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海未「ワンナイト・ラバーズ」
- 1 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/18(月) 23:45:17.70 ID:YQqPCfPz.net
- 私が凛とはじめての口づけをかわしたのは、二月初旬のとある雨の日。
一限後の休み時間のことでした。
今朝からの雨はそのときも変わらず、しとしとと降り続いていました。
雨の日特有の、少し埃っぽい匂いがする廊下を歩きながら空を見ると、その先には分厚い灰色の雲。雨足が強いわけではないものの、できれば止んでほしいという私の願いは当分叶いそうにはありません。
残念な気持ちを抱えながら歩を進め、行くあてもなく階段を下り。
今日のμ'sの練習メニューはどうしたものでしょう――なんて、別に教室の中でも出来る物思いをわざわざ廊下でやったのは、後から思えば運命のようなものだったのかもしれません。
「あっ、海未ちゃんだ。わーい!」
底抜けに明るい、聞くだけで胸が弾むような声が頭上から聞こえてきたのは、ちょうど私が階段の踊り場に差し掛かったときでした。
- 2 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/18(月) 23:46:32.14 ID:YQqPCfPz.net
- 声の主が凛であるという確信を持って顔を上げると、視線の先には案の定、満面の笑みを浮かべた凛の姿。
ところが凛は、階段の中腹で思いきり踏み切って、それこそ猫のように私の方にとびかかってきたのです。
それは本当に一瞬の出来事で、私は凛から眼を離せないまま、思わず顔を引きつらせていました。
だってスローモーションで動く世界の中で、どんどん凛の顔が近づいてくるのです。
もうあと一秒もしないうちに、私と凛の顔が真正面からぶつかってしまうのです。
距離が縮まるにつれて、頭は真っ白になってしまうに決まっています。
もちろん空中で進行方向を曲げるなんて人間には無理な話で、かろうじてできたのは、お互いに次の瞬間の出来事を頭の中に思い浮かべるだけ。
コンマゼロ秒の待機時間のあとで凛と私は真正面から衝突し、そして――唇と唇も完全に触れ合っていました。
柔らかくて甘くて、頭が蕩けそうでした。 - 3 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/18(月) 23:49:07.27 ID:YQqPCfPz.net
- ちょっとだけ歯が当たって嫌な痛みがありましたが、そんなのも気にならないくらいの、竹刀で思い切り頭を叩かれたとき以上の衝撃。
衝突の勢いを殺すために凛の身体を抱えてくるくると回りながらも、意識は完全に瑞々しい唇の感触に持っていかれていて、その僅か数秒の出来事が、さっきまでの授業よりよっぽど長く感じられたほど。
いっそ、この時間が永遠に続けばどれだけ幸せなことでしょう。
そんなことを頭の隅っこで考えたところで、ようやく私は我に返りました。
だって私個人の気持ちはさておき、どう考えてもこれは不慮の事故で、なおかつ大失敗です。
なにしろ凛は、μ'sの中でも一番と言っていいくらい純真で可愛らしい子。今まで誰かと口づけをした経験なんてないに決まっていて、だとするとつまり、よりによって私なんかが、大切な凛のファーストキスを奪ってしまったということに他ならないのですから。
その証拠に、ようやく凛の足が地面について二人の身体が離れたとき。
凛の顔は可哀想なくらい真っ青になっていて、あまりのショックに言葉も出ないような有り様でした。 - 4 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/18(月) 23:52:51.32 ID:YQqPCfPz.net
- 「り、凛……す、すみま……」
私がすべきは、なによりもまず謝罪すること――
そう思って口を動かそうと努力しましたが、震えてしまって上手く呂律が回りません。
だって口を動かそうと意識した瞬間に、火傷したかのように熱っぽい唇の感触が、先ほどの生々しい実感を伴いながら押し寄せてくるのです。かあっと頬が焼け、そこから伝わって全身が火照るのがわかりました。
血流が激しすぎて、まるで心臓が波打つたびに身体が揺れているような気さえします。
にもかかわらず、頭だけはずっと冷静なまま。
大変なことをしてしまったという後悔。それから目の前で凛が悲しんでいるという事実に、音がしそうなくらい心が軋んでいるのがわかりました。
それでも、ここは私の方がなにかフォローをしなければならない場面だと、どうにか心を奮い立たせます。
なぜなら凛は私の後輩で、同じユニットのメンバーで、たくさん目をかけて同じ時間を過ごして、ずっと珠のように大切にしてきた人なのです。
やってしまったことの償いは、他の誰でもない、私がしなければならないことでした。 - 5 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/18(月) 23:54:36.17 ID:YQqPCfPz.net
- 「――凛っ」
思い通りにならない身体をどうにか操り、ようやく名前を呼んで正面を向きます。
たったこれだけを言うのにどうしてこんなに労力を要するのか、自分でも訳がわかりません。
けれどせっかく振り絞った勇気の甲斐もなく、私はそこで再び、すっかり言葉を失ってしまいました。
なぜなら凛の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれだしていたからです。
「海未ちゃん……ごめんなさい。凛が……ごめんなさい……」
「りっ、凛が謝ることはありません。それよりも私が、その……」
「ううん、ひっく……ほんとに、ごめんなさい……ぐすっ、海未ちゃ、ごめんなさい、ごめん……」
「凛。お願いですから、どうか泣き止んでください」
泣きながらひたすら謝りつづける、痛々しい彼女の姿。
見かねた私は、凛の手を取って近くの空き教室に逃げ込みました。
他の生徒の好奇の視線に凛を晒すことが耐えがたかったのがひとつ。それから、少しでも凛の負担を和らげるために、二人きりで落ち着いて話をしたいと思ったのです。 - 6 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/18(月) 23:56:42.85 ID:YQqPCfPz.net
- 幸いなことに、校内には生徒数減少によってほとんど使用されず物置になっている教室が多くあり、私たちが飛び込んだのもそのひとつ。元々は第二音楽室の準備室として使われていたようでした。
目に入るのは、埃の積もった楽器が雑多に棚に収められている光景。ただそれだけ。
かつては様々な音が飛び交っていたであろうこの場所でしたが、今では何もかもすっかり過去に置いてきてしまったようで、私たちの周囲は完全に時が止まったかのような静寂に包まれています。
そのせいでしょうか。
ずきずきと痛む胸がさっきよりもっと際立って感じられる気がしましたが、それを飲み込むみたいに思いきり深呼吸して、私は凛にゆっくりと語りかけました。 - 8 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/18(月) 23:58:16.07 ID:YQqPCfPz.net
- 「凛。先ほどのことですが、本当に申し訳ありません。私がもっと注意していれば――」
「違うの! 凛が馬鹿みたいに飛びかかったのが悪かったの……そのせいで、海未ちゃんの……」
「違いません。凛に嫌な思いをさせてしまったこと、本当に心から謝ります。もう泣き止んでくださいとは言いませんから、せめて怒りは私に向けてください。謝ってすむことじゃないのもわかっていますが、できることならどんな償いでもしますから」
「違うよ! 凛は嫌な思いなんかしてない! だけど……本当は海未ちゃんの方こそ嫌だったでしょ……すごく動揺してたし……海未ちゃんはそういうのすごくちゃんとしてるのに、凛なんかがはじめてで……」
「嫌だなんて……」
思いもよらなかった台詞に、私はそう呟きながら凛の顔を見つめました。
なぜならそれは私が先ほど考えていたこととまったく同じだったからで、おかげでちょっとだけほっとします。
だって、たったいま凛が口にしたことについてだったら、私は心から否定してあげることができるのですから。
そっと手を取り、私は凛の目を見て言いました。 - 9 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:00:30.32 ID:AS1Zrnm0.net
- 「やっぱり違いますよ。私は凛とキ、その……さっきみたいになったのが嫌だなんて思ってません」
「……ほんとに?」
「本当です。それどころか、あんなにドキドキして幸せな気持ちになるものだなんて思ってもいませんでした」
「にゃっ?」
「はっ」
と、そこで自分の吐いた台詞にびっくりして、思わずおかしな声がこぼれます。
無意識に出た言葉とはいえ、私は何を言っているのでしょう。
凛の顔が今度は面白いくらいに赤くなって、たぶんそれは私も同じでした。だというのに、茶化しもせず真面目に反応する凛がそれに追い打ちをかけてきます。 - 10 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:01:51.60 ID:AS1Zrnm0.net
- 「う、海未ちゃんのえっち……」
「ちっ、違いますから!」
「あ、やっぱり違うんだ……」
「あ、いえ、それは違わないです! 違わないですが、いま口走ったのはちょっとした言葉のあやというやつで――」
「……ねえ、海未ちゃん」
「なんですか?」
「その、そのね……もう一回、してくれたら信じられると思う」
「は、はああ?」 - 12 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:04:25.71 ID:AS1Zrnm0.net
- そう言って顔を背ける凛は控えめに言ってもとてもかわいくて、私は一瞬でもそう思ってしまったことを誤魔化すかのように、わざと大きな声をあげました。
ですが――考えます。
果たしてここで、私に断るという選択肢が残されているでしょうか。
私は先ほど、はじめてが凛だったことが嫌ではなかったと断言しましたし、もしそれを気にしているなら間違いだとも言いました。
もちろんそれは私の本心で間違いないのですが、だからと言って凛が素直にそれを信じられるかというとまた別の話になってきます。
その点で言えば、嫌じゃなかったのならもう一回できるよねという凛の言い分は、ちょっと意地が悪いもののそれなりに納得のいくものでもありました。
ただし私の方としても、無条件に凛を信じるわけにはいかない理由が一つ残されています。
それは、凛がヤケクソで今の台詞を言っているのではないかということ。
もし凛がファーストキスを私なんかに捧げてしまって自暴自棄になっているのだとしたら、ここでさらに行為を重ねるのは絶対にしてはいけない過ちです。余計に凛を傷つけるだけですし、私だってそんなことはしたくはありません。
そう、つまりは私も凛と同様、相手の本心を見定めないことには先に進めないのです。 - 13 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:07:17.11 ID:AS1Zrnm0.net
- どうしたらいいのでしょう。
凛の物言いたげな視線を受けながら、私は必死に考えました。
凛の本当の気持ち。
それから、私の気持ち。
けれど答えが出せず、苦し紛れに口を開きます。
「凛は、それでいいのですか?」
凛は、俯きながらゆっくり答えてくれました。
「いいよ……あ、でも、ちゃんと初めからやりたいってのは、あるかも……」
「初めから、というと?」
「その、えっと……告白、とか……にゃ」
「――っ」
上目遣いで遠慮がちに告げる凛の様子に悶絶しかけると同時に、ようやく私はそこで、凛の本心をうっすら見た気がしました。
それをちゃんと確認すべく、おそるおそる私も口を開きます。 - 14 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:08:30.77 ID:AS1Zrnm0.net
- 「告白というと、やはりあんな事故みたいなのが初めてじゃ嫌だから、なかったことにしたいという意味ですか?」
「違うの。えっと、きっかけはそういうのだとしても、そこからちゃんとつながっていくのがいいっていうか……」
「……ああ」
なるほど、凛の言いたがっていることを察して、私は小さく呟きました。
つまりは、きっかけは事故でも、それを起点として後につながっていくもの。そういうストーリー。
凛が欲しがっているのは、さっきの初めてのキスを意味のあるものとして成立させられるような、物語の補てんなのだと私は理解しました。
たとえばこの場合で言うと、不慮の事故から唐突に相手に惹かれだしたなんていう、ありがちな恋の物語。
穂乃果の部屋の本棚にたくさんある、漫画みたいなおとぎ話。
けれどそうやって補てんすることでやっと、先ほどの事故は意味のあるハプニングへと変貌を遂げます。リカバリーされるのです。 - 15 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:09:31.86 ID:AS1Zrnm0.net
- その考えを子供っぽいと笑うのは、今の私にはできませんでした。
ハプニングからの恋なんて話は古今東西ありふれているし、ありふれているというのはつまりそれが美しいからです。
だから凛が今それを望むのは何もおかしなことではないし、だとすれば私も覚悟を決めねばなりません。
それが、大切な後輩に対する誠実な態度である気がしました。
「凛」
「はい」
埃をかぶったウィンドチャイムを背にして、凛と向き合います。
制服の裾が触れたのでしょうか。
きらきらきら、とわざとらしいくらいに音がして、それと同じくらい、真っ赤に頬を染めた凛が輝いて見えました。 - 16 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:10:38.58 ID:AS1Zrnm0.net
- 「私と、付き合ってください」
「はい……凛で良ければ、喜んで」
凛がそう言って、少しだけ笑いかけてくれます。
私はその顔にドキリとしながらもそっと身体を寄せて、静かにおでこを近づけました。
「ん……」
凛が漏らした息が顎のあたりに触れて、同時にそっと目を閉じます。
これでいいのでしょうか。
私はなにか、大切なことを見落としてはいないでしょうか。
胸の痛みは私の心にそんなことを伝えてきましたが、艶めかしい凛の唇に吸い寄せられるように、私の動きは止まりませんでした。
唇が触れるまでのわずかの間に考えます。 - 17 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:11:32.39 ID:AS1Zrnm0.net
- おそらくは、これは長く続く関係ではないのでしょう。
先ほどの事故の物語を補てんしてしまいさえすれば、後は清算するタイミングだけが残る。そんな関係です。
ですがそれでも、今この瞬間。
そっと唇が柔らかに触れて。
私と凛は恋人同士となりました。
二度目の口づけは、一度目よりも胸がきゅうっと締めつけられるような味がしました。 - 18 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:14:35.77 ID:AS1Zrnm0.net
- ※
※
※
とある銀幕の中で、ローマこそが一番印象に残っている、と某国の王女が言う場面を見たことがあります。
あるいは、行きずりの恋を描いた物語の多くが、夜というクライマックスを経て朝に終わる様子も。
私にはもちろん経験のないことですが、こうして考えてみると恋が成立する最小単位は一日、ないしは一晩であるような気がしました。
逆に言えば、凛の望みを叶えるために必要な時間はたった一日。
それだけあれば凛に綺麗なだけの物語を贈ることができて、また元の関係に戻ることができる。
私と凛の関係は今から二十四時間後。明日の一限までを期限として限定的に続く、一夜限りの恋人でした。
ぼんやりとした頭で前を向くと、黒板の前では数学の先生がいつもの几帳面な字を黒板に並べているところでした。
それは見たこともない公式で、いつどのように使うべきものなのかさっぱりわかりません。強いて言えば、いかに私がいま凛のことで頭がいっぱいになっているか。それを証明する公式なのかもしれません。 - 19 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:16:21.43 ID:AS1Zrnm0.net
- 思い返してみると、凛との出会いは言わずもがなμ's結成のときですが、そのときから彼女はよく笑う子でした。
表情豊かで素直で、たまに素直すぎて無意識に毒舌を吐いているときもありますが、それを叱ったりするのもコミュニケーションの一環。私の勝手な思い込みでなければ、凛だって本気で悪意を振りまいているわけではないし、こちらも本気で怒っているわけでもない。
むしろ、いつの頃からか私は、そんなふうにころころと表情を変える朗らかな凛を見るのがお気に入りの行為の一つになっていて、それに気づいたのが変化のはじまりだったのかもしれません。
はじめのうちはふたりとも人見知りを発揮して、恐る恐る距離を図っていたのが嘘のよう。
今では私を見かけたら笑顔で駆け寄ってきてくれたり、日常の他愛もない話を面白おかしく話してくれたり、時にはちょっとした相談を持ち掛けられたり。
そんな彼女のことを、かわいいと思わないはずがないのです。
目を閉じれば凛の顔が鮮やかに思い浮かびますし、声も、それからさっきの感触も、全部が私の中で再生されます。
凛。
星空凛。
小さくてすばしっこくて、無邪気でよく笑って、いつだって私を幸せな気持ちにしてくれる可愛らしい子。 - 20 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:18:26.91 ID:AS1Zrnm0.net
- 気付けば私の胸の内は凛でいっぱいになっていて、ふと前を向くと、黒板の数字のゼロが彼女のシルエットみたいに見えました。
さらに、ト音記号が伸びたような文字が凛が猫の手をしてふざけている姿のように見えます。
どきどきして教科書をめくると、目に入ってくるUの字は私のイニシャルでしょうか。
そして極めつけはオメガの小文字。
言うまでもなく、凛の唇。
私がさっき唇で触れていた、あの柔らかで弾力のある、啄みたくてどこか甘い、大好きな恋人の象形文字。
身体の芯がじわっと熱くなって、私は思わずぎゅっと足を閉じました。
悩まし気な凛の声が脳裏に響き、それと同じくらい色に濡れた自分の声が、それに覆いかぶさるように続きます。
私は先ほど、なんて声を出していたのでしょう。
あのときの私は、一体どんな顔をしていたのでしょう。
しかもそれを、凛には全部見られていて、聞かれていて、知られているのです。これに勝る羞恥が、この世のどこにあるでしょう。 - 21 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:21:59.27 ID:AS1Zrnm0.net
- それでも心の奥底で、それを気持ち良いと感じる自分が存在していることも事実で、花の蜜を探す蝶のように、私は舌先で上唇をなぞりました。
「は――ん……」
声が漏れます。
静かな教室。それを誰かに聞かれていないかとひやひやしますが、脊髄を走るのはわずかな恍惚と、圧倒的な不満足感。
足りなくて、物足りなくて、苦しくなってきます。
だから、まるで自分の下唇をめくるように、無意識に人差し指を口元に押し当てたそのとき。
さっき聞いたばかりのチャイムの音が、私だけの世界に割り込んできました。
慌てて時計を見ると、確かに授業が終わる時間。日直が起立と号令をかけて、周囲の級友が次々に席を立っていました。
ワンテンポ遅れて私も立ち上がり、おざなりに頭を下げると、先ほどまでの静けさが嘘のように教室は喧騒に包まれます。 - 22 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:23:11.58 ID:AS1Zrnm0.net
- ですが私の頭の中には大量の桜吹雪が舞っているようで、塞がれる視界に前も見えませんでした。
ことりの視線がちらりと私を見た気がしましたが、それも一瞬だけのこと。
それよりも凛のかわいらしい声が脳内でリフレインしつづけていて、それに導かれるかのように私の足は自然と動いていました。
ふわふわ。
ふわふわ。
まるで夢遊病者のように、おぼつかない足取りで。
ですが目的地だけははっきりしていて。
別に凛と約束をしたわけではありませんでしたが、私の足は自然と先ほどの空き教室へと向いていました。 - 23 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:24:18.51 ID:AS1Zrnm0.net
- 高鳴る胸を抑えながら扉に手をかけ、なるべく音がしないように静かに開きます。
その奥。
部屋が暗いせいか、雨の日だというのにぼんやりとカーテン越しの光が窓際を照らしていて、明るい髪色をした少女がその中に佇んでいます。
彼女は私を見て嬉しそうに笑みを浮かべると、スカートの端をちょっとだけ持ち上げて、まるでどこかの貴族様のようにポーズを取りました。
それが本当に可愛らしくて、一瞬くらりと意識が飛びます。
駆け寄って抱きしめたくなる衝動に、必死で抗います。
凛は自分の行動をちょっと恥じるみたいに、はにかみながら口を開きました。 - 24 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:25:30.94 ID:AS1Zrnm0.net
- 「来てくれたんだ」
「そんな気がしたので」
「えへへ、うれしいにゃー」
そう言って両手を伸ばし、私にもっと近くに来るように催促してきます。
その仕草で、私も限界でした。
「凛――」
「ん――」
駆け寄るや否や、ついばむように軽く凛の上唇に触れ、そのまま挟んで引っ張りました。
ちゅっと、まるで狙いすましたかのような音がして、視界の端をよぎる凛の耳たぶがみるみる赤く染まっていくのがわかります。
気分を良くして一度離れると、不満げな目で私を見る凛の顔がありました。 - 25 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:26:21.65 ID:AS1Zrnm0.net
- 「むぅ」
「ふふっ」
その視線がおかしくて思わず笑うと、凛はいよいよ怒ったのか、私を抱く腕に力をこめて逃げ場をなくしてきました。
前髪から香る凛の匂い。
ちょうどいい位置にあったおでこに顔を寄せて、すんすんと息を吸い込みます。
「やめてよ、恥ずかしいじゃん……」
「だって仕方ないじゃないですか」
「言い訳は聞かないにゃ!」
私からしたら目の前に凛のおでこがあればこうするのは当然だったのですが、凛はそれがお気に召さないらしく、逃げるように顔を背けてしまいます。私の唾液が凛のおでこの一部を濡らしていて、その様子がひどく背徳的なものに見えてきます。 - 26 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:27:28.80 ID:AS1Zrnm0.net
- もっと舐めたい。
もっと凛に近づきたい。
そんな邪な考えに取りつかれて凛の頭を抱き寄せると、彼女は小さく声を漏らしてから、同じくらいの強さで私を抱きしめてきました。また、理性が飛びそうになります。凛の香りがして、凛の顔がすぐ近くにあって、凛が私を抱きしめていました。
胸元で凛が大きく息をしていて、吐息が制服の中に入り込んできます。
なるほど匂いを嗅がれるのがどれだけ恥ずかしいものか、今更ながらさっきの凛の気持ちが理解できました。ちょっとだけ冷静になって目の前に頭にもたれかかると、密着していない場所がひとつもなくなってしまって、なんだかもうずっとそうしていたい気分になってきます。
ですが私たちにはひとつだけ、どうしても確認しておかねばならないことが残されていました。 - 27 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:29:28.13 ID:AS1Zrnm0.net
- 「凛、このまま話をしてもいいですか?」
「……うん、いいよ」
「ありがとうございます。ええと――私はさっき凛と偶然ああいうことになってしまって、それから急にあなたのことを意識し始めました」
「うん」
一見唐突に見える私の告白。
凛は私の胸に顔をうずめたまま、心なし苦しそうに短く答えてくれます。
それは私たちの置かれた状況と、これから二人で作り上げる嘘の物語の再確認でした。
「たぶん私はもう、凛に恋しているんだと思います。きっかけは事故のようなものでしたが、それをこれから一晩かけて、きちんと確かめたいと思っています」
「うん」
「ですが私たちは……そうですね……スクールアイドルですし、それから――」 - 28 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:31:03.56 ID:AS1Zrnm0.net
- 「夜が明けたら、凛のことを嫌いになってるかもしれないよね」
「いえ、それはありえません。ですが……恋というのが必ずしも報われるとは限らないというのは、凛も知っていると思います」
「うん……だから、一夜の恋?」
「はい。その代わり、時間が来るまではなるべくこうして一緒にいましょう。私たちはお互いに素敵なお姫様に一日だけ恋をして、やむを得ず別れ、それからまたいつもの生活に戻っていくのです。凛にはきっと――」
きっと――もっと素敵な出会いがこの先に待っているのだから。
ですがそれは、少なくとも恋人同士という設定である今この瞬間にはそぐわない台詞で、私も口にするのにはひどく抵抗がありました。 - 29 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 00:54:42.73 ID:AS1Zrnm0.net
- だから代わりに凛の身体をそっと押し返し、潤んだ目をした彼女の顔を正面から見つめます。
最愛の恋人に、出来る限りの気持ちをこめて。
私は静かに言いました。
「好きですよ、凛。本当ははじめて会った日からずっと、あなたのことが気になっていたのかもしれません」
「気づくのが遅すぎるんじゃないかにゃー」
「お互い様じゃないですか」
「ふふっ、そうかも」
そうお互いに笑いあって、それから、どちらからともなくまた顔を寄せ合います。
そう、これはお互い納得済みの共犯関係。
それなのにそっと押し当てるだけの口づけは、一瞬で頭を蕩けさせるような甘さと同時に、心が切り刻まれるような痛みを伴いました。
一時間前と同様に、私と凛は予鈴が鳴るまでずっとずっと、そのまま身じろぎひとつできませんでした。 - 39 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 21:00:08.87 ID:AS1Zrnm0.net
- 「思ったんだけど、これってくよくよしてたら損なんじゃないかにゃ」
そんな私たちの空気が変わったのは、三時間目のあとの休み時間。
凛がそう口にした瞬間からでした。
「損、ですか?」
なんておうむ返しに問いかけながらも、実は私にも凛が言いたいことは理解できていました。
なぜならそれは私がさっきの古文の授業中にずっと考えていたことと同じで、実際に悲観的になっていても仕方がないのです。時間に限りがあるのならなおさら、その残り時間を有意義に使わなければもったいない。
なにしろ明日の一限までは、私と凛は正真正銘の恋人同士。いっぱい抱きしめて欲しいし、また私の名前を呼んで欲しいし、できれば口づけだってたくさんしたい。笑いかけて欲しいし、笑わせてあげたいし、手をつないで欲しいのです。
だから、凛の言ってくれた台詞はまさに私も望むところ。 - 40 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 21:01:36.75 ID:AS1Zrnm0.net
- 「実はですね、凛……」
「な、なに?」
「……私も同じことを考えていたんです」
「えへへ、そうなんだー」
小雨の降る体育館の裏。
私たちはひとつの傘に収まりながら、そんなふうにして互いの考えが一致していることを確認しあいました。
それから小さな傘の作るささやかな閉鎖空間の中で、空から降ってくるものとは違う雨を降らせ、お互いの顔をべたべたに濡らします。
こんなところを誰かに見られでもしたら――と気が気でなかったのも確かですが、傘越しの淡いシルエットでは、身体を寄せ合っていることまではわかっても、何をしていたかの決定的な部分まではわかりっこない。そう自分に言い訳して、夢中で凛を求めました。 - 41 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 21:06:50.51 ID:AS1Zrnm0.net
- 四時間の休み時間。つまりお昼休みは、凛たち一年生と一緒に昼食を頂きました。
別の学年とお昼を一緒にとるのはこの学園では珍しいことではなく、たまたま会ったからとか気が向いたからとか、その程度の理由でもままあることです。
もっとも私がそれを提案するのは多分初めてのこと。びっくりされたのか、ことりと花陽にそれとなく理由を探られたりもしましたが、ただの気まぐれだと誤魔化しているうちに渋々納得してくれたようでした。
残念なのは、凛と一緒にはいられたけれど、二人きりではなかったことでしょうか。
それらしい行動も、私が箸でつまんでいた卵焼きを凛がぱくっと食べてくれたことくらいで、それも極力ただのいたずらに見えるよう二人で目配せしあって、それでようやくできたことです。
けれどたったそれだけのことなのに、さっきの校舎裏の口づけよりもずっとずっと危なっかしくて、凛へのどきどきとあいまって心臓は今にも止まりそうになっていました。
こんなことをしていたら、ことりになにか感づかれはしないでしょうか。
もしかしたら、花陽はとっくに私たちのことを見破っているのではないでしょうか。 - 42 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 21:13:32.73 ID:AS1Zrnm0.net
- ですがそんなふうに慄きながらも、
「海未ちゃんにお返しあげるにゃー」
そう言ってフォークに刺したウインナーをこちらに向けてくる凛の大胆さと、狂気に侵された気配すらうかがえる妖しい微笑み。
この世界で二人だけが知っている、この世界で一番幸福な秘密を、密やかに確かめ合う甘美さにどうして抗うことが出来るでしょう。
凛が好きで、凛が好きで、それ以上は言葉になんてなりません。
みんながこちらを見ているなか、恐る恐るその先端を口に含みます。
それを吸い込むようにちゅるっと口内に収め、自分が今した行いの恥ずかしさに身もだえしますが、せっかく凛が食べさせてくれたものをすぐに咀嚼してしまうのはもったいないというもの。
私はしばらくそれを舌先で転がしたり舐めたりして、波のように押し寄せる恍惚感に酔いしれていました。
それなのに、そうすればそうするほど口さびしく思えてきてしまって、自分が求めているのが何なのかを突きつけられるようで。
「……凛」
あと少しでお昼休みも終わろうかという頃。
とうとう私は、耐え切れずに声をかけてしまいました。 - 43 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 21:24:17.36 ID:AS1Zrnm0.net
- 「どうしたの海未ちゃん」
「あ、いえ。その、私たちは食べ終わったので、先にお弁当箱をすすぎに行きませんか?」
「いっ、いいけどっ。ていうか行くにゃ!」
「あれ、凛ちゃん今までそんなことしてたっけ?」
「かっ、かよちんと一緒のときはしたことなかったかにゃー。でもでも最近海未ちゃんとご飯食べたときは、見習ってそうすることにしてるんだ。ほら、お母さんも洗うとき楽だって言ってくれてるし」
「そうなんだ。じゃあ私もそうしようかな。一緒に行っていい?」
「あ、それならことりももうすぐ食べ終わるから、待っててくれるとうれしいなぁ。ごめんね、海未ちゃん」
「い、いえ。まだ時間はありますし、それで問題ありません」
なんて返事をしながらも、私は心の中で、凛と二人きりになれなかった寂しさにしょぼくれていました。
他のメンバーをないがしろにする意図はないのでそれ以上は言いませんでしたが、果たしてうまく笑えていたかどうか。
全員が食べ終わって洗い場に移動している最中も、お預けをくらったみたいで気が晴れず。いっそ凛の手を取ってさらってしまおうかとも思いましたが、意気地のない私は思うだけで行動には移せません。
次こそは。
次のチャンスこそは。
そんなことを思って、口直しにことりから飴玉をもらうのが精いっぱいでした。
※ - 44 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 21:33:11.56 ID:AS1Zrnm0.net
- こんなにも特定の誰かのことを考え続けるなんて、本当にどうかしていました。
暇さえあれば凛ことを思って、凛としたことを思い返して、それから抑えきれない感情に流されて気を失いそうになって。
五時間目。
もはや聞く気もない授業が終わると走って教室を出て、はじめの音楽準備室に駆け込みました。
まだ凛は来ていないようで、その隙に誰もいないことを念入りに確認します。頭が揺れてしまうほど心臓が脈打っていて、めまいで心なし視界が揺れます。
早く来てほしい。
凛に早く会いたい。
頭を満たしているのは、そんな単純な想いだけ。 - 45 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 21:38:16.71 ID:AS1Zrnm0.net
- 火照りを鎮めようと熱っぽい両の頬に手を当ると、無意識に「はぁ……っ」とはしたない声が漏れてしまい、私は慌てて息を潜めました。
途端、聞こえてくる小走りの足音。
それがこの部屋の前で止まり、一拍置いてから、ゆっくりと開く扉。
「海未ちゃん……?」
「りん――!」
二時間以上のお預けを喰らっていた私は、扉を開けたのが待ち人だとわかって思わず歓声をあげました。
砂糖菓子のごとく甘い声色に自分でもびっくりしましたが、それもつかの間。
凛がおやつを見つけた子猫のように一目散にこちらに駆けてきて――言葉を交わすよりも先に私たちは抱き合っていました。
それからお互いに有無を言わさず顔を押し付け合い、唇を舌でこじ開け、まるで無遠慮に相手の口内を蹂躙します。熱と唾液でどろどろになったその部分が、溶けて蕩けて混ざり合って、その部分から凛とひとつになれるような気がしました。
耳に届くのはかわいらしい凛の吐息だけ。意識も自我も朦朧とする中でただひたすらに凛を求め、同時に求められるままに自分をさらけ出しました。 - 46 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 21:46:53.31 ID:AS1Zrnm0.net
- 絡みあうふたりの舌。
摂食器官であるはずのそれは今やまるで違った意味のものに変貌を遂げていて、ぬるぬるとした粘膜をこすり合わせるごとに、身体の芯の熱量が増していくのが分かりました。
夢中でその行為に耽って、没頭して、窒息寸前になってようやく息継ぎ。
その隙に凛の舌が逃げていったので、今度は私が彼女の中へと潜り込んで。
逃げまわる彼女の舌をつんつんと突いて、私の求めに応じてくれるようにねだります。一秒だって、一瞬だって待てなくて、知らないうちに私の目の端には涙が浮かんでいました。
「海未ちゃん、かわいい」
「な、なにを……!」
ぼそっと凛が放った台詞にうろたえながら、恥ずかしさを誤魔化すように強引に凛の舌を絡めとります。唾液を吸い込む淫靡な音が部屋に響くと、それを聞いた凛の表情に余裕がなくなるのが見えました。
その顔はたぶん世界でまだ私しか見たことがないものに違いなくて、私なんかより凛の方がよっぽどかわいいと言ってあげたくなります。 - 47 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 21:56:16.98 ID:AS1Zrnm0.net
- 「りんの方が、その……」
「にゃ……?」
「ああ、もう――!」
けれどそんな歯の浮くような台詞を口にしようとしたのも束の間、とろんとした瞳で私を見上げる凛を見て、私は一瞬で敗北を悟りました。
恥ずかしいのも確かでしたが、かわいいなんて一言で凛への気持ちを言い表せるはずがないのです。この気持ちはもう、行動でしか表すことができませんでした。
骨が折れたっていいくらいの気持ちでもう一度凛を抱き寄せ、それから驚いて身をよじる彼女の口内に無理やり入り込みました。
凛の舌の先端をこそぎとるみたいに念入りに舐めて、一ミリの隙間もないようにと夢中で身体を押しつけます。
静かな部屋に水音が何度も何度も響いて、そのたびに凛が「にゃっ」とか「やだ」とか、短く声をこぼします。
それがだんだん楽しくなってきてしまって、私は何度も何度も繰り返し凛の口の中と声を楽しみ、ふしだらな行為にひたすら耽りました。
たぶん、没頭というのはまさにこのようなことを言うのでしょう。
神聖な学び舎で。
かつては清らかな学生の音楽が聞こえていたはずのこの場所で。
私たちは六限の授業に遅刻するような時間までずっと、そうして二人きりで過ごしたのでした。
※ - 49 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 22:06:46.66 ID:AS1Zrnm0.net
- 夜になって、私は寝転びながら天井を見上げていました。
今日の放課後は変わらず雨でしたが、運よく体育館の舞台を借りることができたので、そこでダンスの稽古を行いました。
お隣のバレー部が音楽を流すことを許可してくれたことと、広さもそれなりにあったことで、たまにボールが飛んでくることに気を付けさえすれば練習環境としては最高の部類。
雨の日にあれだけしっかりと練習ができたのは珍しいほどで、運動部の皆さんには感謝してもしきれません。
ただし館内にもその周辺にもたくさんの運動部員がいたため、凛と例のことをするチャンスは全くなくて、私たちは最後の着替えをわざとゆっくり行うことで、ほんの僅かだけその時間を作りました。
他のメンバーが先に更衣室から出ていってしまったあとで、怪しまれない程度に。ほんの数秒だけできた空白の時間に小声で凛を呼び寄せて。
それから更衣室の隅っこに移動してから、二時間目にしたようにそっと触れるだけのキスをして、それでおしまい。
凛も私も言葉にはしませんでしたが、これが最後だというのは薄々わかっていて、だからこそ深く踏み込むことを避け、痛みを少しでも和らげようとしていたのかもしれません。その意味では、実に私たちらしい別れ際だとも言えました。 - 50 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 22:11:06.18 ID:AS1Zrnm0.net
- それからはまったくもっていつもの私たちに戻って、何事もなく帰路につきました。
ちょうどそのころには雨が上がっていたので傘が必要になることもなく、他愛もない話をしながらいつも通りはしゃいで。
分かれ道を経るごとに一人、また一人とメンバーが減っていくのを手を振って見送って。
家に帰ってご飯を食べて。
お稽古をして宿題をして、明日からのμ'sの練習のことなんかを考えて。
それから――行き着く先はやはり、凛の笑顔でした。
今日のことを振り返って私は、まるで夢の中にいたみたいだと感じました。
はじめは本当にちょっとした事故。
それなのにいつしか本当に凛のことばかり考えるようになり、心のほとんどが凛で埋まってしまって、凛のすべてが愛おしくなって。
はじめてした口づけも――本当は婚前に良くないことではあるのですが――とても気持ちがいいもので、思い返すだけで身体がまたあの時の感覚を欲して暴れるのがわかりました。
そう。私は凛と口づけを交わすのが嫌どころか、大好きだったのです。
一度や二度であれば、そんなのは気の迷いだったと忘れることもできたかもしれません。ですが今となってはそれも不可能で、私は凛との淫楽に溺れていたという事実を認めざるを得ない状況でした。
今だって、そのことを考えるだけで―― - 51 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 22:22:36.18 ID:AS1Zrnm0.net
- 「……違うでしょう、園田海未」
ですがそこで、自分に向かって強い口調で問いかけます。
そうなのです。
思わず自分にかけた言葉の通り、それはあまりにも救われない、短絡的な捉え方でした。たしかに私は凛との行為に溺れてはいましたが、その行為の部分だけを抜き出しては話が違ってきます。
大切なのは凛がこの腕の中にいたから、だから幸せを感じていたという一点で、そこだけはなにがあろうと間違えてはいけないことでした。
逆に言えば、凛さえ傍にいてくれれば、たぶん他のことはどうだってよかったのです。それくらい、私の中で凛の存在は大きくなっていました。
「あ……」
なんとなく、何かが見えた気がしました。
けれど身体を起こしてみるとそれは霧のように散り散りになって消えてしまって、代わりに後頭部の血管がつまったみたいな焦燥感だけが残ります。 - 52 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 22:25:11.36 ID:AS1Zrnm0.net
- 「お母さま。少し外を走ってきます」
私は居ても立ってもいられず、それからある種の予感にも背中を押されて、台所にいたお母さまにひと声かけるとそのまま返事も待たず走り出しました。
向かうべきは、凛の家でしょうか。
着いたら電話で呼び出せばよいのでしょうか。
考えはまとまっていませんでしたが、とにもかくにも靴を履き、弾かれるように外に出て、門をくぐって――
と、そこで、警笛のようにぴりりっと鳴り響いた携帯電話。
慌てて液晶画面を覗き込むと、そこにはただ一言。
『学校にいます』
送信元はいうまでもなく凛で、彼女はそこで私を待っているようでした。
※ - 53 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 22:27:15.31 ID:AS1Zrnm0.net
- どこかに侵入経路でもあるのでしょうか。
息を切らした私が学校の前に到着すると、凛は門の向こう側。校庭の入り口のところで私を待っていました。
「海未ちゃん。早かったね」
「それより凛。一体どこから校内に入ったのですか?」
「それは内緒にゃー……えへへ……」
痛々しい笑みを顔に貼り付けながら凛が答えてくれますが、要するにこのスカスカだけど絶対に通ることのできない、固く閉ざされた鉄扉が凛の意思であり、私たちを隔てるいろいろな障害の象徴のようなものでした。 - 54 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 22:28:37.90 ID:AS1Zrnm0.net
- 私と凛は鉄柱の隙間で手のひらを合わせ、鼻がくっつきそうなくらいに顔を近づけて、話をしました。
今日の出来事。
はじめはちょっとしたハプニングで、今だから言えるけれど実は結構ショックだったこと。
だけどそれが凛で良かったと今は心から思っていること。
凛の見たこともない顔や、聞いたこともない声のこと。
それから、私から見た凛がどれだけ光り輝いているか。
けれど、そんなことを言えば言うほどいちいち逆襲にあって、お互いに辱めあってるみたいで。
私と凛は次第に口数が減っていって、ただ合わせていた手のひらはそのままに、いつの間にか強く握りしめあっていました。
ここが、分岐点のような気がしました。 - 55 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 22:30:06.78 ID:AS1Zrnm0.net
- 「凛」
「なに?」
「私は――」
まだ明確な像を結ばない自分の中のもやもやを、それでもかたちにしようと無理やり口を開きます。
ですがそのとき目に入った、凛の背後にそびえ立つ校舎が、黒くて巨大で、不気味で怖くて。
続く言葉がどうしても出てきません。
それでも私はきっと、目の前の少女が求めてくれさえすれば。
ただそれだけで、こちらを睨む理性の象徴みたいな強敵にだって打ち克てたはずでした。
いえ、そんなのがなくったって、待っていてくれさえすれば手を伸ばせたに違いないのです。 - 56 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 23:04:06.67 ID:AS1Zrnm0.net
- 「凛、私はあなたを――」
それなのに。
ようやく絞りだした私の言葉を遮るかのようにして凛が言い放ったのは――
「 」
それは、完全な拒絶の言葉でした。
あまりの衝撃に私は聞いた瞬間にその言葉を忘れ、代わりにヘビー級のボクサーに殴られたみたいなダメージだけが後に残りました。
無意識に力が抜け、膝が折れます。
視線が下がり、つないだ手よりも下がり、気づけば凛を見上げるまでになっていました。 - 57 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 23:05:45.34 ID:AS1Zrnm0.net
- 「あ、でもこの時間ならまだ恋人でいいんだよね。お別れのちゅー、しよ」
軽い感じの台詞とは裏腹に、そう言いながら涙を流していた彼女。
けれどそれについて何か言う間もなく、私の唇は塞がれてしまいました。
鉄柱の隙間から少しだけ顔を出してする、最後のキス。
かすかに混じる涙の味と、近すぎてぼやける凛の泣き顔。
ああ、結局私はこの子を泣かせてしまったのだ。
そのことに思い至った瞬間、私の目からも堰を切ったかのように涙があふれだしてきました。
本当に不思議。
これは全部、お互いに納得済ではじめたこと。
全部全部、予定通りのシナリオ通り。
それなのに、押し止めようとしても涙は全然止まらないのです。 - 58 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 23:07:07.46 ID:AS1Zrnm0.net
- 一体どれくらいの間そうしていたことでしょう。
私はせめて最後に凛の姿を目に焼き付けようと、目をいっぱいに見開いて世界を感じました。
頬に感じる、夜風にさらされて少し痒くなってきた涙の跡。
そっと触れるだけの優しい凛の唇。
彼女の涙。
その奥に見える学校の校舎。
それから――その先に。
雨上がりの冬の空の、東京にしては珍しく綺麗な星空が目に入って。
それは天啓のように私の頭を撃ちぬきましたが、全ては時間切れでした。
一拍おいて、
「また明日にゃ」
今日慣れ親しんだ感触が離れて消えて、それからそんな声が聞こえて。
それをまだ言い終わらないうちに凛は走り出し、その背中がみるみる小さくなっていきます。 - 59 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 23:08:43.42 ID:AS1Zrnm0.net
- それは今まで見たこともない、本気の凛の走りでした。
伸ばした手はがしゃんという音と鉄の支柱に阻まれ、私は門扉越しに凛を見送りました。
けれど凛の姿はすぐに見えなくなり、残ったのは冷たい冬の空気だけ。
ごおおっという低い唸るような風が吹いて、一枚の枯れ葉が空の上の方に拭き上がっていきます。
「――っ」
私はそれでようやく自分が一人きりになったことを理解し、馬鹿みたいに全力で走りはじめました。
ペース配分も何もなく。ただひたすらに走って、息が切れても、喉が悲鳴をあげても走って。
凛にだって負けないくらいの速さで、今まで生きてきた中で一番無心で足だけを動かして、そのまま私は自分の部屋に飛び込みました。毛布に身体を突っ込んで、丸まるみたいに身体を折り曲げて、こみ上げてきたのは吐き気のような猛烈で悲痛な何か。
私は布団に包まって、息を押し殺すようにしながら胸を掻き毟って、その夜はそうして過ごしました。疲れ果てて眠るまでの時間は、まるで永遠に続く地獄のようにすら、私には思えたのでした。
※ - 60 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 23:10:08.09 ID:AS1Zrnm0.net
- 翌日の私は、文字通り死んだような目つきで一日を過ごしました。
どうにか登校したはいいものの碌に頭は働かず、今日も雨模様の空を眺めるばかり。気づけば授業は終わっていて、そのまま逃げるように学校を後にしました。
メンバーの何人かは、練習が休みなのを利用してそのまま遊びに出かけたようですが、今の私はとてもそんな気分ではありません。
帰るなり自分の部屋で寝ころんで、じっと一人で考え続けていました。
頭の中を占めていたのは、言うまでもなく昨日のこと。
厳密に言えば、昨日のことを踏まえて、私はこれからどうすべきかということでした。
「と言っても――」
なんとなくですが、答えは出ているような気はしていました。
私の気持ち。
昨日のことがあって、今日一日考えて、ようやく見えてきた私の本心。 - 61 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 23:12:37.40 ID:AS1Zrnm0.net
- 今思えば、初めに凛とあんな設定を作ったのは失敗だったのかもしれません。
どうも私は自分のにしても他人のにしても、あまり心の機微というのに敏感な方ではないようで、告白などをされてもいまいちぴんときていない部分があったのです。
ですが今は違いました。
私は多分もっと前から凛のことが好きで、それなのに一日だけの物語なんて言い訳に逃げたのは、本当は凛のことが好きであるがゆえに怖かったからなのです。二回目のキスをする前に感じた違和感は、突き詰めるとそこに行きつくような気がしました。
私は凛が好きでも、凛はそうじゃないかもしれない。
仮に想いが通じても、社会的な障壁が大きいのは目に見えている。
私が凛を好きでいることで、将来的に凛の幸せを奪ってしまうことになるかもしれない。
理由なんていくらでも思い浮かびますが、つまり私は結局のところ、意気地がなかったのです。
ですがそれも、自覚してしまった以上は見て見ぬ振りはできません。
たとえ無様に振られるにしても、立ち向かわないという選択肢はもはや取れないのです。 - 62 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 23:13:58.89 ID:AS1Zrnm0.net
- 必要なのは、ほんの少しのきっかけでした。
たとえばそう。
凛が電話をかけてきてくれるとか。
凛が私の名前を呼んでくれるとか。
凛が私の手を握ってくれるとか。
些細なことで良いのです。
それだけできっと、私は何もかもを凛に打ち明ける決心がつくことでしょう。
昨夜言えなかった言葉を、今度こそ口することができるでしょう。
一晩だけの、夜が明けるまでの関係だとはじめに口にしたのは、他ならぬ私です。
ですが結果的に、一晩が過ぎる頃にはもう、私の瞳には星空しか映らないようになっていました。
私は昨日からずっと私は明けない夜の中で生きていて、凛と約束した一晩は永遠に終わらない。そんな世界に迷い込んでしまったのです―― - 63 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/19(火) 23:15:41.30 ID:AS1Zrnm0.net
- 「海未さん」
「はっ、はい」
そのとき、ドアの向こうからお母さまに呼びかけられた私は、文字通り飛び上がって驚きながら返事をしました。
「お客様ですよ」
「え?」
が、続く台詞に言葉をなくします。
いったい誰が来たのですか、なんて問う前に一人分の足音が去っていって、それでもドアの向こうには確かに、誰かがいる気配が残っていました。
どくんどくんと、鼓動が早まります。
心当たりは、ありません。
ありませんが、ですがドアの向こうにいるのがもし彼女なら、私は―― - 71 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 21:33:45.90 ID:XGTHuALg.net
- 「どうぞ」
満を持して声を発して、じっとドアが開くのを待ちます。
けれど待てど暮らせど開く様子はなく、それどころかドアノブが回る気配すらありません。
それでもドアの向こうには、確かに誰かがいるのです。
不審に思った私は、ゆっくりと立ち上がってドアの前に立ちました。
その途端、無意識に体が震え――理解します。
ドアの向こうにいる人物が、おそらく凛であるということ。
このドアの向こうで、彼女が待っているということを。 - 72 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 21:36:41.31 ID:XGTHuALg.net
- 私は飛び上がらんばかりに喜んで、彼女を迎え入れようとノブに手をかけました。
けれどドアノブは、まるで瞬間接着剤で固められたかのようにぴくりとも動きません。
と同時に、かすかに向こう側から感じる、誰かが息をのんだようなぴりぴりとした気配。
お母様がこんな悪戯をするはずがありませんから、これはつまり、凛がノブに手をかけたまま動けずにいるに違いありませんでした。
「ええと――」
困惑が先に立ちますが、凛がどんな気持ちでここまで来たか、落ち着いてそのことに考えを巡らせます。
できるだけ優しい声が出るように気をつけながら、私は静かに話しはじめました。
「そうですね――凛は、天の岩戸って知っていますか?」
古事記や日本書紀。
たぶん彼女も、一度は聞いたことがあるであろう有名な神話の一節。
それを知っているかと問いかけることで、扉越しに私が凛を感じていることをきちんと伝えます。
返事は予想通り帰ってきませんでしたが、それでも耳を傾けてくれていると信じて、私は淡々と続けました。 - 73 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 21:42:22.50 ID:XGTHuALg.net
- 「太陽の女神様が洞窟に隠れて世界が真っ暗闇になってしまったので、外にいる神様たちがなんとかして女神様に出てきてもらおうと頑張る、
古い古いおはなしです。もっともこの場合は、中にいる私が外に出たがっているのであべこべですけどね」
思わず緩む私の口元。
同じように、ちょっとだけ緩んだ気がする扉の向こうの緊張感。
先ほどの直感が、いよいよもって確信に変わります。
もちろん理由なんてありません。
ですが、感じるのです。
聞こえるはずのない息遣い。
緊張と恐怖でちょっと青ざめた表情。
ふんわりとしたおひさまみたいな匂い。
木製の扉ひとつで遮れるほど、私が凛を求める気持ちは小さくない。
これは、間違いなく彼女がくれたラストチャンスでした。 - 74 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 21:46:42.25 ID:XGTHuALg.net
- 「だから、私は今度こそ――」
気負う気持ちが無意識に口からこぼれます。
ですがそう、今度こそです。
私はなんとしてでも、この開かずの扉を破らねばならない。
そのための手段も、私は知っているはずでした。
たとえば、アラビアの童話なら開けゴマ。
最近だと、アロホモラなんて呪文も有名かもしれません。
それとも、いっそ先ほどの日本神話にあやかって、私も服を――
「って、そんなことできるはずがありません!」
自分で考えて恥ずかしくなって。
けれど艶めかしく衣服を脱ぐ衣擦れの音を聞かせたらもしかしたら――なんて馬鹿げたことを考えて、そんな想像で耳まで真っ赤に染まった自分に呆れたところで、今度はさっきまではなかった小さな音が耳に届きました。 - 75 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 21:51:08.41 ID:XGTHuALg.net
- カリカリ、カリカリ、と。
まるで小さな動物が、例えば猫が外に出たがって扉をひっかくような音が。
カリカリ、カリカリ、と。
まるで何かを探しているみたいにずっと、切羽詰まった様子で。
「ああ、そうでしたね……」
胸を突かれたような気持ちで音に耳を澄ませ、今日までのことを思い返します。
振り返ってみれば、今さら改めて確認するまでもなく、凛からのシグナルは何度も何度も鳴っていたのです。
それなのに耳をふさいで、きっかけがあれば、もう少し待っていてくれればなんて、返事をしなかったのは私でした。
わかっています。
脱ぎ捨てるべきは衣服ではなく、見栄っ張りで怖がりな私自身。
告げるべきは借り物の呪文ではなく、私、園田海未の素直な言葉。 - 76 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 21:57:36.73 ID:XGTHuALg.net
- 「大丈夫です」
その呟きは凛に向けてのものか、あるいは自分に言い聞かせたのか。
自分でもよくわかりませんでしたが、私は小さく頷いてから口を開きました。
凛への気持ち。
これからのこと。
思いの丈は自分でもびっくりするくらいすらすらと出てきて、開かずの扉はそれと同じくらいあっさりと開きました。
新しい朝の訪れ。
私の腕に飛び込んできた彼女を受け止めて、遅くなってしまったことを一言だけ謝ります。
もう二度と、一夜限りなんてみみっちいことを言うつもりはありませんでした。
強いて言うのであれば、二人が死に別れるまで、一生。
いいえ、たとえ死んだって、生まれ変わってきっとまた。
ずっとずっと、永遠に――
こうして、面倒くさい遠回りの果てに、私はようやく大好きなその子に気持ちを伝えることができたのでした。
私と凛は、呆れたお母さまが呼びに来るまでずっとずっと、その場できつく抱きしめ合っていました――
おわり - 78 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 22:11:53.08 ID:XGTHuALg.net
- おわりと書きましたが後でもう少し続けます
>>63から分岐して別ルート - 79 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 22:59:30.48 ID:XGTHuALg.net
- >>63の続き
「どうぞ」
満を持してそう声を発して、ゆっくりと開くドアを凝視します。
一体誰が――
そう思いじっと固まって、目に入ってきたのは――凛の姿。
瞬間、総毛立つような身の震えとともに、心の中は爆発的な喜びで満ち溢れていました。
それなのに、
「海未ちゃん」
私の名前を読んでくれた声は凛のものじゃなくて――
「……穂乃果?」
私の平坦な呼びかけに応じて、凛の後ろからひょっこり顔を覗かせたのは、案の定私の大切な幼馴染。
なんだかもう長い間会っていなかったかのような懐かしさがこみ上げ、その正体に戸惑います。 - 80 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 23:02:54.36 ID:XGTHuALg.net
- 「穂乃果……」
無意識に繰り返し、凛と穂乃果の顔を同時に視界に収めて。
この瞬間、私は今まで気づいていなかった自分の本当の気持ちにようやく気が付いたのです。
ずっとずっと、昨日からずっと。よりによってこの私が、穂乃果のことを完全に意識の外に置いていた理由。
凛と初めにキスするときに感じた違和感の、もう一つの正体。
そうです。
つまり私は、元々は穂乃果のことが好きだったのです。
だからこそ、事故で凛を意識するようになったときに、罪悪感から無意識にその姿を視界の外へと追いやったのです。
たぶん、今までどんな方に告白されてもピンと来なかったのは、私が穂乃果との関係に甘えきっていたからでした。
彼女は私の最大の理解者であり、私の半身であり、極論すればほとんど私自身でもありました。
お互いに無意識下で互いのことを愛していて、それが絶対だという確信を持っていました。
だから誰に告白されても私は靡かなかったし、他の人の恋の話にいちいち耳をそばだてる必要もなかったのです。既に相思相愛の相手がいたのですから。
と言っても、そんな穂乃果のいない空白の昨日を経て、私は少し変わってしまっていました。
つまりは先ほど胸に秘めていた凛への想いも本物で、彼女のことも他の誰よりも好いているのです。 - 81 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 23:07:02.00 ID:XGTHuALg.net
- 要するにいま私は罪深いことに、同時に二人の人を好きになってしまっていたのでした。
穂乃果が口を開きます。
「穂乃果びっくりしちゃったよ。海未ちゃんって恥ずかしがり屋さんだし、あんまり焦っちゃダメかなって思ってたんだけど」
「う……」
「まさかその隙に凛ちゃんに取られかけちゃうなんて。まあ海未ちゃんって穂乃果よりよっぽどロマンチストだし、ああいう事故とか強引な展開に熱を上げちゃうのもわかる気はするけど」
「ああいうって、ちょっと待ってください穂乃果。あなたもしかして――」
「もちろん、私が海未ちゃんの様子がおかしいことに気付かないなんてありえないし、昨日のことはだいたいわかってるよ。悪いとは思ったけど、後をつけて話は聞かせてもらったから」
「そ、そんな……」
思いもよらなかった穂乃果の告白に、私と凛は真っ青になっていました。
ショックで頭が回らず、どんな反応をすればよいのかもまったく考えられません。ですが、穂乃果はそんな私たちのことなんか知らないとでも言うように、淡々と話を続けます。 - 82 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 23:10:49.95 ID:XGTHuALg.net
- 「最初はね、絶対阻止しなきゃって思ったよ。だけど海未ちゃんも凛ちゃんも考えがあっての行動みたいだったし、それなら一日くらいは黙ってる方がいいのかなって考え直したんだ。変にこじれても嫌だし」
「そ、それならそれで、なにも私たちのことをずっと見張るような真似をしなくてもいいじゃありませんか」
「……わかってないなあ海未ちゃん。穂乃果が昨日一日、どんな気持ちで大好きな海未ちゃんのこと見てたと思う? 見なくてもいい、見なければいいっていうけど、そんなの無理に決まってるじゃん」
「そ、それは……」
「でもいいんだ。だって昨日はもう終わったし、海未ちゃんは今フリーなんでしょ?」
「フリーという言い方はどうかと思いますが、そういう言い方をするのであればそうですね」
「えへへー、よかった。じゃあ海未ちゃん、ちょっとこっちきて。そうそうこっち、はい」
と、穂乃果は私を呼び寄せたかと思うと肩をがっしりと掴み、
「じゃ、ちゅー――」
あろうことか、そのまま私に口づけしてきました。
私はというと、あまりの出来事に頭が真っ白になってしまい、まったく身動きが取れません。 - 83 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 23:14:31.93 ID:XGTHuALg.net
- 「なっ、なにやってるにゃ穂乃果ちゃん!」
ただ文字通り飛び上がって驚いた凛が、先ほどまでの真っ青な顔を一変させ、真っ赤な顔をして怒っているのが印象的でした。
「離れて、海未ちゃんから離れて――!」
「ん、んぅ――ぷはっ。やだっ、穂乃果も海未ちゃんとキスする! 最低でも、昨日凛ちゃんが海未ちゃんとした数だけ!」
「そんなの意味わかんないにゃ! 凛と海未ちゃんは昨日は恋人同士だったからああいうことしたんだもん!」
「だから今日からは穂乃果が海未ちゃんの恋人になるの!」
「は、はああ?」
と、素っ頓狂な声をあげたのは私。
昨日は凛が恋人で、今日は穂乃果が恋人だなんて、いったい私はどんなふしだらな人間なのでしょう。
穂乃果の言っていることはさっぱり意味がわかりませんでしたが、その気持ちを代弁するかのように凛がぷりぷりと怒っていました。 - 84 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 23:18:21.78 ID:XGTHuALg.net
- 「そんなの認められないにゃー。海未ちゃんも、黙ってないで何か言ってよ!」
「え、ああ。そうですね。ええと、穂乃果の言っている意味がよくわからないのですが」
「わからない? 違うでしょ、海未ちゃんの本音はそういうことじゃないよね。大丈夫、穂乃果はわかってるよ」
「ですから穂乃果――」
「海未ちゃん、好きだよ」
「え?」
「ちょ、ほのかちゃ――」
「聞いて。小さいころからずっと、ううん、もしかしたら生まれた瞬間、お互い赤ちゃんの時からずっと、私は海未ちゃんのことが好きでした。今もこれからも、ずっと好きだよ。穂乃果が宇宙で一番好きなのは、海未ちゃんだよ。私は海未ちゃんがいないと生きていけないの」
「な、な……」 - 85 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 23:21:45.48 ID:XGTHuALg.net
- 突然の愛の告白に、私は完全に何も考えられなくなってしまいました。
何かを言うこともできず、身体を動かすことも出来ず。
ただ心の奥底に「けれど」という思いがあるのも事実で、それはつまり、もしかしたら私は以前からそれを知っていたからかもしれませんでした。
だって、穂乃果が私を想うことと、私が穂乃果を想うことはたぶん表裏一体で、私たちにとっては当たり前のことなのです。
穂乃果の台詞には確かに驚かされましたが、それは予想だにしなかったからではなく――むしろいまさらながらそれを自覚したことに対する驚きだったのかもしれませんでした。
「そ、そんなのずるいにゃあ」
けれど穂乃果の隣で情けない声をあげた女の子。
その子のことも、私は胸が張り裂けそうなくらい好きなのでした。
ショックを受けているその表情を見ただけで、抱きしめて慰めてあげたくなってしまいます。
けれどそうしたら、今度は穂乃果が同じ顔をするでしょう。
私はどうしたらいいかわからず、ただただ立ち尽くすばかりでした。 - 86 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 23:24:11.04 ID:XGTHuALg.net
- 「凛も! 凛ももう一回海未ちゃんの恋人に立候補する!」
「駄目だよ、穂乃果が先に言ったんだから!」
「そんなの早い者勝ちってわけじゃないでしょ。ね、海未ちゃん。凛ね、昨日は格好つけちゃったけどやっぱり駄目なの。
昨日からずっと海未ちゃんのことばっかり考えて、海未ちゃんにぎゅってしてもらうことばっかり思ってて、もう耐えられなくて、だから家まで来ちゃったの。海未ちゃんのこと、ほんとに大好きなの!」
「りん……」
凛の言葉は、まさに私の気持ちをそっくりそのまま言ってくれているようでした。
私も昨日から凛と同じことばかり考えているし、凛が私を好きなのよりもっと、私は凛のことが大好きです。
そんなことを言いかけて、はっと思いとどまります。
その隙に、今度は凛を押しのけて前に出た穂乃果が口を開きました。 - 87 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 23:27:45.74 ID:XGTHuALg.net
- 「海未ちゃん! ちゃんと思い出して。私と一緒に過ごしてきた時間と、その間に積み重ねてきた私たちの想い。ずっとずっとお互いを見て、信頼して、育んできた大切な気持ちがあるでしょ?
それが好きって気持ちだよ。他の誰でもない。私の人生にはあなたがいないと意味がないっていう、そういう実感みたいなもの。海未ちゃんだって絶対わかってるはずだよ」
「ほのか……」
穂乃果の台詞、それもまた真実でした。
私も穂乃果のいない人生なんて考えられないし、これが愛でないのならこの世に愛なんて存在しないとすら思います。
けれど私はそんな穂乃果への返事も口には出来ず、ただただ困惑するばかり。
この場において、私は紛うことなく最低の人間でした。
「答えて海未ちゃん。穂乃果のこと好きでしょ?」
「りっ、凛の話も聞いて! 凛のこと、また恋人にしてくれるよね?」
「う……」
「海未ちゃん!」
「わ、私は……」 - 88 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 23:30:20.87 ID:XGTHuALg.net
- 選べません。
私には、どうしてもこの二人のうちのどちらかを選ぶなんて出来ませんでした。
優劣をつけかねる、ではありません。私にとっては二人とも至上なのです。
最低と言われようと、優柔不断と言われようと、私は本気で二人を愛しているのです。
ですが、私の沈黙が意味するところは二人にはきちんと伝わらなかったようで、
「わかったよ海未ちゃん。私が何とかしてあげる」
「……凛も、覚悟出来たにゃ」
「……二人とも、なにを言っているのですか?」
困惑する私をよそに、二人は思いつめたような表情でこちらを見ていました。 - 89 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 23:33:07.37 ID:XGTHuALg.net
- 嫌な予感。
じっとりとした汗が背中を伝うのがわかります。
「決めた。凛は絶対、海未ちゃんを恋人にする! まだ決められないっていうなら、そんな余裕もないくらい凛にメロメロにしてやるにゃ」
「いくら凛ちゃんでも海未ちゃんは譲れないよ。だいたい海未ちゃんは生まれたときから私と一緒、一心同体。凛ちゃんが入り込む隙間なんてはじめからないんだからね」
「そんなこと言ったって、凛はたしかに昨日その隙間に入り込んだし、穂乃果ちゃんがしたことないようなこともたくさんしちゃったしー。ああ、海未ちゃんって意外とキス上手だったにゃあ……」
「くっ、ずるいよ海未ちゃん! 凛ちゃんばっかり!」
「恋人同士だった実績の勝利にゃ!」
「だったら穂乃果もする! 実績! 海未ちゃん、ちゅー――」
「ちょ、ほ、ほの――ん――」
「ああああああ! ちょっと駄目にゃ、離れて! 海未ちゃんも固まってないで!」 - 90 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 23:37:09.00 ID:XGTHuALg.net
- 「――っ、はぁ、ふふん。これで差は縮まったかな。ねっ、海未ちゃん。凛ちゃんが帰ったらもっとたくさんしようね」
「穂乃果、なにを言って――!」
「こんなのないにゃ。無理やりなんてルール違反にゃ! それだったら凛だって――」
「凛ちゃんは昨日さんざんしたじゃん。私だって昨日見逃してあげてたんだから、我慢して――って――」
「にゃあああ――」
「ちょっと二人とも、喧嘩は――」
「誰のせいだと思ってるの!」
「誰のせいだと思ってるにゃ!」
「う、す、すみません……」
いったい私はなぜ怒られているのでしょう。
そして、なぜ素直に謝らされているのでしょう。
理由はもちろんわかっていましたが、なんとなく腑に落ちなくて眉間にしわが寄りました。
ですが、それよりもなによりも重要なのは、今日この時をもって私の平穏な学生生活が終わりと告げたということ。
自らの優柔不断が招いた事態とはいえ、明日からの受難に思いを馳せた私は、凛と穂乃果の咎めるような眼差しを受けて、深い深いため息をついたのでした。
※ - 91 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/21(木) 23:40:12.94 ID:XGTHuALg.net
- 「そういえば凛ちゃん。昨日のスクールアイドルの特番見た?」
「見た見た。凛は最初の方に出てた静岡のアイドルが好きかにゃー」
「うんうん、あの子達かわいかったよね! 穂乃果はセンターサイドにいた髪の長い子が好きかなあ」
「凛も凛も! お姉ちゃんにするならああいう人がいいにゃ」
あくる朝の私は、右腕に穂乃果を、左腕に凛をぶら下げて登校しました。
「あの……」
「ん?」
「その話なら、なにも私を挟んでしなくてもよいのでは?」
「は?」
「いや、なんでもありません……」
その間、穂乃果と凛はずっと楽しげにおしゃべりをしていて、微妙に居心地の悪い私はその板挟み。
二人は特定の件については冷戦状態であるものの、それ以外の部分では相変わらず仲良しで、その点に関して言えばほっとしたのは事実です。 - 94 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/22(金) 07:04:40.83 ID:sHQBzGwW.net
- ですが通りすがる人たち全員が奇異の目で私たちを見て、友人たちには割と本気のトーンでからかわれて、挙句に風紀を乱すだのなんだので理事長に呼ばれたりもして。
実際くっつかれているだけなのでそこまで風紀を乱しているかと言われれば違う気もするのですが、これでも校内では名の通っている私たち。
なればこそ模範となる行動を心がけてもらわねば困るという趣旨の訓示を耳が痛くなるほど拝聴しましたが、それには私もまったくもって同意見でした。
理事長室から解放されるや否やそのことを二人にも再確認し、いいかげん落ち着くようやんわりと言い含めます。
「聞いていましたか? 私たちには全校生徒の模範となるような行動を取らなければならない使命が――」
「ねえ海未ちゃん。凛、明日はお弁当作ってこようと思うんだ。また食べさせあいっこしようね」
「使命が――」
「海未ちゃん! 穂乃果は明日美味しいほむまんたくさん作ってくるからね。ちょっと恥ずかしいけど、なんなら口移しでもいいよ?」
「使命……」
「穂乃果ちゃん知らないのかにゃー。海未ちゃんは穂乃果ちゃんと違って余計な間食とかしないんだよ?」
「凛ちゃんこそ、ほんとはお料理なんてできないの穂乃果知ってるよ。お母さんに手伝ってもらうのは反則だけど、大丈夫かなあ。待っ黒焦げのお弁当を海未ちゃんに食べさせるなんて、まさかないよねえ?」
「り、凛だって、ちゃんとすれば料理の一つや二つ――それに、海未ちゃんは凛の作ったものだったらきっと食べてくれるもん!」
「そ、そんなのこっちだって、海未ちゃんなら私が作ったほむまん全部ぺろっと食べてくれるんだから」
「はあ……」 - 95 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/22(金) 07:05:11.35 ID:sHQBzGwW.net
- そもそもそんなに多く食べる方ではない私は、明日の自分の胃袋のことを想像して、やはりため息が抑えきれませんでした。
それでも結局私は、二人の勧める通りにお弁当を頂き、デザートにまんじゅうを頬張るのでしょう。
まったくもって穂乃果を立てれば凛が立たず、凛を立てれば穂乃果が立たず。
昨日の夜から考えても、食事中の食べさせあいっこに、睡眠前の電話、朝どっちが先に挨拶をするか。
登校中の会話の数、放課後の約束、それから休みの日のデートのお誘い。
一事が万事ずっと同じ調子で対立していて、私のスケジュール帳は今や、二人に平等に割り振ったイベントで月末まで真っ黒でした。
たとえば土曜日の午前は穂乃果と水族館に行って、午後からは凛と動物園。
日曜日の午前は凛と買い物をした後で流行りのイタリアンを食べに出かけて、午後からは穂乃果とカラオケに。
昨日はあれほど中止でほっとしたμ'sの練習が、今となっては数少ないオアシスでした。
なにせ、せいぜいストレッチのパートナーをどちらがやるかで揉め、更衣室の隣のロッカーをどちらが使うかで揉め、ダンスの練習でどちらがたくさん私と絡むかで揉めるくらいで済むからです。 - 96 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/22(金) 07:05:29.39 ID:sHQBzGwW.net
- もっとも他のメンバーたちの本音。
たとえばことりのあの優しい声色の裏側に、たまにちょっとだけ不機嫌な色が感じられたり。
絵里が露骨に対応を決めかねているという感じで、深くかかわってこなかったり。
にこがアイドルとは何ぞやなんてことを、会ってから十回は繰り返してきたり。
そういうのは凛や穂乃果の暴走とは別種の辛さがありましたが、それはそれ。板挟みになる苦しさに比べれば優しいものでした。
おそらくこの惨状は、私がどちらかを選ぶまで続くのでしょう。
それでも――
大好きな二人が笑ったり拗ねたり喜んだり、たくさんの素敵な表情を見せてくれるのが嬉しくて、私には当分この状態を回避する選択肢は選べそうにありませんでした。
というよりも、元から私にはそんな行動は取れっこない。こうして二人のことをあらためて眺めていると、そんな確信が芽生えてくるのです。 - 97 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/22(金) 07:06:07.31 ID:sHQBzGwW.net
- だって、私が惹かれ憧れた、凛と穂乃果の素敵なところ。
無意識に一歩引いてしまう私とは違う。まっすぐで素直で正直で、いざとなったらその気持ちだけを頼りに突き進んでいける強さ。
私がそれを、今までどれだけ眩しく見つめてきたか。
どれだけ強く揺さぶられてきたか。
それを思えば、実質的に私が取りうる行動はたったひとつだけでした。
もはや、憧れるばかりでは駄目なのです。
きっかけがあればなんて言い訳は、昨日で終わりにしなければいけないことでした。 - 98 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/22(金) 07:06:27.61 ID:sHQBzGwW.net
- 「ねえ凛、穂乃果」
「どうしたにゃ海未ちゃん。なんで笑ってるの?」
「もーやだなあ海未ちゃん。穂乃果と手をつなぐのがそんなに嬉しいなんて」
「ちがうもん、海未ちゃんは凛とくっついてるのが嬉しいの!」
「どっちも違います」
「ええー」
なんて、不満げに言いながらも二人とも笑顔。
そのリアクションに気分を良くして、思わず今の気持ちを口にしてしまいそうになります。
ですがどうにか思いとどまって、代わりにつないだ手にちょっとだけ力を込めました。 - 99 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/22(金) 07:08:12.44 ID:sHQBzGwW.net
- 「おお?」
「どうしたにゃ?」
そのまま、二人を引っ張るようにして先を歩きはじめる私。
胸に秘めていたのは、いつかこうして私から二人を引っ張っていけるようになろうと決意。
それから、死ぬ気でがんばればきっと、二人ともを世界一幸せにしてあげられるという根拠のない自信。
私たちならどんな壁だってぶち抜いて、行きたいところに行けるという確信。
だから、そのときが来るまでのあとほんの少しの間だけ、この曖昧で幸福な関係に甘えさせてもらいたいなと思いました。
言葉にしなくても、そっと手を握り返してくれる二人の反応が、こんな私の気持ちが伝わっていることの証明のように感じました。
おわり - 100 : 名無しで叶える物語(きしめん だぎゃー)@\(^o^)/ 2016/07/22(金) 07:09:30.68 ID:sHQBzGwW.net
- 邪道だとは思いましたが2つ結末を書いてしまいました。
読んでくださった方ありがとうございました。

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