Powered By 画RSS


スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

衣「ちょっとひとりで旅行してくる」

1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 21:54:12.68 ID:wDW4s3rP0
「……どうしようかな」
 何の冗談かと思いながらその紙を見つめている。
 お屋敷に届く郵便物を整理してみつけたダイレクトメール。龍門渕の家のものではなく、ボク個人宛だと表記されていた。
 私信の手紙でもなんでもなく、差出人はどこかで見かけたような会社の名前。だからてきとうに抜き取ってポケットにしまっておいた。
 お仕事がひと段落して自室へ戻って。ボクは首をかしげながらそれを開く。

 ――――当選されましたお客様は、下記の消印までに返信用の――――




2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 21:55:36.55 ID:wDW4s3rP0
 衣たちと行ったファーストフート店で、ボクたちはたしかに、懸賞はがきのようなその紙に、そんなものを書く戯れをした覚えがある。
 お屋敷の料理のほうが美味しいから、ボクたちはめったに外食はしないけれど。それでも衣といっしょに、たまに外食の賑わいに触れに行くことはある。
 そんな機会はきまって、衣はアンケート用紙やマスコットグッズの応募用紙なんかに名前を残していく。それに便乗して、ボクたちも。
 たかだかファーストフード店になんの記念だという気もちもあるけれど。友達で家族なボクたちとのおもいでをたいせつにしたいと思ってくれる衣の気もちを、ボクたちが無碍に扱うことなんてするはずもない。

 さすがに店に訪れるたび、用紙に5人全員が書くということはなくって。だいたい衣とボク。ときどきともきー。
 透華と純くんは、ボクたちのささやかな戯れを眺める側に居ることがほとんどだ。

 だけれど。今回の応募はがきには純くんも透華も含めて全員が応募した。
 当たることなんて、なにも期待はせずに。
 当たることなんて、だれも期待はせずに。

 こんどみんなでどこかいくとしたらどこが楽しいかな。ただ、そんな楽しい話題の種にしたかっただけだったのに。

 ――――『アンケートに答えて、月へ行こう』――――


4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 21:57:03.59 ID:wDW4s3rP0
「……どうしようかな」
 もういちど、つぶやいた。
 当選したのは、ひとりぶん。

 せっかく当たった旅行。これを衣に譲ることはもうすでに決まっている。衣に、行って欲しいと思っている。
 でも、当選したのは、ひとりぶん。

「……どう、切り出せばいいかな」
 その通知を見つめて、ボクは悩み続ける。
 言えるはずが、ないじゃないか。

 独りを淋しがる衣に、ひとりで遠い遠い月まで行ってきたら? なんて。


6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 21:58:25.42 ID:wDW4s3rP0
 逡巡して、結局。萩原さんを相談相手に頼ってみることにした。
 彼に用紙を差し出す。「屋敷に届いた郵便のことなんだけど、ちょっとこれを読んでみて」。
 透華たちにいきなり話しても、この当選通知をどう衣に切り出すか悩む人数が増えるだけだ。
 かといって、いつまでもひとりでこれを抱えてもいられなくて。

「……これは、困りましたね」
「うん……」

 文面を読んで、萩原さんはまず苦笑を浮かべる。
 笑いたくなる気もちは、わかるけど。

「……笑わないでよ、こっちはすごい困ってるんだから」
「それは申し訳ありません。ただ、はじめさんを笑ったのではなくて。すべて衣様への、みなさんの気づかいにつながっていることですから」

 私に封筒を返しながら、彼は言う。 

「衣様を案じる皆様の気もちは私にとってもうれしいことなので、つい」
「……まあ。うれしい、困りごとってやつではあるよね」
「そういうことですね」
 だけれど、それはそれとしてだ。
 いま欲しいのは、当選通知への反応なんかじゃなくて。この、困りごとへの対処法なわけで。


8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 21:59:55.04 ID:wDW4s3rP0
「……まず申し上げますが、私では、あなたの相談には乗れません」
「いきなりそれかい?」
「衣様に当選を伝えることも。
 逆に、安易に長距離旅行を勧めず、
 はじめさんの胸の裡だけにこれをしまって無かったことにしてしまうのも、
 どちらも間違っているとは思わないからです」

 そう言った彼は、こう付け加えた。
 ――どちらも、あなたが衣様のことを考えた末のことなのですから。

「そもそも、私はあなたに、先輩として屋敷での作業を指導することはできますが、
 衣様の友人としてのあなたの行動に、くちばしをはさむことはしかねるので」

「……ぶっちゃけ、萩原さんはそう言うと思っていたよ」
 言い終えて、ボクを見つめる荻原さんに、これ見よがしに大きくため息をついてやる。彼は意に介さず微笑みをみせた。
「ただ、聞いて欲しかっただけなんだろうね。ごめんなさい、迷惑をかけて」
 ボクよりも長く、衣と透華を見守ってきたひとだ。ボクはボクで衣たちをたいせつにしているように。彼は彼で、執事という立場での衣たちの関わりに想い入れがあるはずなのだから。
 ただボクは、彼を鏡にして、ボク自身の裡にある、衣をだいじに思う自分の気もちを見てみたかっただけなのだろう。
「いえ、多少なりともそちらの気が晴れたのなら、うれしいことです」
「うん、どうもね」
 やっぱり、みんなに話してみるよ。とボクは言った。どのみちそうしなければ、進まないんだから。
 萩原さんは頷いて、では、と一礼。仕事へ戻っていく。
 ボクも、きびすを返して歩を進める。彼女を月へ送り出したい。その本心を、たしかめながら。


9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 22:02:08.92 ID:wDW4s3rP0
 衣以外のメンバーに集まってもらって、当選通知をみんなに見せた。他人に邪魔されないように、応接室で。
 テーブルをはさんでソファに座るボクたち。
 用紙を手にとって、対面で黙考する透華。
 ボクの隣の純くんは、ほお、と感嘆して、笑みを浮かべる。この状況と、思考を巡らせる透華を面白がるいろをまなざしに乗せて。
 透華の隣で、ともきーもまた、静観。表情こそ変わらないものの、透華のこれからの反応に注目することについてはボクたちと同じで。

「ボクは、行ってほしいと思う」
「オレも賛成に一票入れとく」
 沈黙が部屋に満ちるなか、まずボクが口を開く。すぐに、純くんが追随する。

「……智紀、あなたは?」
 次に声を発したのは、透華だった。視線は紙に向けたまま。


10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 22:03:38.36 ID:wDW4s3rP0
「私は反対。心配」
 その静かな問いに気圧されることはなく、ただ簡潔に答えた彼女に、透華はうなずいた。
 そして、ボクたちに視線を起こして。
「……はじめ、純。あなたたちは心配ではないんですの?」
「心配に決まってんだろ」
 即答する純くんに、思わずボクたちは彼女を見る。
「……ええ、そうね。あなたたちが衣のことを心配していないだなんて、わたくしだって思ってはいませんわ」
 ……だったら、何故。と彼女は問う。
「透華と違ってオレは子離れしてるんだよ」
 にやりと笑って、彼女は言う。
「ふざけないで」
「じゃあオレの意見なんて聞かないで国広くんに聞けよ。当選した当人のあなたが月旅行に行きなさい、ってさ」
「――――」
「衣を心配して反対する気もちがわからないわけじゃないぜ。でも透華も智紀もそんな考え、浮かばなかったろ?」
 あくまで、ボクたちはみんな、こうして衣のことを考えている。
 奥歯をかみしめて、透華はまた用紙をにらみつける。
「衣が、月へ行く。こんなおもしろそうな楽しみ、捨てられないだろ」
「――でもこれは、そんな無責任に楽しめる行き先ではありませんわ」
「でも、そういう行き先だからこそ、って気もちもあるんだよ、透華」
 宇宙旅行なんて一大事。龍門渕の財力だとかを使って付き添いをねじ込めるようなあやふやな体制でもないだろう。
 おおごとだからこそ、厳重に、お客の安全を保ってくれるところでないとつとまらない。


11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 22:05:12.12 ID:wDW4s3rP0
「安全面の問題ではありませんわ。衣の孤独を心配してるんです」
「衣のはじめての一人旅が月だぜ? オレはもう、胸が熱くなるね」
「……それでも、それでもっ」
 ――あの衣が、月を間近に見て、どんな感動を手にして帰ってくるのか、それを考えるのはとても魅力的な想像だ。
 その考えは、きっと透華も否定できない。でも、衣のおかあさん役としては、それを肯定することもできない。

「ね。透華」
 ボクは言う。
「たとえ月に行ったとしても、たしかに衣はさみしさで泣くだけで旅行は終わってしまうかもしれないと思う」
 でも、衣の孤独を、心配することと同じくらい。
「でも、月や宇宙に対して、衣が何も感じないでさみしさ一色で終わるっていうことは、きっとないとも思う」
 衣の心を、ボクたちは信じている。
 だからボクたちは、衣を月に誘う、という選択肢を捨てられない。 

「じっさいに、当選したのはボクだから。月旅行のチケットの使い道は、ボクが決めていい、はずだよね?」
 だから、ボクは。
「だから、ボクは、衣を信じて、これを譲りたい」
 ひとりで、月へ行ってみないかい? って衣に尋ねるんだ。

「まあ結局のところ衣次第だわな。衣が行きたくないって言えば話はそれで終わりだ」
「そうだね。衣にも、話さなきゃね」
「いいかな、透華。話はまた、衣の返事を聞いてからで」
 四人での話し合いは、ここで一区切り。これ以上は、衣次第。

 衣にチケットを譲ることは決まっていて、衣に、行って欲しいと思っている。


 みんなの胸の内はさまざまだとしても、そこだけはボクたち、みんなおんなじだった。


12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 22:06:58.39 ID:wDW4s3rP0
 衣の帰還予定日の前夜。夜のお屋敷の庭で、ボクは月を見上げて衣を探す。
 いまどのへんにいるのかなんて、さっぱりみつかりはしない。
 月からここまで38万キロの距離。光の速さでだいたい1秒の距離だというけれど。

「よ、国広くん。仕事終わり?」
 純くんがボクの隣に立って、同じように月を見上げる。
「うん、今日の分はひと段落かな、そっちは?」
「衣がいなくてヒマだ」
 ボクの問いに、そう肩をすくめた。
 衣の力を恐怖せず、麻雀での遊び相手をボクたちの中でいちばん多くつとめているのが彼女だ。
 たしかに衣がいないと、ある意味、空いた手をもてあます気持ちにもなるのも無理はない。


13 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 22:08:48.42 ID:wDW4s3rP0
 ボクは尋ねた。衣、どうなって帰ってくると思う? 彼女はこう答える。
「真昼だろうと新月だろうと、変わらず満月の力を発揮できるようになってる、くらいは考えてる」
 そんな答えに、ボクは苦笑い。
「うわあ、あり得る。それは困るな」
「困る?」
「うん、衣ともっと、麻雀をしたいって思ったんだ」
 衣がいない日をちょっと過ごしただけで、そんな思いが強くなってきた。
「清澄のように、衣の好敵手にはなれないけれど。家族麻雀を衣とずっと打っていられる程度にはなりたいなって」
 視線を月から、背高な彼女の顔に移す。
「だから、そういう意味では純くんのことは尊敬しているんだよ。さすがおとうさん」
「オレは女だっつの」
 ボクのからかいに、純くんは苦々しい表情を浮かべて。
「でも別に、国広くんだって衣と全然打てないわけじゃないだろ」
「それはそうかもしれないけれど」
 でなかったら、透華が連れてくるはずはない。

「それでも、自分では納得できなくなったんだよ」
 だから。
「だから、純くん。あとでボクと打ってくれる?」
「いいぜ、先に戻って透華と智紀にも声かけてくる」
 透華も智紀も、衣の不在にすこし複雑な気ぶんになっている。みんなで、すこし発散しておかないと。
「ありがと、あとから行く」
 去っていく後ろ姿に声をかけて。ボクはまた、月を見上げて衣を探す。

 衣がいない日。ボクたちは麻雀を打った。
 衣のことを、話しながら。


14 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 22:09:43.43 ID:wDW4s3rP0
 はじまりのきっかけは、龍門渕透華という、君を想う人間からの強制だったけれど。
 いまのボクは、君と友達でいたいよ。君と家族でいたいと思うよ。
 きっと君のほうだって、同じように思ってくれているのなら――――

 自室に戻って、服を着替える。洗面所で、いつもつけている星のタトゥーシールを、はがした。
 思えば、君と麻雀をすることを、ボクはまだ怖がっているまんまだったんだね。

 ――――同じように思ってくれているのなら、君は、ひとりじゃない。
 でも、もういちどだけ。君と、離れてみたいと思ったんだ。
 孤独の空の下を歩むとか、自分を見つめ直すとか、きっとそんなたいそうな話じゃなくて。
 ただ、ボクたちが子離れをして、君が親離れをする日を、満ち足りた気もちで迎えられるように。

 君という、ボクたちのなかで誕生日がいちばん早いお姉さんを、満ち足りた気もちで迎えられるように。

 ――――だから、ボクは君を月へと送り出したいと思ったんだ。


 衣が帰る日。彼女は迎えに出たボクたちの姿をみつけて、笑みを浮かべて手を振って駆け出した。
 38万キロ、光の速さで一秒の距離の小旅行。それを終えたその足取りは、いまにも転びそうで、危なっかしくて。
 旅行の感想だとか、身体の健康を損なっていないかとか、聞いてみたいことはたくさんあるけれど。
 なによりも、こうしてボクたちに、まっさきに駆けつけてくれる衣の姿がいとおしい。

 ボクたちも彼女へと駆けて、お帰りなさいと、笑いかける。

 ボクは月のタトゥーシールをつけて、おかえりと、君を迎える。

 END.


15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 22:10:28.80 ID:wDW4s3rP0
以上です。最後まで読んでいただいてありがとうございました。


23 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/03/21(木) 22:39:40.66 ID:KVlJ/LAf0
良かった
乙乙





このエントリーをはてなブックマークに追加

 「咲-Saki-」カテゴリの記事


Powered By 画RSS
  1. ななし 2013/03/22(金) 17:43:44

    衣のSSかと思ったら一ちゃんのSSだったなり。


コメントする



全ランキングを表示

Template Designed by DW99

アクセスランキング ブログパーツ ブログパーツ 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。