間作り続けたのでした。
お弁当が最後の日、帰ってきたカラのお弁当箱には
「お姉ちゃん、今まで毎日お弁当を作ってくれてありがとう。
いつもみんながうらやましがってたよ。おいしかった。大好きだよ。」
という手紙が入っていました。
そのお手紙は今では、生徒手帳に大事にはさんであるのをみつけました。
幼稚園の卒園証書と一緒に、お姉ちゃんにも園長先生が
「2年間、お弁当作りがんばったで賞」という賞状をくださいました。
必ず入れてた卵焼きは、今ではきっちりきれいでおいしいです。
自分の娘だけど、心底尊敬した出来事でした。
242:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:25:24.27 ID:LX0TsV0cO
でも次の日の朝、その子の家に行ったらその子のお母さんに
「もう、連絡帳は届けなくていいの」って言われた。
あまりにも突然だった。
俺その頃悪ガキで、頭もすげえ悪かったけど、その子のお母さんの言ってる意味は伝わったんだ。
……この子は天国に行ったんだ。もう一緒に遊ぶ事は出来ないんだ……。
そんな事考えたら涙が溢れて…止まらなくって…。
ずうっと泣き続けてた俺に、その子のお母さんは連絡帳をくれたんだ。
せめて君だけは、学校にも行けなかったあの子を忘れないで欲しいって。
そんな俺ももうすぐ30になろうとしてる。
あの時の連絡帳は、引き出し下段の奥底にずっとしまったきりだ。
就職したり、結婚したり、子供が生まれたり…。今まで、本当に色んな事があった。
時には泣きたい事、辛い事の連続で、いっそ自殺しちまおうかなんて思った事もあった。
けど、そんな時はいつも引き出しを開けて、女の子の連絡帳を開くんだ。
そして、彼女が亡くなる直前に書かれた文章を読み返すんだ。
『ありがとう、いつかきっと、遊ぼうね』
243:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:26:39.27 ID:3fSR/U7UO
うちの母親は涙もろい
すぐに泣く
めちゃくちゃうざい
テレビでどこかの貧しい国の子供達のドキュメントやってて
食べるものがなくて餓死しちゃって
母親が小さい体抱きしめながら泣いてて、それ見ながら号泣
ティッシュ何枚も使って、可哀相にって
めちゃくちゃうるさい
だけどこの人の子供で良かったと思った心から
244:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:27:20.13 ID:h4SsIvV4O
こういうコピペ見たあとは2chやめて頑張ろうって思うけど結局戻ってきちゃうのよね
245:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 07:29:30.46 ID:BFHuN3Ow0
>>244
しょうがねーよ
307:名無しなのに合格 :2007/01/15(月) 12:34:17 ID:J0CpmKhG0
4歳の弟に全部調査書開封された
センターまであと5日。まじで人生\(^o^)/オワタ 312:307 :2007/01/15(月) 13:01:24 ID:J0CpmKhG0これはネタじゃないぜ。本当の話だ。
学校から帰ってきたら机の上に開封済みの調査票があったんだぜ。
弟が近くにいたので問い詰めたら「お手紙だと思って開けちゃった」だってさ。
4歳のガキに怒るのも馬鹿げてるから
「お兄ちゃんのために開けてくれてありがとう」って言ったら、弟喜んでたよ。
>>244
しょうがねーよ
307:名無しなのに合格 :2007/01/15(月) 12:34:17 ID:J0CpmKhG0
4歳の弟に全部調査書開封された
センターまであと5日。まじで人生\(^o^)/オワタ 312:307 :2007/01/15(月) 13:01:24 ID:J0CpmKhG0これはネタじゃないぜ。本当の話だ。
学校から帰ってきたら机の上に開封済みの調査票があったんだぜ。
弟が近くにいたので問い詰めたら「お手紙だと思って開けちゃった」だってさ。
4歳のガキに怒るのも馬鹿げてるから
「お兄ちゃんのために開けてくれてありがとう」って言ったら、弟喜んでたよ。
254:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:52:32.37 ID:PAG7xWZm0
>>244
感動できるうちは戻ってきても大丈夫だ
246:ネカフェ難民 ◆Affi10NUEE :2011/04/19(火) 07:33:20.55 ID:BFHuN3Ow0>>244
感動できるうちは戻ってきても大丈夫だ
762 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2007/04/25(水) 14:54:50 ID:gSHiryVO0
当時とある大学の体育系サークルに所属し、その日自分は道場で自主トレに励んでいた。
実はこの道場の隣はサッカー場で、その日は小学生のサッカー大会に使用されていた。
別にそれなら関係ないのだがサッカー場から一番近いトイレがうちの道場だったため
一般の人や小学生が道場の敷地内に出入りをしていた。
そんなある時、自主トレから一時休憩と自分は買い置きのポカリ1.5リットルを持って
道場の裏に行った(うちの部は道場内で飲食厳禁だが道場の裏だけはそれが許可されていた)。
日陰に入って座り込み、紙コップにポカリを注いで飲んでいると・・・
7,8歳の小さな男の子とおそらくその子の妹であろう3,4歳の女の子が自分を見ていた。
ちなみにその近くには自販機とかの類は一切無い。一番近い所でさえ結構な距離である。
その炎天下の中、一言も口には出さないが飲み物を欲しがってたのはすぐに分かった。
自分は新しい紙コップに注いで「ほら」と男の子の方に渡した。
するとその子も喉が乾いてたろうに受け取った紙コップに口をつけず、先に妹の方へ差し出した。
小さい両手で紙コップを持ってポカリを飲んでる妹・・・それを見守る兄がとってもいじらしかった。
当たり前と言えば当たり前なんだが、なぜかとっても嬉しかった覚えが有る。
「持ってけ」なんか嬉しかったのでまだほとんど残っていたペットボトルを兄の方に渡した。
小さな体でペットボトルを抱えて持って行く姿がとっても微笑ましかった。
255:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 07:55:38.46 ID:qD9gUH9L0
771 名前:水先案名無い人 投稿日:2005/07/16(土) 09:59:51 ID:loFr4Kuw0
冬の終わりの静かな夜、スペインはマドリッドの巨大電波望遠鏡が、ザーザー乱舞する雑音の中に、
ある「生命」からのかすかな信号を探し出した。
信号の方向は牡牛座。「生命」はパイオニア10号宇宙探索機。
30年前に母なる地球を離れ、宇宙開拓史上初めて危険な隕石帯を無事に通過し、
輝く雲海をかすめながら初めて巨大な木星の近接観測をした。
そこで木星の強力な引力を使って時速13万キロに加速、以来宇宙の果てに向けて延々と旅を続けている。
パイオニア10号は現在地球から78AU(1AUは太陽と地球の距離)の地点にあり、
時速約5万キロで太陽系を離れて行く。パイオニア10号の設計寿命は2年だった。
それが30年後の今でも生きている。
5年前プルトニウム電池の出力低下とNASA(米航空宇宙局)の予算削減でパイオニア10号との接触は打ち切られた。
光ですら11時間かかるこの距離では太陽も夜空の星のひとつに過ぎない。母なる地球の方向も分からない。
接触が打ち切られて以来、パイオニア10号は地球から送られて来るはずの強力な電波を待ちわび、
必死に耳を傾けていたに違いない。
再びパイオニア10号を探し出すには半年以上かかった。地球から強力な電波を送り続けた。
それをやっと聞きつけたパイオニア10号は大喜びでその方向へアンテナを向け、
集めた観測データを一生懸命送って来た。
パイオニア10号が宇宙の向こうで主人を再び見つけた子犬のように喜んではしゃいでいる姿が見えるようだ。
パイオニア10号との接触は今後も続けられる。
宇宙からの極めて弱い信号を雑音の中から聞き分ける研究にパイオニア10号が使われることになったからだ。
258:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 08:37:56.80 ID:qD9gUH9L0
258 名無しさん@恐縮です New! 2006/08/03(木) 23:22:04 ID:V7KoDVKJ0
ガッツの話
芸能界に入った時は、オレも1年生。演技もしたことないし、セリフも覚えたことない。
だからみんな先輩、楽屋では子役のところにも挨拶に行った。
お芝居なら覚えられないセリフも必死で、本番まで覚えたよ。
バラエティならみんなが読まない脚本も読んで、きっちり自分の役割をこなした。
だから、「ガッツさんちょっとおかしい」ともいわれたね。
ケーキは顔に塗られるし、馬鹿な役もやらされる。
「チャンピオンも引退したら悲惨だね」って言われたよ。
でもね、『おしん』というドラマの時にいきなりセリフの多い役で大抜擢された。
聞くと橋田 壽賀子先生じきじきの指名だよ。
「先生、何でボクを選んだの?」って聞いたの。そしたら
「あんた一生懸命やってるじゃない」
「普通、ボクシングのチャンピオンでこの業界に来るとみんな天狗で鼻持ちならないのよね」
「あんたはチャンピオンのガッツ石松じゃなくて、役者の、芸人のガッツとして頑張った。
だからこの役はガッツ石松のために用意したのよ。あんたが一生この業界で食っていけるように」
オレは人目もはばからず泣いたよ。見てる人は見てるんだって思ってさ…
259:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 08:47:05.97 ID:qD9gUH9L0
856 :名無しさんの初恋 :2006/10/16(月) 01:35:46 ID:vyZaQ6EH
ずっと好きで好きで片思いだった従姉が先週、急に温泉にいこうって誘ってきた
金曜の夜から二泊三日でさっき帰ってきたんだ
旅館じゃ夫婦みたいにずっと一緒で混浴もして最後までして夢のようだった
しかも従姉、初めてだった
夢が叶ったって、つきあえるって思ってたのに・・・・
従姉の家に送った時に叔父さんから従姉が叔父さんの取引先の息子さんと婚約したって聞いた
来年早々にも挙式をするから来てくれって叔父と叔母に言われたよ
従姉は目を伏せて俺と話してくれなかった
帰りに車の窓越しに「ごめんね」って一言だけ・・
どういうことなんだよ・・・
262:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 10:02:54.54 ID:qD9gUH9L0
39 名前: ('A`) 投稿日: 2006/06/06(火) 00:55:02
うちのかーちゃんは酒乱の親父に耐えかねて
俺ではなく犬を連れて家をでていった。
263:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/19(火) 10:34:06.44 ID:qD9gUH9L0
よく通る道に花が手向けられている電信柱があり、
通る度に供えられた花の種類が変わっていたので
よほど大切な人を亡くしたんだろうなと気になって見ていた。
ある時、その電信柱の前を通ったらその花が荒らされていた。
次の日通ると花は綺麗に新しくなっている。
その日の夕方に通るとまた花が荒らされていた。
その後荒らされる→新しい花→また荒らされるというのが暫く続いた。
猫や鳥にやられたのかな?と思いつつ通り過ぎていたが、
ある日偶然にもその花を荒らしている最中の人を発見。
俺はとっさに車を降り、
「何してるんですか!」と咎めた。
するとこちらを向いた40~50代位の女性に女性が
「○○ちゃんを返して~」と号泣。
虚をつかれうろたえながら彼女を宥めつつ話しを聞くと、
彼女は娘さんをここで亡くした。
娘さんは歩いていて、車に突っ込まれた。
運転していた男性もこの電信柱にぶつかった衝撃で亡くなった。
この花は加害者の男性の家族が供えている。
その花を見る度に娘を思い出してしまい、いたたまれなくなって
花を荒らすようになってしまった。
といった感じでした。
「もうこんな事はしませんから・・・」
と泣きながらふらふら帰っていく彼女を見て
やるせない気持ちになり暫くそこに立ち尽くしてしまいました。

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